>最近のアジア情勢はますます物騒になってきていますね。>日本人は戦争という言葉にとても敏感で、現状から変えようとするとすぐに戦争できる国になってはならない!と大変な拒絶反応が起きますね。
日本は、戦争のできる国でしたね。恣意 (私意・我儘・身勝手) の勢いで戦争をスタートさせた。江戸城松の廊下の刃傷事件のようなもの。だが、日本人には意思がないから、戦争を止めることはできなかった。現状にお変わりのないことは、何よりなことです。我々の未来社会の構想は、何処へやら。不動の姿勢に固執すると進歩の国民にはなれませんね。
>では、戦後日本の米国占領下で実際に何が起きていたか知ってる人はどれだけいるのでしょうか。>こうした賛否議論の前に今から約70年前の真実を知っていて損はないです。>GHQの日本占領政策ほど世界的に大成功をした例はない
経済復興のことですか。それ以外に成功しなかったプログラムもあったのではないでしょうか。
>1945年の米国による原爆投下により、日本は降伏、敗戦国となりました。>公に語られてませんが、そこから始まる米国主導の日本人大改革は凄まじいものでした。
そうですね。アメリカ人は、意思を示した。それでも、日本人は、あくまでも日本人ですね。その日本語に基づくメンタリティ (考え方) は、変えられなかったのではないでしょうか。それは、メンタリティの機序を理解していなかったからでしょう。
> 実はマッカーサーに与えられた目標は一つだったんです。 >それは、簡単にいうと「日本がやってきた戦争に罪悪感を感じさせ、自虐心を植え付けることで弱い日本人を作り上げること」でした。
それは、難しいですね。日本人には、意思がない。意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思がない。だから、日本人は、優柔不断・意志薄弱に見える。日本人に、精神修養の必要性を認める人もいる。だが、この方法も失敗した。
一方、英文法には時制があって、英米人には意思がある。
意思の無い人間には、加害者意識というものがない。だから、罪の意識も育たない。子ども、アニマルのようなものである。あるのは、被害者意識ばかりである。
罪の意識の無い人間に謝罪を要求したら、それは自虐の要求になる。これは残酷物語である。人道上の問題になるでしょうね。
>それを通称WGIP「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」と呼ばれました。
日本人に対するWGIPは、’カエルの面に小便’ ですね。
>よくGHQ洗脳政策と呼ばれますが、つまりのところ日本人のマインドセット大変革政策ですね。>これは大変巧妙でした。>まずGHQは、太平洋戦争のイメージを日本 vs (主に)米国の戦争という事実から日本人の目をそらすことに着手します。> 戦時中に米国がやってきた非道なる国際法違反の数々に日本人が注目することなく、「日本の軍国主義者たちが、日本をメチャクチャにした張本人たちであり、悪い奴らである」というマインドセット国民教育をしたのです。
日本人には、意思がない。意思のない人間には、責任がない。ちょうど、死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには、殺意というものがないからである。この国がひっくり返った時にも戦争に対する責任者は出なかった。兎角、この世は無責任。
> 日本国民は、米軍の大空襲でこんな苦しい戦争を強いられ、最後には原爆まで落とされたのは、ひとえに日本の軍国主義者たちの責任なのである。というレッテル貼りを徹底的にしました。
早く手を挙げれば、大空襲も原爆もなかったでしょうに。意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’ a will, there’s a way. しかるに、日本人には、意思がない。仕方がないから、無為無策でいる。座して死を待つのか。人の命を無駄にして、愚かということはないのか。意思のないことが社会の上に立っていると、社会の方向転換は成り立たない。これは、日本人の悲劇です。
>それにより、日本国民の目を真の敵で国際法違反のアメリカ軍から日本の軍国主義者たちに向けることに成功します。
血気にはやるのは、危険ですね。‘力は正義’ です。Might is right. あえて不義を働いて辱めを受けるのは愚かな人たちです。刃傷沙汰が歴史の教訓になると良いですね。
(略)
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