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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

東郷克己市議  

2022-08-26 18:42:31 | 文化

>「やましいことも、説明責任もない」 統一教会関連団体所属の市議弁明   >2022824 9:31  

> 滋賀県野洲市の東郷克己市議が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)関連の政治団体「国際勝共連合滋賀県本部」の会員だった問題で、東郷市議は23日の市議会全員協議会で「やましいことは全くない」と弁明した。  > 東郷市議は「お騒がせした」と陳謝する一方、「法律や倫理道徳に触れたことはない。  

 

そうでしょうね。しかし、国際勝共連合が法律や倫理道徳に違反したことはあるでしょう。   

 

>政治家としての結果で判断してほしい」と述べた。  > また、会派代表者会議を経て議員らから送付された11の質疑を全て拒否したことについて「信教の自由、思想・信条の自由があり、これに反する質問には答えられない」と回答。  

 

残念ながら東郷市議は議員らの調査に非協力的ですね。    

 

>「政府の公式な定義が定まらない中、反社会的勢力と決めつけた批判や質疑は恣意(しい)的で人権侵害につながりかねない」と批判した。   

 

政府は反社会的勢力の公式な定義を定めたらよいですね。   

 

> 出席した市議からは「社会的に問題があるとされる団体の現職会員が市議として活動していることに疑念が生じている」   

 

市議は現職会員の立場を利用して社会問題の解決に積極的に取り組んで欲しいものですね。   

 

>「公職の立場で質問に答えないのは大変遺憾」といった意見が出た。 > 会合後、東郷市議は取材に対し、「私に説明責任はない。 >説明しないといけないようなことを、そもそもやっていない」と話した。  

 

東郷市議は説明しなければいけないことはやっていないでしょうね。しかし、東郷市議の属する国際勝共連合の会員の行為は説明を要するものではありませんか。そのことを調べて説明していただけると助かりますね。     

 

日本人は全員一致して同一行動がとれるように、千数百年にわたって訓練されている。日本人には意思がないので責任もない。責任者のいない所で日本人は全員一致して同一行動がとれる。太平洋戦争の時にも一人のナポレオンもレーニンも毛沢東も必要でなかった。そして戦いに敗れた時にも戦争の責任者は出なかった。日本人には個人主義の観念が無く、個人に属する考えもない。だから、説明責任も難しい。       

 

 

 

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長曾敏雄氏  

2022-08-26 11:33:51 | 文化

>「不戦の思いどこへ」沖縄戦で息絶えた父 “形見”の小石に詰まる酷薄な現実   >2022/8/19 10:30 (JST)8/19 10:51 (JST)updated  

>戦死した場所のものとされる石。  >長曽敏雄さんは「どこの石なのか、はっきりしたことは分からない」とつぶやく(京都府南丹市園部町) > 「鉄の暴風」と呼ばれるほど無数の銃弾が飛び交った沖縄戦。>父を亡くした京都府南丹市園部町の男性宅の仏壇には、小さな石が安置されている。 >父が戦闘で倒れたとされる沖縄県宜野湾市で採集されたという。  >石は、遺骨も遺品も家族の手元に戻さないという戦争の酷薄さを静かに伝えている。   

 

遺骨も遺品も家族のもとに戻らないのは、沖縄戦が日本の負け戦であつたことと関係があるのでしょうね。  

 

> 園部町熊崎の長曽佐太郎さんは、1945419日、宜野湾市で亡くなったとされる。 >どんな最期だったのかはもとより、死去の日付さえ、事実かどうかは不確かだという。 >遺骨も遺品も届かず、家にあるのは石だけだ。 >5センチほどの石は黒っぽく、一部が欠けている。>佐太郎さんの長男敏雄さん(85)=同町=は「本当に現地の石なのかどうかも分からない」と声を落とす。   

 

残念ですね。本当に沖縄の石なのですかね。   

 

> 佐太郎さんは44年に出兵。  >幼かった敏雄さんには、住民の見送りを受ける佐太郎さんの後をついて歩いた記憶がおぼろげにあるくらいだという。 > 園部町遺族会会員の敏雄さんによると、佐太郎さんを含め、24人の同町出身者が沖縄戦で命を落とした。  >20代前半が多く、35歳で亡くなった佐太郎さんは同町出身者の中では最年長だった。  

