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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

全国戦没者追悼式  

2022-08-16 02:35:49 | 文化

>「全国民と共に心から追悼の意」 陛下おことば全文・戦没者追悼式   > 毎日新聞 2022/08/15 12:04  

 ()    

> 77回目の終戦記念日を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれた。   

> 天皇陛下のおことばは次の通り。   

>   ◇   

> 本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

 

戦没者の死を無駄にしたくないですね。   

 

> 終戦以来77年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。   

> 私たちは今、新型コロナウイルス感染症の感染拡大によるさまざまな困難に直面していますが、私たち皆が心を一つにし、力を合わせてこの難しい状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います。   

 

新型コロナウイルス感染症は不可抗力ですが、先の戦争は人為ですからね。その原因の究明が必要ですね。追悼を何回やっても現実は変わらない。風物詩になるだけですね。   

 

> ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。   

 

日本人の文化には形式があって、内容が無い。だから、追悼式は毎年あるが、その原因究明はなされたことが無い。そして、その過ちは繰り返されることになる。 

学ばない軍隊、学ばない政治家、学ばない国民が恐ろしいですね。他力本願・神頼みでは危険は避けられませんね。追悼式は何回やっても足踏み状態ですね。   

'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)    

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。 

 

 

 

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小池新氏  

2022-08-15 17:41:11 | 文化

>文春オンライン  > 「日本人はね、1人も助からんよ。そういう戦いだもん」惨敗、マラリア、餓死…ガダルカナル島で散ったある精鋭部隊と“その後” > 小池 2022/08/14 17:10  

 ()   

>「なにか変だ」銃を手に無言、ずぶ濡れの下半身、どす黒い顔…激戦の南太平洋で散った精鋭部隊の“戦争怪異譚”が伝えるもの から続く  (略)   > それにしても、太平洋戦争の数多い戦場の中でも、ガダルカナル戦でこうした稀有な怪異譚が生まれたのはなぜなのだろう。 > 考えられるのは、戦死した一木支隊の兵士のほぼ全員が、なぜ自分が死なねばならないのか、全く分からないまま命を落としたということだ。  >死の覚悟どころか、故郷や家族や友人らに思いを寄せる余裕もなく砲火の中でみじめに死ななければならなかった。   

 

本当に残念な戦死ですね。   

 

>「証言記録『兵士たちの戦争』2」によれば、支隊生き残り兵士の一人は「やっぱりいまでも、いっぺんでいいから偉い人に聞いてみたいと思いますね。  >何のために私たちはあの島へやられたのか」と語る。

 

そうですね。それは兵士たちの当然の疑問ですね。    

 

> 別の一人はこう言い切る。 >「われわれは戦争に行ったんでないって。  >殺されに行ったんだって言うの。

 

そうですね。ノー・リーズン (理性・理由・適当) で放っておかれては、兵士たちは犬死の為にガタルカナルいったことになりますね。   

 

>俺に言わせれば。 >戦争っていうのは、戦って初めてね、負け勝ちを決めるんだから。  >違うんだもん。 >われわれは戦ってないんだもの。 >とにかく悲惨だよね」  > その怒りをどこにぶつけていいか分からない。   

 

作戦の責任者が誰であるか隊員に知らされていないからですね。とかく、この世は無責任か。      

 

>そんなこの世に残した無念の思いが怪異譚を生むことにつながったのではないか。   

 

そうですね。日本人の場合には責任の追及にはならないことが多い。だから、昔から恨みを持って死んだ人が化けて出る。   

 

> もう1つあるとすれば、ガダルカナルが、あの戦争の性格を如実に表した戦いだったからかもしれない。 > 太平洋戦争の「分水嶺」と呼ばれ、それまでの日本軍の連戦連勝からアメリカ軍の反攻の前に敗戦と撤退の連続に移る転換点。  

 

脳足りんの日本軍が連戦連勝を続けることは難しい。わが国では今でも人手不足がある。しかし、社会に頭脳不足が生じたということはない。      

 

>日本の勝利を信じて疑わなかった国民が「何かおかしい」と思うようになった。   

 

そうですね。必勝の洗脳だけでは勝利は来ませんね。    

 

> さらに生き残った兵士も飢餓と病苦のどん底に落ちて行く悲惨。 >数多くの太平洋戦争の戦場の中でも、ガダルカナルが、19443月に始まったインパール作戦に次いで愚かな戦いだったといわれる。  

