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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

日本型雇用  

2022-08-20 06:37:30 | 文化

>現代ビジネス   >日本型雇用は変われるか? 「ジョブ型で全部解決」とはいかない根深い構造 高齢化する企業は現実的な選択肢をとる   > 坂本 貴志 2022/08/19 06:00  

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>1990年代から2000年代にかけて模索された成果主義も日本企業には十分に定着しなかった。  >成果を出し続けなければならないという精神的な負荷の高まりや、他者との協調を図る組織風土の劣化など、実際に導入してみると多くの企業でその弊害が目立ち、成果主義は日本の雇用のあり方を抜本的に変えるまでには至っていない。   

 

そうですね。成果はわが国の人間序列と直接関係がありませんからね。   

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせることになる。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。      

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な (公式でない) 序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅苦しい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。だが日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、この義理を果たすための仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。    

 

我が民族の序列メンタリティは国がひっくり返った後にも変わりませんでしたね。新憲法の前文には、 ‘・・・・・国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。’ と高らかに宣言しています。地位とは国際社会の序列順位の事で、国際問題に関する問答には関心を持たずにひたすら順位の向上を待ち続ける奇異な民族の代表として日本人は存在します。序列メンタリティが邪魔になって問答ができないのか、問答ができないために序列メンタリティから離れられないのか。英語の習得力が不十分なためなのか。   

 

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木村裕太氏  

2022-08-19 02:27:13 | 文化

>ヒロシマで平和を希求する人々 被爆体験伝承へ新たな一手   >2022.8.17   >御前崎支局 木村祐太   

> 広島市主催の記者研修「ヒロシマ講座」(7月28日~8月7日)に参加し、77年前の被爆の実相に触れた。  >ロシアのウクライナ侵攻で核兵器が現実的な脅威となり、核抑止論が国内でも浮上する中、被爆地は「核兵器は廃絶こそ唯一の解決策」との訴えを一層強くした。  >凄惨(せいさん)な記憶を継承し、平和を希求する人々の取り組みや思いを報告する。 >(御前崎支局・木村祐太)  

 

凄惨さを脅しに利用して侵攻を企てる政治家もいますからね。我々は用心しなければなりませんね。     

 

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>記録、証言次代へ 静岡県も工夫 AIや映像 活用   > 戦争体験者が年々減少する中、記憶と記録をどう後世に伝えていくかは被爆地の広島、長崎に限らず重要な課題だ。 >本県でも関係団体が工夫を凝らす。 > 浜松市遺族会は語り部の育成に注力する。 >昨夏、会員向けに開催した研修会を、来年以降は一般市民に対象を広げ、市と共同で事業化する方向で調整している。  >人工知能(AI)を使って浜松大空襲などの体験を語り継ぐ取り組みも始めた。   

 

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。   

 

>大石功会長(77)=同市東区=は「戦争の体験者が減っていく中でもやるべきことはある。 >持続可能な取り組みをつくって次世代につなぎたい」と力を込める。  > 静岡平和資料センター(静岡市葵区)を管理運営する静岡平和資料館をつくる会は、「証言映像部」が戦争体験者の証言を映像に記録し、DVDを希望者に貸し出している。  >県遺族会は県の委託で戦争体験者らの手記などを集めた冊子を2月に発行し、各市町遺族会に配布した。 >第2巻の発行へ準備を進めている。 > 平和教育や平和啓発事業に詳しい京都教育大の村上登司文名誉教授(67)は「戦争体験の伝承を『自分も担うんだ』という当事者意識を市民が持てるような取り組みが必要だ」と指摘する。   

 

残念ながら戦争はまた起こるでしょうね。なぜ戦争を起こしたかの説明がありませんからね。全てが闇の中。無知な人たちが再び戦争を起こすことになるでしょうね。   

国民が思考を停止している国にはどのような特徴があるでしょうかね。

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)    

周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

 '日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。'  (ウスビ・サコ)   

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’   (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)   

 

 

 

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荒木義房さん  

2022-08-18 11:21:30 | 文化

>【戦争の記憶】「何でこんなことをせにゃいかんのか」 戦争を”支えた”人の苦い思い >2022/08/16 () 13:33  

>太平洋戦争が終わってから77年。 >日本はその後、他国と戦火を交えていませんが、ウクライナ侵攻など戦争・紛争は絶えません。

 

政治家は戦争・紛争をやりたがりますね。    

 

>サガテレビが過去に取材した人の記憶を振り返り、改めて戦争、そして平和について考えます。 >2015817日放送≫  >(年齢は放送当時)  >先の大戦を経験した人の中には、戦地に出向かずとも武器の調達や潜水艦の製造など側面的に戦争を、いわば「支えた」人もいます。  

 

そうですね。兵器の製造をしていた人には赤紙は来ませんでしたね。    

 