 

軍隊は20代前半の人を好むのでしょうね。    

 

> 敏雄さんは2007年、日本遺族会の事業で、全国各地の遺族と宜野湾市を訪れた。 >詳しい人の案内で、亡くなったと推測される辺りへ足を運んだ。 >かつてのサトウキビ畑はなく、住宅街が広がっていた。 >少しばかりの空き地を見つけ、録音したお経を流して手を合わせた。 >激戦の痕跡は既になく、「この辺りで亡くなったのかな」と思うばかりだったと振り返る。   

 

そうでしようね。2007年は、もう戦後ではありませんからね。   

 

> 沖縄戦では、日米双方で計20万人超が犠牲になった。 >一般住民は推計で約94千人を占める。 >「軍人はやむを得ない面があるにせよ、住民が巻き添えで亡くなったのはとても気の毒だ」。  

>かつての戦地にたたずみ、敏雄さんは戦争の無残さを感じたという。  

 

ロシアのウクライナ侵攻でも住民が巻き添えになって亡くなっていますね。ロシアの暴挙に沖縄の人は声を上げることはないのですかね。      

 

> 米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設が進む。 >沖縄戦犠牲者の遺骨が混入した土砂が埋め立てに使われる可能性が取りざたされている。

 

沖縄には遺骨が混入していない土砂もあるでしょうにね。   

 

>敏雄さんは「移設が良いか悪いかという問題は抜きにして、人の尊厳という観点から、遺骨を含んだ土砂を使うべきではない」と強調する。   

 

そうですね。   

 

>佐太郎さんの骨は、沖縄で今も眠っているとみられる。  >敏雄さんは、遺骨を含んだ土砂を埋め立てに用いないよう求める請願の提出に関わり、南丹市議会は2112月定例会で意見書を可決した。   

 

意見が当局に聞き入れられると良いですね。   

 

> ロシアがウクライナに侵攻し、中国が軍事的圧力を強める台湾問題も緊張の度合いが増す。  >国際情勢を踏まえ、日本では、憲法9条への自衛隊明記や敵基地攻撃能力の保有を求める声が一部で高まる。

 

不戦の合意に達しない場合でも、十分な抑止力だけは必要ですね。  

 

>「終戦から77年。 >戦争は決してしないという思いが薄れてきている。   

 

戦争は相手国のあることですからね。自分のみならず相手にも不戦の誓いをさせることが平和を実現する必要条件ですね。それが我々の腕のみせどころとなるでしょうね。      

 

>(日露戦争などから)大きなサイクルで大戦へと突入したように、日本が再び同じように頭を突っ込んでいく気がする」。  

 

戦争は自然現象ではありませんね。政治家による人災ですね。相手を殺さなければ自分が殺される立場に人間を立たせて政治問題を解決しようとする方策は人道に反しますね。我々は政治家を注意深く監視する必要がありますね。        

 

>戦争の現実が詰まった石塊(いしくれ)を手に、敏雄さんは目を伏せた。   

 

どのような相手であっても、自分が話せばわかると信じたいですね。    

 

 

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不可解  

2022-08-25 14:11:34 | 文化

>不可解なり、統一教会への怒り起こらず   >コダマの核心2022年8月18日 16:40  

>さまよう故・安倍晋三氏   

>国会 夕暮れ イメージ    殺害されて10日が過ぎた時点で、安倍晋三氏の霊がさまよっていた。   

>「自分が死んだことすら認識がなかった」旨をレポートしたことがある。   

>神気に通じる友人Aの話であった。   

>Aは盆に晋三氏の霊と接触した。   

>霊は「どうして私は殺されなくてはならなかったのか」と問いかけてきた。   

>霊はまだ天空をさまよっているのである。   

>Aは死後49日に高尾山薬王院で護摩焚きを行い、成仏させるつもりである(護摩炊きとは、故人を安らかに成仏させるインド発祥の儀式)。   

> しかし、Aは悔やむ。   

>「安倍家はもともと浄土宗である。   

>この宗教には故人を成仏させるための引導を渡す術がない。   

>高尾山薬王院で護摩焚きをするにしても、高僧でしか天国へたどりつかせることができない」。   

>一息入れて、「故人は下手をすれば永遠にさまようことになるかもしれない。   

>現世では、弟の岸前防衛大臣を筆頭に誰もが安倍先生の敵討ちをすると高言していない。   

>そのため、故人はこの世に未練を残したままで悔しくて悔しくて、成仏できないのであろう。   

>本音は国葬よりも仇を討ってくれと頼んでいるのだ」と推測する。   

 