 

そうですね。無謀の一語に尽きる作戦ぞろいですね。    

 

> 全体状況を正確に捉えようとせず、自軍の能力を過大評価し、敵をなめてかかって強気一辺倒で押す。  

 

 '敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)    

 

>兵力を小出しにして撤退を考えない。   

 

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)   

 

>補給や通信・連絡を軽視する。

 

 皇軍は神経系の鈍い集団でしたね。     

 

>陸軍と海軍の連携が皆無……。   

 

御国の守り陸海軍というのは単なる語呂合わせだったのですね。序列社会 (上下社会) の致命的な盲点ですかね。横には通じていない。          

日本文化には、形式があって内容がない。だから、人々には質問する機会も無く、社会に恨みが募るばかりである。万機公論に決すべし。         

 

>そして、その根底にあったのが軍人勅諭で「死は鴻毛よりも軽し」とされた根本思想。   

 

人の命は地球よりも重いと考えるべきでしたね。     

 

> ガダルカナルから旭川に帰還した幽霊部隊は、そうした人命を軽視した愚かな戦争に対する無言の怨嗟の表れであり、80年後のいまも、あの戦争の本質について考える重要な素材なのではないか。   

 

そうですね。日米の文化の差を見せつけられましたね。日本人には批判精神がないから、責任者への責任の追及ができない。それで至る所に幽霊部隊が出現しますね。      

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将もいち早く投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はないのか。人命は鴻毛よりも軽く考えられていたためであろうか。  

 

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半藤一利  

2022-08-13 22:31:03 | 文化

>陸軍の武器は想像を絶するほど旧式だった…無謀な戦争に突入した日本に本当に足りなかったもの   > ロシアに大敗した日本がアメリカに挑んだ情けない理由   >PRESIDENT Online   >半藤 一利   >作家

(略)   

>1939年のノモンハン事件で日本はロシア(旧ソ連)に大敗したにもかかわらず、それ以降も無謀な作戦で敗戦を重ねていった。   

>日本には何が足りなかったのか。2021年に亡くなった作家・半藤一利さんの著作『昭和と日本人 失敗の本質』(角川新書)から、一部を紹介する――。   

>※本稿は、半藤一利『昭和と日本人 失敗の本質』(角川新書)の一部を再編集したものです。   

>不問にされた無謀な「戦争」   

>昭和十四(一九三九)年九月一日、百五十万のドイツ軍部隊が、ポーランド国境を越えて攻撃を開始する。   

>第二次世界大戦のはじまりである。   

>このヨーロッパ情勢の激変もあり九月十五日、ノモンハン付近の国境線をめぐる日ソ戦は早急に停戦協定が結ばれ、終結した(角川新書編集部注:昭和十四年五月に始まったノモンハン事件で、関東軍は大本営の方針に背いて戦線拡大したが、ソ連軍の優勢な火力により第二十三師団壊滅の大敗を喫した)。   

>歴史に「もしも」はないが、あのまま戦闘がつづけられていたならば……は、「運命の十年」を考える上で絶好の面白いテーマとなる。   

>つまりは、日本はこの事変から何を学んだか、ということに帰結するのであるが。   

>ところが、組織というものは今日もまた同様で、失敗の研究を徹底的にし、その責任を明らかにしようとはしないものである。   

 

残念ながらそうですね。   

 

>文字面としての各論は一応は残すが、頂点まで責任の及びかねないことは「そこまで」でとどめるのを常とする。   

 

日本人には意思がありませんからね。 意思の無い人には責任もありませんね。 これは日本人の通例ですね。    

 

>この場合はまさにその典型となったのである。

>陸軍の火砲は想像を絶するほど旧式だった   

>翌十五年一月、陸軍中央に設けられた「ノモンハン事件研究委員会」はその結論となる報告をまとめている。   

>それは、作戦計画や戦闘そのものの調査研究はもとより、統制・動員・資材・教育訓練・防衛および通信・ソ連軍情報など多岐にわたるものであった。   

>それぞれの「報告」では核心をついたことがいくつも記されている。   

>たとえば、「……火力価値の認識いまだ十分ならざるに基因してわが火力の準備を怠り、国民性の性急なると相まち誤りたる訓練による遮二無二の突進に慣れ、ために組織ある火網により甚大なる損害を招くにいたるべきは、深憂に堪えざるところなり」とある。   