>そんな任務を経験した男性の戦争への思いは…。 >鳥栖市に住む荒木義房さん97歳。 >1918年、長崎市に生まれ、中学校を卒業した後、17歳のときに佐世保海軍工廠に就職しました。  >工廠とは、軍直属で潜水艦や武器などを作る工場のことです。 >「航海するのに必要な計器類、それについていろいろ修理し、そういうのを船につけるところが航海工場だったわけです」  >荒木さんも羅針盤や速度計といった計器類の修理や船への取り付けなどの作業に携わっていました。 >その後、東京高等工芸学校、現在の千葉大学で船の設計を学び、1944年、昭和197月から当時、東京の海軍省にあった海軍艦政本部に配属されます。 >ここは各地の工廠の管理指導や武器の調達を担う部門で、荒木さんは、船の部品をメーカーに発注する業務を担当していました。>しかし、日を追うごとに敗戦を意識せざるを得なくなります。 >「メーカーが『あれが足りません、あれができません』。 >早く作れと督促に言ってもそう言いますからね。   

 

不自由を常と思えば不足なしですかね。    

 

>結局それだけ日本の戦力が落ちてしまったわけですね。  >艦政本部の人みんな、こりゃ勝つような戦争じゃない、そのうち負けるよってみんな思っていたでしょうね」   

 

日本は必ず勝つ。これは理屈の問題ではない。信心ですね。  

日本人には理屈がないから哲学がない。あるのは空想と妄想ばかりである。お陰様でわが国は漫画・アニメの大国になりました。      

悪いことは言ってはいけない。言うとそれが本当になる。わが国における言霊の威力ですね。       

 

>年が明け、1945年になると空襲の回数も増え、いよいよ敗戦の色が濃くなります。  >それでも荒木さんは勝つために何をすべきか考えていたそうです。 >「戦争負けるから仕事ほったらかそうという気には全くならなかったですね。 >何とかして挽回して米軍をやっつけてやろうと思って一生懸命自分の仕事をしていました」しかし結局、815日、敗戦を迎えます。  >「日本も知っていたはずです。 >えらい上の人もね。   

 

皆が戦争をやりたくて仕方がなかったのですね。   

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。

 

>もう向こうの方が物資も豊富だし技術も上だし、それをどうしてああいう戦争を起こしたかっていうようなことは私どもも時々そう思っていましたもんね。  

 

我々は物量では負けていた。しかし、精神力では勝っていた。   

 '敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)   

天皇陛下の指導力はどのようなものであったのかな。    

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’   (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)   

 

>何でこんなことをせにゃいかんのか…」   

 

我々日本人は考える人’ (the thinking man) になる必要がありますね。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

>Q,日本はなぜ戦争をしたと思いますか?   >「私どもには分かりません。   

 

‘日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。’  (ウスビ・サコ)   

 

>上の人が決めたことに従うのがわれわれの務めでしたからね」   

 

思考停止と上意下達の世の中でしたからね。上意とは上の者の意思ではなくて、上の者の恣意 (私意・我儘・身勝手) のことでしたね。   

 

>   

 

 

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噓は負け  

2022-08-17 10:11:25 | 文化

>朝日新聞デジタル(地域)   >「うそは負けます 必ず負けます」 国賊と呼ばれた元軍人が語る戦争   > 朝日新聞社 2022/08/16 10:30  

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> 第2次世界大戦中に中国で捕虜となり、収容所で「反戦」に目覚めた兵庫県姫路市出身の元軍人、渡部冨美男(わたなべふみお)さん(故人)の証言を記録した映画「戦影 売国奴と呼ばれた男たちの遺言状」(73分)が、大阪市の映画館シネ・ヌーヴォXで公開中だ。  >牧田敬祐(けいゆう)監督(63)は「戦争のうそにだまされてはいけない」と訴える。

 

そうですね。ゼレンスキーもプーチンも相手を嘘つきだといっていますね。嘘は辻褄が合いませんからバレますね。      

 

> 映画は、渡部さんの生前に約3年にわたり収録した膨大なインタビューと、補完する朗読で構成されている。 >制作したのは大阪市のNPO法人・映像記録。 > 1918年に姫路市で生まれた渡部さんは、スパイ活動のために創設された陸軍中野学校で学び、41年に「秘密戦士」として上海に赴任。 >陸軍の特務作戦にあたった。 > 日本の傀儡(かいらい)政権といわれた汪兆銘政権の中国人情報将校と活動していて、国民党軍に捕らえられた。  

 

ミイラ取りがミイラになったのですね。   

 

>「私のために林さん(当時の渡部さんの偽名)をこんな目に遭わせて申し訳ない」。 >国民党軍に付け狙われていた情報将校は、渡部さんにわびたという。   

 

国民党軍に捕らえられた林さんには何か情報将校の手落ちがあったのでしようかね。    

 

> 処刑を免れた渡部さんは、約200人の日本人が収容されていた国民党軍の捕虜収容所「和平村」に送られた。 >そこで反戦思想をたたき込まれ、大きな葛藤の末に在華日本人反戦同盟の一員となった。

 

日本人は序列人間ですから祖国に対する帰属意識が強く、反戦同盟への参加には大きな抵抗があったでしょうね。   

 

>日本軍兵士に対して反戦宣伝活動をする組織だった。   

 

皇軍兵士は筋金入りだったでしょうね。   

 