日本文化の特徴は形があって内容がないことである。世界観 (過去・現在・未来、前世・現世・来世) の内容がないからそれだけ余計に形に強くこだわることになる。

この傾向は、わが国に改革運動の必要な時に改革が進まない原因にもなっている。   

内容を言って聞かせても日本人は受け入れる気配はない。思考していないから、形に拘る。その結果、日本人は筋金入りとなっている。日本語は写生画の言葉であるから、非現実は写生の対象にはならない。だから、日本人の口から考えというものは出てこない。哲学と宗教の理解が難しいのはこれらが非現実 (考え) だからである。        

印欧語族の人は考える。非現実の内容をもっている。彼らの系統的な考えは哲学になる。西洋人の考えはスコラ哲学になり、インド人の考えはインド哲学になった。印欧語族には病める魂の持ち主もいる。意思があり、加害者意識があり、罪の意識があるので病める魂の持ち主も存在する。悩める魂の救済方法として釈迦は涅槃を教示し、ジーザスは贖罪を教示した。

日本人は無心である。意思がなく、加害者意識がない。あるのは被害者意識ばかりであるから、現実の世の中は実に恨めしく見える。罪の意識がないから、病める魂の救済を求める人もいない。だから、キリスト教も仏教も民と共にはない。わが国では、伝統的な哲学と宗教には関係なく、身近な新興宗教が盛んになっている。そして、恨み辛みの話し合いばりが行われている。        

 

 

 

 


佐藤優氏  

2022-08-23 03:50:21 | 文化

>本当なら沖縄戦も原爆投下も避けられた…日本人を「戦争の悲劇」にたたき落としたスターリンの二枚舌   >佐藤優「スターリンは日本と戦争をやりたくて焦っていた」   

>日本は1945年8月に無条件降伏している。   

>ただ、その半年前の2月には「英米には勝てない」としてソ連に和平の仲介を頼んでいた。   

>元外交官で作家の佐藤優さんは「ソ連が和平を仲介することはなかった。   

>スターリンには日本に武力で侵攻する狙いがあり、ソ連の参戦前に戦争を終結させるわけにはいかなかった。   

>その結果、沖縄戦や原爆投下といった悲劇が起きた」という――。   

>「終戦記念日」よりも重要な日   

>8月15日は終戦記念日です。   

>しかしこの日を記念日にしている国は、日本のほかに韓国と北朝鮮くらいでしょう。   

>韓国では「光復節」。   

>北朝鮮では「祖国解放記念日」。   

>どちらも、植民地支配から解放された日の記念です。   

>太平洋戦争の終戦に関して、国際法的に意味があるのは、まず8月14日。日本がポツダム宣言を受諾して降伏する意思を、スウェーデンとスイスを通じて、アメリカとイギリスへ正式に伝えた日です。   

