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罪の意識

2019-05-23 09:05:44 | 教育

>実はアメリカが日本に与えた致命傷は、新憲法でも皇室典範でも教育基本法でもなかった。>占領後間もなく実施した、新聞雑誌放送映画などに対する厳しい言論統制であった。

アメリカは、占領後まもなく日本風の言論を統制しましたね。

>終戦の何年も前から練りに練っていたウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム(WGIP=戦争についての罪の意識を日本人に植えつける宣伝計画)に基づいたものである。

日本人には、意思がない。意思のない人間には、加害者意識もない。それで、加害者意識の深化した罪の意識もない。アメリカ人の考えた罪の意識の宣伝計画 (WGIP) は、’カエルの面に小便’ のようなものになるでしょうね。

>自由の旗手を自認するアメリカが、日本人の言論の自由を封殺するという、悪逆無道を働いたのであった。

日本人には、考えがない。だから、言論の自由にも、意味がない。
非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。それは、見ることができない。ただの話である。話の内容を理解するためには、その文章を理解しなくてはならない。だから、聞き手は、頭を使わなくてはならない。これは、骨の折れることである。

>これについては江藤淳氏の名著『閉された言語空間』(文春文庫)に余す所なく記されている。>それでは日本文明を特徴づける価値観とはどんなものであったか。>一つは、欧米人が自由とか個人をもっとも大事なものと考えるのに対し、日本人は秩序とか和の精神を上位におくことである。

意思があれば、その内容に関する自由は大切ですね。考えがあれば、その考えの持ち主である個人を守ることが大切ですね。考えは、人それぞれですからね。個人主義が必要ですね。
意思も考えも持たなければ、もっと他の物を上位として考えてみる必要もありますね。それが、秩序とか和の精神でしょうね。
自由とは、意思の自由のことですね。日本人には、意思がない。意思 (will) は、未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本語の脳裏には未来時制は存在しない。だから、日本人には、意思がない。
だが、日本人には、恣意 (self-will) がある。恣意は、バラバラな単語 (片言・小言・独り言) のままで存在する。恣意は文章にならないので、意味がない。議論にもならない。恣意の自由は、何処の国でも容認されていない。だから、’不自由を常と思えば不足なし’ である。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。矛盾を含まない文章は、全て正しい考えを表している。だから、正解は、一つではない。幾らでもある。

>日本人は中世の頃から自由とは身勝手と見なしてきたし、個人を尊重すると全体の秩序や平和が失われることを知っていたのである。

そうですね。恣意の自由は、身勝手ですね。日本人には、世界観がないから、’あるべき姿’ の内容には到達しないですね。あるのは、現実の内容と処世術の内容だけになりますね。

>自分のためより公のためにつくすことのほうが美しいと思っていた。

そうですね。滅私奉公は昔から言われていますね。

>従って個人が競争し、自己主張し、少しでも多くの金を得ようとする欧米人や中国人のような生き方は美しくない生き方であり、そんな社会より、人々が徳を求めつつ穏やかな心で生きる平等な社会の方が美しいと考えてきた。

日本人の考えは、アイデア不足ですね。未来社会の構想もなければ、その意思もない。

>このような独得の価値観はかろうじてながらまだ生きている。>高校生に関する日本青少年研究所の統計データを見ても、「お金持は尊敬される」と思う人はアメリカで七三%なのに対し、日本では二五%しかいない。

お金は目的そのものにはなりませんが、手段にはなりますね。未来社会の建設のためにお金の有効利用を考える必要がありますね。

>「自分の主張を貫くべきだ」と思う人はアメリカで三六%、日本では八%である。

自己実現のために個人主義は必要ですね。守るべき考えの内容がなければ、守るべき個人もない。
‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)

>「他人のためより自分のためを考えて行動したい」に強く同意する人はアメリカで四〇%、日本で二%に過ぎない。(243827)

そうですね。わが国では、家畜のような ‘社畜’ が流行っていますね。


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