>これはもうそのとおり。   

>ノモンハン戦で、もっとも勇敢に戦った第二十三師団野砲第十三連隊の実情をみれば、「火力の準備を怠り」の事実はシロウトにも納得させられる。   

>この師団砲兵が機械化の遅れた輓馬砲兵であったことはさておいても、その火砲は想像を絶するほど旧式であった。   

>たとえば、歩兵直接支援とはいえ近距離用の三八式七五ミリ野砲は、全陸軍中もっとも古い明治三十八(一九〇五)年制式の代物で、ほかのどこの師団も使用していなかったのである。   

(略)  

>途中から「白兵突撃あるのみ」と焦点がズレていく    

>ところが、「報告」はこのあとに「優勢なる赤軍の火力に対し勝を占める要道は一に急襲戦法にあり」という余計な文章を加え、せっかくの正しい判断をぼかしてしまう。   

>日本陸軍の骨髄をなす白兵突撃の尊重は狂信の域に達していたらしい。   

 

日本人は、切った切られたの個人対個人の勝負に持ち込みたいのですかね。     

 

>それゆえに、総判決はまことに怪しげなものとなっている。   

>「戦闘の実相は、わが軍の必勝の信念および旺盛な攻撃精神と、ソ連軍の優勢なる飛行機、戦車、砲兵、機械化された各機関、補給の潤沢との白熱的衝突である。   

 

精神主義が物質主義を凌駕するところ世間の人に見せたかったのですかね。   

 '敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)   

 

>国軍伝統の精神威力を発揮せしが、ソ連軍もまた近代火力戦の効果を発揮せり」

>そして当然のことながら、ここから導き出される結論は、「ノモンハン事件の最大の教訓は、国軍伝統の精神威力をますます拡充するとともに、低水準にあるわが火力戦能力を速やかに向上せしむるにあり」

 

低水準の向上が急務でしょうね。    

 

>どの計画も実行不可能は目に見えていたが…     

>こうして根本となるべき作戦指導者の杜撰かつ独善的な作戦計画と、前後を考えぬ無謀そして泥縄的な戦争指導は不問とされ、闇に消えていってしまっている。   

 

話の筋が通らないから議論はできませんね。ただの言いっぱなしになる。歌詠みと同じ結果になる。    

 

>しかも事件後に一新された参謀本部には、総判決にいう「火力戦能力を速やかに向上」というお題目を突きつけられても、どうにも施すべき妙策もなかった。   

 

日本人には意思がない。だから、責任もない。伝統的にどうしようもない。   

過去の内容は変えることができないが、未来の内容は変えることができる。しかし、それには無為無策のその日暮らしでは望み無しである。未来の内容を自己の意思として示すことが必要である。

日本人には意思 (will) がない。つまり、無心である。意思は英語の未来時制の文の内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思を内容とする文を作ることができない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がないので仕方なく無為無策でいる。それで、おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようです。この暮らしぶりで成功すると、受け売りと後追いの専門家になりますね。未来を先取りしない人は指導者としては適当でない。  

自己の意思を示せば、当事者・関係者となる。示さなければ傍観者にとどまる。日本人には意思がないので、常に傍観者にとどまっている。序列関係のない深刻な事態には高みの見物をしている。わが国は世界の中にあって、世界に属していない。  

 

>せいぜい「修正軍備拡充計画」とそれに並行する「支那派遣軍の兵力整理」に着手するのがやっとで、しかも、いずれの計画も実行不可能は目に見えていたのである。   

>しかし、このとき、救う神があらわれた。   

>昭和十五年五月十日、ドイツ軍は矛先を西部戦線に転じ、ベルギー、オランダを攻撃。   

>マジノ線を突破してパリへの電撃的な進撃作戦を開始した。   

>そして六月十四日にパリが陥落する。

>焦燥と無力感にうちひしがれていた陸軍中央は生き返る。   

>「支那の兵力を減らすことばかり算盤をはじいて支那逐次撤兵まで決めていた陸軍省軍事課が、すっかり大転回して対南方強硬論をとなえた。   

>これからすぐシンガポール奇襲作戦をやれ、というのである」(種村佐孝『大本営機密日誌』芙蓉書房)という形容のしようもないハシャギようとなるのである。   

(略)   