>次は9月2日。   

>戦艦ミズーリ号の上で日本が降伏文書に調印し、停戦が成立しました。   

>中国では、その翌日に当たる9月3日を「中国人民抗日戦争勝利記念日」と定めています。   

>しかし法的には、このあとも戦争状態が続きました。   

>1952年4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効して、太平洋戦争は完全に終わりました。   

>国際法から見て重要なのは、この3つです。   

>8月15日は、玉音放送という形でポツダム宣言の受諾が国内に周知された、という意味しかもちません。   

>しかも日本政府は、負けたことをきちんと認めず、「終戦」という言い方をしました。   

>一部の歴史修正主義者は、「あれは軍隊の無条件降伏であって、国家が降伏したわけではない」という理屈を口にしますが、実態で判断しなければいけません。   

>軍隊が無条件降伏すれば、国家も無条件降伏することになります。   

>戦後も天皇制が維持されたのは、アメリカの政策的配慮によってです。   

>歴史的現実は、きちんと捉えなければならないのです。   

>太平洋戦争があと半年早く終わっていたら…   

>たらればですが、太平洋戦争が半年早く終結すれば、沖縄戦は起こらなかった。   

>広島、長崎への原爆投下もなかった。   

>ソ連の参戦もなかった。   

>つまり、朝鮮半島の分断もなかったはずです。   

>1945年2月の時点で日本はアメリカに勝てる見通しはまったくなく、英米との和平を仲介してくれる国を探していました。   

>1945年8月9日、ソ連が日本に宣戦布告し、満州へ攻め込みます。   

>日本はまさにそのときまで、英米との和平の仲介をソ連に期待していました。   

>しかしスターリンは、この年2月に行われたヤルタ会談において、すでに対日参戦を表明していました。   

>イギリスのチャーチル首相、アメリカのルーズベルト大統領とスターリンが集まり、戦後の処理について話し合った際、「独ソ戦が終われば、その3カ月後に日本に宣戦を布告し、南樺太や千島列島を奪い返す」と宣言し、ルーズベルトは承諾しました。   

>ソ連の参戦は、ルーズベルトの依頼にスターリンが応じる形だったからです。   

>しかし日本は、そのことを知りません。   

>日本軍の飛行機を提供すれば、ソ連が和平交渉に応じると思っていました。   

>ソ連に対して、和平の仲介など望むべくもなかった   

 

>ソ連はこの年4月に、日ソ中立条約を延長しないと申し入れています。   

>この条約は翌1946年の4月24日で失効するはずでしたが、あえて通告する意味はわかるでしょうという暗示的な言葉を、ソ連は強く用いました。   

>和平の仲介など、ソ連に対して望むべくもなかったわけです。   

>現実味のない和平仲介の可能性にすがったのは、大きな問題でした。

 

賢い人は「純粋によく観察する」が、そうでない人は「自分の期待したもの」しか見ようとしない。

よく観察するということは現実のただ一つの内容 (事実) と非現実 (考え) の多数の内容を勘案して判断することですね。’オオカミと七ひきの子ヤギたち’ の子ヤギたちには後者がなかった。  

 