> そして終戦。  >46年、渡部さんは南京で日本軍の元支那派遣軍総司令部の参謀たちにひそかに呼び出され、問いただされた。 > 「日本が総力を挙げて戦っているとき、反戦活動をするのは国賊ではないか」  

 

人には考え方が色々ありますからね。一億一心は考えの正しさを示すことにはなりません。よく考えることが必要ですね。      

 

> 渡部さんはきっぱりと答えた。 > 「間違った侵略戦争に反対するのが国賊か。 >間違った侵略戦争をする者が国賊か。 >国を滅ぼすような戦争をする者こそ国賊です」   

 

そうですね。国を亡ぼす者は危険思想の持主ですね。いや、危険な無思想か。       

 

> その後、日本に引き揚げた渡部さんは、中国人に命を救われたとの思いを胸に「姫路中国語学習会」を主宰。 >生涯にわたり、反戦と日中友好を訴え続けた。   

 

日本人には先の無謀な戦争の反省が必要ですね。大切なことはまだ何もなされていません。      

 

> 渡部さんの助手を務めた中国出身の山田福美さんの「渡部さんの証言を残したい」という思いを受け、牧田監督が2006年から撮影を始めた。  >捕虜収容所での様子は、渡部さんの自伝「千里の道」(08年、神戸新聞総合出版センター)を参考にアニメーションとナレーションで紡いだ。  > 映画は、渡部さんが09年に91歳で亡くなる直前、病床で語った言葉で幕を閉じる。  >「私は国(日本)のために戦って、国賊だと言われました。 >でも後悔はしていません。 >うそは負けます。 >必ず負けます」   

 

そうですね。日本人には考えが不足していますね。  

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)    

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’   (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)   

 

 

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責任の所在  

2022-08-16 17:34:17 | 文化

>「責任の所在明らかにされず」と土石流遺族   > 共同通信社 2022/08/16 14:53  

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> 静岡県熱海市の大規模土石流で兄(71)を亡くし、16日、同市の斉藤栄市長を刑事告訴した小川泉さん(68)は記者会見で「発生から約1年、責任の所在が明らかにされてこなかった」と訴えた。

 

そうですね。非常に残念なことですね。責任の所在が明らかにならないのは我々日本人の民族性によるところが多いのでしょうね。   

過去の内容は変えることができないが、未来の内容は変えることができる。しかし、それには無為無策のその日暮らしでは望み無しである。未来の内容を自己の意思として示すことが必要である。

日本人には意思 (will) がない。つまり、無心である。意思は英語の未来時制の文の内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思の表現がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がないので仕方なく無為無策でいる。それで、おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようです。この暮らしぶりで成功すると、他人の受け売りと後追いの専門家になりますね。未来を先取りしない人は指導者としては適当でない。  

自己の意思を示せば、当事者・関係者となる。事態の打開策が示される。意思が示さなければ傍観者にとどまる。日本人には意思がないので、常に傍観者にとどまっている。義理 (自己の個人的な序列関係より生ずる義務) のない事態であれば、高みの見物をしている。わが国は冷たい社会か。わが国は世界の中にあって、世界に属していない。   

 

意思の無い人間には責任がない。これはちょうど死刑執行人の立場のようなもので、彼らは人が死んでも殺人罪には問われることはない。彼らには殺意という意思がないからである。人々は自己の意思に依ることなく、事の次第・自然のなりゆきにより行動をおこす。だから、リーズン (理性・理由・適当) により行動することが無い。リーズナブルな答えは出ない。これはアニマルも同じである。説明責任が取れないので、兎角この世は無責任となる。 

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’   (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)       

日本人が当事者・関係者となるのは義理 (自己の個人的な序列関係から生じる義務) に関する事柄だけである。他のグループに対しては責任を感じない。    

意思の無い人間は、能動的な行動をとることが無く受動的な行動ばかりをする。だから、加害者意識がなく被害者意識ばかりになる。被害者意識ばかりがある人間の犯行を行うのを見るのも恨めしい。だから、’恨めしや―’ と言いながらわが国には幽霊も出る。    

西洋人のような意思のある人間には加害者意識がある。それは反省の意識ともなり、その意識が高ずると罪の意識にまで発展する。そこで深刻な病める魂を救済する必要に迫られる。だから、贖罪の為の宗教 (キリスト教) が西欧に存在するのには意味がある。   

罪の意識のない人達に謝罪をさせるのは難しい。彼らは謝罪の勧めを自虐の強要と間違えて非人道的な問題と捉えて大変な騒ぎになる。 WGIP(War Guilt Information Program)とは、大東亜戦争後の昭和20(1945)年からサンフランシスコ講和条約発効によって日本が主権回復を果たした昭和27年までの7年間の占領期間に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領政策として行った、戦争への罪悪感を日本人の心に植えつける宣伝計画ですが見事に失敗しました。罪を知らない人間に罪悪感を理解させるのは難しいからです。日本人の全ての宗教は罪と離れたところに存在します。だから、日本人の反省は深いものにはなりません。      

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘仮名漢字’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈による世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのないかな書きの記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て場所を探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得に有効であることは言うまでもない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にするのが良いと思います。   

 

 

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