>ノモンハン事件の責任者たちが舞い戻ってくる   

>すなわち、昭和十五(一九四〇)年夏ごろから、日本には奇妙なほどに「南進」の大合唱が沸き起こってくるのである。   

>ノモンハン事件の翌年に成立した第二次近衛内閣は、七月二十七日には大本営政府連絡会議が陸軍の主導のもとに「武力を用いても南進」という重大な国策を決定する。   

>根拠なき自己過信、驕慢な無知、底知れない無責任と評するのは容易である。   

>が、いまの日本も同じようなことをやっているのじゃないかと、そんな観察ができるだけに、情けなさはいや優る。   

 

日本人は変わりませんね。   

 

>いや、それに輪をかけて情けないことがその後につづいて起こっている。   

>関東軍において辻政信参謀とともに、ノモンハン事件をミス・リードした最大の責任者の一人、服部卓四郎中佐がその年の十月には参謀本部作戦課へ栄転してきた。   

>彼はただちに作戦班長となり、翌十六年には作戦課長に昇格し、八月には大佐に進級する。   

>辻少佐はやや遅れるが、服部が課長になった少し後の十六年七月にひっぱられて参謀本部員の作戦課作戦班長として服部課長を補佐するようになる。   

(略)    

>慎重派を切りすて、またもや杜撰な作戦を立てる   

>辻を中央へ呼び寄せることに、当時の作戦課長土居明夫大佐が猛反対した。   

>「絶対に駄目だ。君と辻を一緒にしたら、またノモンハンみたいなことをやる……」と。   

>半藤一利『昭和と日本人 失敗の本質』(角川新書)半藤一利『昭和と日本人 失敗の本質』(角川新書)   

>しかし、班長の服部の部内策謀のほうが上であった。   

>作戦部長、田中新一少将は慎重派の土居を切りすてた。   

>かわって課長に昇進した服部は、いまや南進論の第一人者になっている辻を呼び寄せる。   

>昭和十六年七月、こうして服部・辻のコンビを中心に三宅坂上(陸軍参謀本部のあった場所)は東南アジア進攻一色にそめあげられていった。   

>辻はその著『ガダルカナル』に例によって得意げに書いている。   

>昭和十七年七月に出張で台湾に飛んだときの感想である。   

>「台湾研究部が店開きをし、その部員に選ばれて初めて南方研究の第一歩を踏みだしてからまだ僅か一年有半、南方作戦の編制装備や訓練を真面目に考え始めたのは十六年の正月元旦からだった。   

>わずか半年の研究で現地の作戦計画をたて、数カ月で発動したのが太平洋戦争なのだ」    

>またしても杜撰な、泥縄的計画で対米英戦争へ引っ張っていったのか、という批判はもうやめる。   

>あに辻のみならず、開戦前の三宅坂上の南進論の合唱はまこと騒然たるものであった。   

 (略)   

>ノモンハン敗戦の後遺症は政治にも影響   

>いや、軍部ばかりでない。   

>第二次近衛内閣はその組閣前の首相、外相、陸相、海相の候補との会談で、日独伊三国同盟の強化とならんで、日ソ不可侵条約締結を外交方針として早々ときめている。   

>さらに七月二十二日の大本営政府連絡会議で「速やかに独伊との政治的結束を強め、対ソ国交の飛躍的調整をはかる」ことを正式に国策とする。   

>どちらも陸軍中央の原案にもとづく決定なのである。   

>ソ連を主敵としてきた明治いらいの国策はどこへいったのか。   

 

日本人の豹変ですね。無哲学・能天気の表れですね。        

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)     

 

>これはもうノモンハン敗戦の後遺症以外のなにものでもないのではないか。   

>陸軍は羮あつものに懲り懲りしたのである。   

>それが政治の分野にまで大きく浸透し影を落としていた、というほかない。   

>そこに、やがて日本の主要外交路線となった「日独伊ソ四国同盟」という夢みたようなことが主張される温床もあった。   

 

空想・妄想の類ですね。お陰様で、わが国は漫画・アニメの大国になりました。   

 