>そもそも1943年11月に出されたルーズベルト、チャーチル、中国の蒋介石によるカイロ宣言をよく読めば、はかない希望は抱かなかったはずです。   

>そこには、日本が無条件降伏するまで戦うことと、戦後の処理方針が話し合われていたからです。   

>ソ連が満州への侵攻を早めたわけ   

>私は、今年1月に亡くなった作家の半藤一利さんと、『21世紀の戦争論 昭和史から考える』(文春新書)という対談本を出したことがあります。   

>そこで半藤さんは、こうした見立てをお話しになりました。   

>五月八日にドイツが無条件降伏して、ソ連がドイツの息の根を止めることに成功します。   

>すると、英米はソ連の対日参戦に懐疑的になるんですね。   

>もはやソ連の力を借りなくても日本を叩くことができると考えたんです。   

>何よりも、スターリンの野望に懸念を抱き始めた。   

>スターリンは、戦争終結後の話し合いによってではなく、あくまでも武力で領土を押さえることに固執していましたから。   

>戦後の世界秩序に関わる問題です。   

>そうなると、日本と戦っているアメリカとしては、なんとかソ連参戦前に日本を降伏させたいという考えに傾いていく。   

>ルーズベルトの「無条件降伏」政策の煽りで最後の一兵まで戦うつもりの日本に、一刻も早く手を上げさせるにはどうすればいいか。   

>そこで浮上したのが、原爆だったのではないか。   

>反対に、スターリンとしては、自分たちが参戦する前に、日本に降伏されては困るわけです。   

>半藤さんは、7月17日から8月2日まで行われたポツダム会談の際に、アメリカが原爆の実験に成功したことをスターリンが知っていたかどうか、私に尋ねました。   

>スターリンは、ポツダムに到着した翌日、満州への侵攻を予定の8月15日から9日に繰り上げるよう、命令しているからです。   

>対日戦に積極的ではなかったソ連   

>冷戦後の情報公開で、当時のアメリカにはソ連のスパイのネットワークが張り巡らされていたことが明らかになりました。   

>ですから原爆に関する何らかの情報は、スターリンの耳に入っていたと思います。   

>しかしそれが、意思決定にどう影響したかはわかりません。   

>日本に潜伏していたリヒャルト・ゾルゲが独ソ戦開始の日時を報告したのに、スターリンは無視した過去があるからです。   

>そもそもソ連は、対日戦に積極的に参戦したいと考えてはいなかったと思います。   

>大きな理由は、対独戦の疲弊が相当にひどかったからです。   

>加えて、関東軍の戦力に対する過大評価もありました。   

>ポツダム宣言で蚊帳の外に置かれたことが、スターリンに参戦の意思を強めさせたに違いありません。   

>また、9月2日に行った演説に表れているように「日露戦争の仇を討ち、失った領土を取り戻したい」という思いから、疲れ切っていた兵士や国民を鼓舞したのでしょう。   

>ナショナリズムには、血統的なナショナリズムと領域的なナショナリズムがあります。   

>ロシア人は古くから、土地にこだわる領域的なナショナリズムが強いようです。   

>スターリンは、国民のそうした心理をうまく利用したのです。   

ソ連が満州に侵攻したのは、8月9日でした。   

>対独戦勝記念日は5月9日ですから、ヤルタ会談で「ドイツ降伏の3カ月後に参戦する」と宣言した通りになりました。   

 

私の子供の頃、大人たちは ‘日本はアメリカの物量作戦に負けた。だが、精神力では勝っていた’ と言っていた。   

 '敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)   

 

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日本の衰退  

2022-08-21 03:27:16 | 文化

 

>日本の科学技術が衰退した原因は?台湾ネットユーザーがたった2文字で的確な解答―台湾メディア  >2022/8/19 08:44 (JST)  

 ()   

>2022815日、台湾メディアの聯合新聞網は、日本の科学技術が衰退した理由について「台湾のネットユーザーがたった2文字で的確な解答をした」と報じた。   

>聯合新聞網の記事は、台湾のネット掲示板PTTにこのほど「東芝やVAIO、富士通など日本にはかつて多くの科学技術ブランドがあったのに、今や東芝はコンシューマー市場から姿を消し、VAIOも消え去り、 富士通の売り上げもHPDELLに抜かれ、シャープは台湾企業に買収された。   

>シリコンウエハーも台湾、韓国がメインになっている。   

>どうして日本の科学技術はこんなに落ちぶれたのか」という質問スレッドが立ったことを紹介した。   

>そして、この質問に対して他のネットユーザーが続々と答えを書き込む中で、多くの人が「米国」というたった2文字で答えを出したと説明。   

>実際にネットユーザーから「米国が日本製品を破壊したところから始まった」「それは米国という名のパパに聞いてごらん」「米国の仕業であるほかに、融通が利かず変化に弱く、動きが鈍く、年功序列という、成果とは無関係の制度を持つ日本企業にも問題があった」といった答えが寄せられたことを伝えた。

 

日本はアメリカとの競争に負けましたね。   

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)    

 

日本文化は形があって内容が無い。形は現実 (事実) であり、内容は非現実 (考え) である。だから、内容を話して形を変えるという改革の話が難しく、変化に弱い。   

 

日本人には意思がないので動きが鈍い。日本人には意思 (will) がない。つまり、無心である。意思は英語の未来時制の文の内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がないので仕方なく無為無策でいる。それで、おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようです。この暮らしぶりで成功すると、受け売りと後追いの専門家になりますね。未来を先取りしない人は指導者としては適当でない。  

 

年月をかけた序列形成の中で温存されてきた匠の精神は素早い市場の変化には対応できませんね。人間序列は成果主義と敵対関係にありますね。    

 

かくして日本の科学技術は衰退しましたね。        

 

>また、「日本は安定した市場にしか適応力がない」「日本は急速に変化する産業ではやっていけない」「日本の半導体企業の上層部は市場に対する反応が遅すぎる。   

>片や韓国企業の素早さといったらない」「匠の精神は科学技術産業には合わない」との意見も見られたと同記事は伝えている。   

>(翻訳・編集/川尻)   

 

 

 

 

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