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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

新・旧日本人 1/2

2019-06-02 16:42:31 | 言語


>これは具体的に新日本人と旧日本人のビジネスに対する意識や姿勢がどのように違っているのか、行動の傾向によって意識の違いを示すものです。
>★旧日本人★ >メンタリティー
>【集団依存】 > 会社にぶら下がっている。

そうですね。社畜ですね。

>どうせぶら下がるなら「寄らば大樹の蔭」と考えている。>数を頼む

大きいことは、いいことだ。

>【絶対平等主義】 >パフォーマンスの低い人の報酬や労働条件に、全員が「平等に」合わせるという「平等主義」

悪平等か? 助け合いか?

> 「出る杭は打つ」ものの、決定的な敗者も作らない

没個性の社会。皆さん一様にみえている。

>【他律性】 > 自律性がなく、周囲の意見に従って自分の態度を決定する。

付和雷同型ですね。

>だから思考停止していても不便を感じない

便利な世の中は、良い世の中かな。無哲学・能天気は、いつまで続くことやら。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.

>【論理性欠如】 > 論理とかセオリーに従わず、感情的、感覚的判断を行う

感情理論の達人ですね。歌詠みの世界ですか。
そうですね。山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘しています。
「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いています。

>自分にとってメリットがあるか、自分の立場にプラスかどうかという近視眼的な基準で物事を判断する

現実の世の中における処世術の達人ばかりですね。

>【目的意識の欠如】 > 明確な目的意識を持たず、集団への依存心が強いので、自己を超克する努力などしない。

日本人には、意思がない。だから、優柔不断・意志薄弱に見える。
意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人は、仕方がないので無為無策でいる。
日本人には、精神修養の必要性が指摘されるところとなる。

>飲み屋で同僚とぼやき合って、マイナス方向のエネルギーを蓄積していく。

片言・小言・独り言を言っている。文章にならなければ意味がない。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

> 【「知」に対する無感覚】 > 「知」の決定的な重要性を意識していない。
>だから洞察力も判断力も磨けないし、自分で物事を考えようとしない

日本人は、’考える人’ にはなれませんね。
非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。それを見ることはできない。ただの話である。話を理解するためには、その文章内容を理解しなければならない。だから、骨が折れる。忖度 (推察) に任せておく。忖度は、相手 (聞き手) の勝手な解釈である。それで、相手は、思考停止に陥る。後は、独り善がりになるばかりである。独り善がりを非難すると、’だって、本当にそう思ったのだから、仕方がないではないか’ と答える。だから、独り善がりは、治らない。
見ることのできる内容は、本当のことである。見ることのできない内容は、嘘である。誰も、見て来たような嘘つきになりたくない。だから、自己の非現実 (考え) を述べる者はいない。これが、思考停止の始まりである。

>組織的な判断(稟議)を行い、責任を回避する

日本人には、意思がない。意思の無い人には、責任がない。兎角、この世は無責任。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。

>自分にとってメリットがあるか、自分の立場にプラスかどうかという近視眼的な基準でしか物事を判断しない

そうですね。処世術の達人たちが幅を利かせていますね。日本人には、現実があって、非現実 (考え) がない。恣意 (私意・我儘・身勝手) があって、意思がない。

>【批判精神の欠如・内向性】> 「目上の者を指さしてはならない」と思っている

序列社会の掟のようなものですね。それにしても、目上の者にも、意思も責任もありませんね。あるのは、唯の序列だけ。

>自分の仲間なら、反社会的なことをしていても批判しない。

日本人には、批判精神がない。世界観がないので、’あるべき姿’ を持っていない。だから、自己の ‘あるべき姿’ を基準にとって、現実の内容を批判することができない。

>「身内の恥は我が身の恥」として不祥事を隠匿する。>しかし、たいていはバレてひどい目にあう

序列社会に存在する内外の格差の存在と、その障害ですね。

(2/2) に続く


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