>昔も今も変わらない日本の「情けなさ」とは    

>ノモンハン事件の衝撃波は、どのくらいの強度と持続性とを日本の軍政関係に与えていたことか。   

>実のところ、ノモンハン事件の研究は、戦況についてはかなり進んできているが、その政治的な意義についてはほとんど着手されていない。   

>そこに今後の問題があるであろう。

>それにしても、日本はかつて、そしていまも、自身の構想はなく、常に外側からの圧力によって軌道を修正し、調節して、政策らしきものをつくってきたようである。   

 

そうですね。日本人は思考を停止していますからね。能動が無くて受動ばかりで動いている。だから、責任感がない。加害者意識がなくて、被害者意識ばかりがある。だから、信頼できない。            

 

>情けないというのはその意でもある。   

 

情けなき身にも哀れは知られけり。   

 

>「好機南進」の戦略的政治情況は、目先のきく服部や辻が巧みに舵をとって造ったものか、あるいはその風潮に彼らが乗ったのか、それは定かではない。   

>しかし、二人とももはや「北」には目を向けなかったのは確かである。   

>かわりに「南」へ、対米英戦争への道を強力に切り開いていった。   

 

気分一新ですね。   

 

>このコンビにとってのノモンハン事件のもっとも悲しくも情けない戦訓は、それであった。   

 

臭い物に蓋をする’ ですね。    

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

 

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奥泉光氏・加藤陽子氏  

2022-08-11 05:06:40 | 文化

>東洋経済オンライン   >敗戦した日本軍の描写が今の日本と似る事の意味 歴史に学んで日本的組織の弱さを考え直す   > 奥泉 , 加藤 陽子 2022/08/10 18:00  

 ()  

>小説家・奥泉光さんと歴史家・加藤陽子さん。   >戦争とその物語を知り尽くした二人の対話から、「戦後」も77年になろうとする今こそ、「日本人と戦争」について改めて考えたい――。  >必読史料から手記・文芸作品までを読み解きながら展開される対談を収めた『この国の戦争――太平洋戦争をどう読むか』から一部抜粋、二人がとくに推す「いま戦争を考えるための必読本」を3回連載で紹介します。   >3回は、軍隊という組織に明晰な分析をくわえ、いまの日本のことを書いているとしか思えない、山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』をめぐる対話をお届けします。

 

日本人は変わりませんね。日本語を使って考えるからでしょうね。      

 

>いまの日本のこととしか思えない  >加藤 陽子(以下、加藤):いま、日本人の戦争について問い直すのなら、山本七平は欠かせません。   

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>奥泉 光(以下、奥泉):『一下級将校の見た帝国陸軍』(初版1976年、文春文庫、1987年)は名著ですね。   

>加藤:私もそう思います。 >何度読んでも、その度に新しい発見があります。   

>奥泉:いままさに読まれるべきだと思う。

>加藤:ある台湾からの女性の留学生が、この本はすごく面白かったと言っていました。 >なぜかと言えば、日本の組織を理解するのに役立つと。 >これを聞いたとき、そのようなものかなと思ったのですが。

>奥泉:現在の日本のことを書いているとしか思えない。   

 

日本人は戦前・戦後で変わっていませんね。   

 

>加藤:一つ一つの描写が明晰なんです。  >文章が。   

>奥泉:自身の体験に深く裏付けられながら、非常に明晰な分析をくわえている。  >これ以上に怜悧な日本陸軍、ひいては当時の日本の国家体制に対する分析はないと、今回読んでまた思いましたね。   

>加藤:同感です。   

>奥泉:繰り返しますが、いまのことを書いているようにしか思えない。   >組織の自転の問題とか、員数主義――形式さえ整えばそれで良しとする官僚制の持つ根本的な特質とかね。  >興味深い指摘がいっぱいある。   

>加藤:私がまず挙げたいのは、冒頭近くの次の箇所です。  >学生である山本が初めて徴兵検査を受けにいくと、「机の向こうの兵事係とは別に、こちら側の学生の中で、声高で威圧的な軍隊調で、つっけんどんに学生たちに指示を与えている、一人の男を認めた。 >在郷軍人らしい服装と、故意に誇張した軍隊的態度のため一瞬自分の目を疑ったが、それは、わが家を訪れる商店の御用聞きの一人、いまの言葉でいえばセールスマン兼配達人であった」。  >いつも愛想笑いを浮かべて、家に出入りしていた、御用聞きの男が豹変していた。 >山本があっけにとられて見ていると、「その視線を感じた彼は、それが私と知ると、何やら非常な屈辱を感じたらしく、「おい、そこのアーメン、ボッサーッとつっ立っとらんで、手続をせんかーッ」と怒鳴った。 >そして以後、検査が終わるまで終始一貫この男につきまとわれ、何やかやと罵倒といやがらせの言葉を浴びせ続けられたが、これが軍隊語で「トック」という、一つの制裁的行為であることは、後に知った」。 >そしてその御用聞きは中佐に対しては「もみて・小走り・ゴマすり・お愛想笑いと、自分を認めてほしいという過大なジェスチュアの連続であった」。   

 

大きくなったり小さくなったりして見せるのは日本人の礼儀作法ですからね。上下社会 (序列社会) の習慣です。それが奇異であると見えるのはまともな人間の判断ですね。      

 

>この「一瞬の豹変」を「事大主義」として、いかにも日本人的現象と分析していくわけですが、これは伊丹万作なんかもしょっちゅう言っていますし、また、丸山眞男の言う「亜インテリ」より少し下になると思いますが、軍というものは、国家が戦争中でなければ、おそらく一生、人さまに命令など下せなかった人たちを浮上させます。  

 

正に戦争中は異常事態ですね。   

 

>そのように浮かび上がってきた人々を、平時において上流・中流階級の側にいた人々が揶揄的に批評するのは、もちろん一つの語り方なのですが、それに「事大主義」という言葉をあたえて書くというのがすごいですよね。  

 

寄らば大樹の陰ですね。事大主義はお隣の朝鮮民族にもある主義ではないでしょうか。      

 

>日本的組織はこういうふうにできている    

>奥泉:ほかにも「だれも知らぬ対米戦闘法」の章とかは本当に面白いですよね。 >1943(昭和18)年8月の中頃に「本日より教育が変わる。 >対米戦闘が主体となる。  >これを「ア号教育」と言う」と区隊長から聞かされる。   >いまごろになって? と山本は衝撃を受ける。 >「危機は一歩一歩と近づいており、その当面の敵は米英軍のはず。  >それなのにわれわれの受けている教育は、この「ア号教育」という言葉を聞かされるまで、一貫して対ソビエト戦であり、想定される戦場は常に北満とシベリアの広野であっても、南方のジャングルではなかった」。 >昭和188月になってようやく対米戦争に教育方針を変えると決定される。 >でも、結局は変えられなかった。 >なぜ変えられないかが分析されて、一つの結論として、「私には連隊のすべてが、戦争に対処するよりも、「組織自体の日常的必然」といったもので無目的に〝自転〞しているように見えた」。 >これですね。  >「事実、この膨大な七十年近い歴史をもつ組織は、すべてが定型化されて固定し、牢固としてそれ自体で完結しており、あらゆることが規則ずくめで超保守的、それが無目標で機械的に日々の自転を繰りかえし、それによって生ずる枠にはめられた日常の作業と生活の循環は、だれにも手がつけられないように見えた」。   

 

そうですね。日本人の文化には正式 (規則) があって内容 (考え) が無い。だから、日本人はいやが上にも形式的な生活に囚われざるを得ません。    

 

>いやあ、そうだったんだろうなと、つくづく思うんですね。 >ここは一種の結論を言っているところですが、ここに至る洞察も非常に的確で、まったくそうだなとしか言いようがない。  >組織に固着する形式主義というか、超保守主義というか……。  

 

形しかないのだから、形に拘らなくては全てが霧散する。ああ空しい。だから超保守主義にならざるを得ません。     

 

>加藤:日本人が前例主義と保守主義を打破しうるのは、明治維新などの例を考えてみても、上から下までの国民全部にわたる強烈な敗北体験と危機意識なのではないでしょうか。  >盤石無比だと思われていたものが、ある日、あれっという間に崩れることがある。   

 

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)  

日本人には哲学がない。だから、日本人は正しい考え方というものを知らない。英米流の高等教育が日本では成り立たない。      

 

>軍隊の不条理の分析が素晴らしい    

>加藤:もう一つ、実のところは文弱ではなかった人である山本七平の面目躍如といった描写が光るのは、「死のリフレイン」という章です。 >フィリピンのジャングルの中、川を渡る場面、大変に重い山砲を移動させるのがいかに大変であったか。 >「理由は、この砲は非常に座高が低いから、車輪つきで繫駕のまま曳いて水流を渡ろうとすれば、せいぜい膝までの浅瀬が限度である。  >だがこの砲は、小型のくせに、その外形からは想像もできぬ重量をもっていた」。  >車輪が川底の何かにはまりこんで転倒しないようにしたり、あるいは分解搬送するにしても、軍靴の底がつるつるとすべる川底を、曲芸のようにして渡らねばならない。  >これをやった人たちなんですよね。 >対ソ戦向けに作られた山砲が南方戦線でいかに役立たずであったか、読んでいただけでもう胸が潰れる思いがしました。  

 

その状態は基本的には今日でも同じですね。わが国には人手不足はあっても、頭脳不足は存在しません。   

 

>そのように見てきますと、奥泉さんの『浪漫的な行軍の記録』(初版2002年、『石の来歴・浪漫的な行軍の記録』講談社文芸文庫、2009年)で本当に感心するのは、もちろんこの山本七平をご覧になった上でも書かれているでしょうけど、この山砲という兵器の描き方ですね。 >第一分隊には真正の砲が割り当てられたが、「私」が属する第二分隊にはダミーの砲が割り当てられます。   

>これが「国体の精華」と名付けられるんですね。  >この「国体の精華」がもっとも優れた砲である理由。 >「移動ともなれば、我が「国体の精華」は絶大なる威力を発揮する。 >そのなんと軽快にして俊敏な機動性であることか!   >あらゆる世界の軍事史において、「国体の精華」以上に高い運動性を有する大砲は存在しないのであった」。 >この風刺。  

 

まるで漫画ですね。    

 

>そして、この二つの大事なものを踏まえて、もうフィリピン戦、レイテ戦、何に困ったかというと、山砲であると。  >私は泣き笑いしながら読みました、素晴らしいです。 >面白すぎる。

 

山砲にはノータリンの民族性が良く表れていますね。    

 

>奥泉:馬で引っ張ることが前提になっているのに馬がいない。 >そんな不条理が軍隊にはたくさんあって、なぜそうなるのかの山本七平の分析が素晴らしい。 >一口でいうと、形式主義、員数主義ということですね。  

 

そうですね。日本人の文化には形式 (規則) があって内容 (考え) が無い。内容が無いのは、日本人が思考を停止しているからですね。    

 

>実情とは関係なく、作文された報告の辻褄さえ整っていればそれでよいとされる。   

 

現実離れをしているのですね。それは空想かな。妄想かな。お陰様でわが国は漫画・アニメの大国になりました。       

 

>それが積もり積もれば、あきれるほど実体はすかすかになる。 >何もできない状態になってしまう。 >この分析は、いまの日本の組織に対してもなおリアリティのある分析になっていて、優れているなとつくづく思いました。    

 

そうですね。山本七平の洞察力は鋭いですね。   

 

>加藤:優れていますね。   

>やがて教育どころではなくなっていく……     

>加藤:幹部候補生教育がまだ2年やられていたときと、もう速成の半年間だけという時期とでは違っていて、陸軍は学生を信用しない組織だとか言われていても、抽象的な思考力に長けているという点では学生を採りたかったというのも半分あると思います。 >超促成教育で飛行機の操縦士にするには、やはり高等教育を受けた人が必要となりましょう。 >山本七平の出身校である青山学院も「アーメン」大学とか揶揄的に書かれてしまっておりますが、そこにいた文弱であったはずの人をここまでの将校にできたというのは、逆に言えば、戦争をする国の「教育」はなかなかにすごいぞということも意味しておりまして、そこは少し感心しました。  

 

それは本人が考える人であったからでしょうね。   

 

>奥泉:なるほどそれはそうですね。   >山本七平は1942(昭和17)年秋の入隊で、豊橋の砲兵学校で教育を受けている。   >昭和17年段階ではまだそういうシステムが、「組織の自転」といえどもあった。  >しかし翌年から学徒出陣がはじまって、そこからはもうちゃんとした教育とかいう話じゃなくなっちゃう。 >システムは瓦解して、入隊即現地での教育になる。  >しかもそもそも現地へ行く前に輸送船が沈められてしまう。  

 

制空権も制海権もないのですから、輸送船は役立たずでしたね。    

 

>その世代の人たちがいちばん亡くなっています。 >その直前に山本七平は予備学生で軍隊へ入ったわけで、彼の観察と洞察が残ったのはよかったと思いますね。  

 

そうですね。山本七平はわが国の宝ですね。    

 

>ぜひ読まれるべきです。   

 

そうですね。   

 

>加藤:あと本文中の地図や写真、イラストも本当に大事です。   

 

 

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日本は舐められる  

2022-08-09 10:03:55 | 文化

>なぜ日本は国際社会で舐められるのか   >気に入らない相手に圧力行使も辞さない米中露、日本も必要な時は刀を抜くべき   >2022.8.8(月)   

(略)  

>日本に必要な韓国に対する圧力  > 日本の方法に慣れた国際社会は米国、ロシア、中国は恐れても、日本のことは甘く見るという態度を取るようになった。   

 

そうですね。日本は歌詠みの国ですからね。力はありませんね。意味も無い。腰が抜けています。   

 

> 例えば、強力な同盟国の米国でさえ、日韓間の過去の歴史と関連した問題が発生するたびに、ほとんど一方的に韓国側の意見を聞き入れた。  

 

日本人には主張というものがありませんからね。相手の言うことを聞くしかない。       

 

>ドイツや米国などの海外で、慰安婦像関連の紛争が起こっても、日本の立場が反映されて銅像が撤去されたケースはほとんどない。   

 

慰安婦は良くないことですからね。 韓国は強い。  

 

> 外国の地方自治体も、日本を甘く見ているということだ。   

 

そうですね。日本には見るべき主張がありませんからね。    

我が国のように国民が思考を停止している国にはどのような特徴があるでしょうかね。

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)    

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

 '日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。'  (ウスビ・サコ)   

 

> 日本を甘く見る態度は、ユネスコなどの国際機関にまで広がっている。 >世界遺産登録や日本海/東海の表記問題を見ても分かるように、関連する国際機関が、韓国の一方的な主張に迎合する事態にまでなっているということだ。   

 

求めよ。さらば与えられん’ ですね。Ask, and it will be given to you. 韓国は求めている。   

 

> 頻繁に刀を抜いて振り回す(つまり圧力をかける)、米国、ロシア、中国の態度も問題だが、刀を鞘から抜かずに、主に協議と合意を通じて問題を解決しようとする日本も問題である。   

 

日本人がとりわけ雄弁であるとか、交渉上手というわけでもありませんからね。日本人にはいかなる手段に自信があるのでしょうかね。      

 

> 刀を抜かなければケガをすることがないということは、確かな長所だ。   

 

処世術 (損得勘定) によれば、’かすり傷一つ受けても損は損’ ですね。義を見てせざるは勇無きなり。      

 

>米国、ロシア、中国は、相手に向かって刀を振り回すことで、当初の目的を達成するが、その過程において、相手から様々な傷を負わされる場合も多いのが現実である。   

 

そうですね。不注意は怪我の元。   

 

> だが、傷は負うけれども、その代わり、米国、ロシア、中国を甘くみて攻撃してくる国はない。   

 

そうですね。彼らは猛毒のガラガラヘビのようなものですね。噛まれたらただでは済まない。皆が注目していますね。    

 

>したがって、米国、ロシア、中国は、他国からの名誉毀損にあうことがほとんどない。 >ましてや、嘘や捏造による名誉毀損など、あるわけがない。   

 

彼らは要注意国ですからね。日本人には名誉がない。     

 

> ひょっとして、今日、日本は、相手から受ける傷が恐ろしくて、決断を下すことができずに、刀を鞘に納め、大事に保管しているのかもしれない。  

 

そうでしょうね。わが国では個人主義が発達していませんからね。意思決定のできる個人がいませんね。 人々に個人を育成しようとする努力などは何処にもありませんね。     

 

>協議と合意だけで、問題を解決しようと思うならば、日本は、今後も国際社会から冷遇されて、不当に名誉棄損される不利益を甘受しなければならないだろう。   

 

没個性の国柄では立つ瀬がありませんね。日本人はご唱和の世界に住み続けています。    

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘仮名漢字’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。        

 

(略)      

 

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