gooブログはじめました!

日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

野党の役割  

2024-10-20 21:20:46 | 文化

TBS NEWS   >「政権奪取後に何を成し遂げたいのか」高校生が問う野党の役割 [衆院選 2024]   >TBS NEWS DIG Microsoftによるストーリー・   20分・   

>衆議院選挙まであと1週間となりました。   

>未来を担う若者は政治に何を求めるのか?ある高校の「政治部」を取材しました。   

>今月、行われたネット党首討論会。   

>そこで、司会者が明かしたのは…   

LINEヤフー 川邊健太郎会長   

>「実は私はN高・S高という高校の「政治部」という部活の顧問をしているのですけれども、そこの生徒からも今回、いろんな質問を募集しております」   

>討論会には、主催したIT関連企業が設立に関わった高校の「政治部」の生徒が参加。   

>この「政治部」では先週、元国会議員を招いた授業が開かれました。   

>テーマは「野党の役割」。   

>参加した生徒 「政権交代に必要な本質的な要素は何だとお考えですか」   

>「選挙に行かない理由として、『投票したい政党や候補者がいない』『自分の一票で政治や社会は変わらない』といった政治不信に繋がる回答が多くあげられています。   

>私はこれらの回答が多い一因として、野党が政権を取ることを強調するあまり政権奪取後に何を成し遂げたいのかが不明瞭になっていることにあると感じています」   

 

そうですね。日本人は思考を停止している。だから、無哲学・能天気である。政治家にも政治哲学がない。それで、政権奪取後に何を成し遂げたいのかが不明瞭になっているのでしょう。   

 

>元参院議員 大門実紀史氏  「政権交代したらどういう国にするのか、どういう政治にするのかということを政権交代を目指す野党、野党共闘が明確に示すことが一番大事」   

 

そうですね。   

 

>衆院選では、「政治とカネ」の問題や「物価高対策」などが大きな争点となっていますが、生徒たちに議論してほしいことを聞いてみると…

>参加した生徒  「教育の分野が個人的には一番議論していってほしいかなというふうに思っていて」   

>「SNSのリテラシーについては、もう少し教育面において強化していくべきなのかなって」   

>「被選挙権の引き下げもすごく大事かなというふうに思っていて、そこを20歳にしてみたりとか、より若い人が挑戦しやすくなったりとか」   

 

政治には世代交代が必要ですね。   

 

>高校生らZ世代を対象としたある調査では、「投票先をどう決めたらよいかよくわからない」と答えた人がおよそ6割に上るなど、政治との距離が若者の投票率の低さに繋がっています。   

 

‘立憲民主党の代表選は賞味期限切れの人材ばかり。いったんトップを退陣した者が復帰するような組織は硬直する。ましてや枝野や野田は民主党政権を潰した『戦犯』だ。そんなに人材がいないのか’ (上野千鶴子氏(76)東大名誉教授 社会学者) 

北欧・スウェーデンの国会議員の平均年齢は約46歳(日本は約58歳)だそうである。閣僚の平均年齢は45歳、最年少閣僚は26歳だというから日本とは(62.4歳)かけ離れていますね。

選ばれる側が若いように、選ぶ側も若く20代の投票率が82%だという。若者の熱心な政治参加が大切ですね。彼らの政治には夢も希望もある。  

 

>授業では、積極的な姿が見られた生徒たちも政治について考えたり、話したりすることへの戸惑いを抱えていました。   

 

政治には未来の先取りが必要である。日本人には世界観がないから、未来の世界の内容を語ることはできませんね。ですから、日本人の政治の話は夢も希望もない内容に成ります。 

 

>参加した生徒  「学校とかで政治の話をすると『そういう話はやめようね』とか、意見とかすると保護者からも『そういうのはよくないよ』とか、『あんまりそういうこと考えない方がいいよ』とか言われてて」

 

>こうした状況に顧問を務める川邊氏は“若者と政治の距離を縮める責任が社会にある”と指摘します。   

 

そうですね。政治の内容を考えるには、世界観と意思が必要ですね。世界観と意思の両方とも日本人にはありませんね。それが日本人の問題ですね。      

 

LINEヤフー 川邊健太郎会長  「(若者に)なるべく、生のその政治家を見てもらったり、閉塞的状況を打破するために(将来)自分が立候補するっていうことも含めて、主体的に関わってほしいなと思っていますね」  

 

世界観がないと世界は閉塞的な状況になりますね。それは打開する努力目標が見当たらないからです。意思が無い人は主体的に関わることも難しいですね。      

 

>各党、各候補者は若者の政治参画を促すような日本の未来像を訴えられるのか。   

>衆院選まで残り1週間です。   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるかもしれませんね。       

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)          

 

 

 

 

 

 

 


内輪もめ  

2024-10-20 16:44:37 | 文化

>現代ビジネス   >橋下徹「何でもかんでも自民党の逆張りでいいと思い込むな」「内輪もめ」で「自滅」を繰り返す立憲民主党に橋下徹が「忠告」   >橋下徹 (元大阪府知事・元大阪市長) によるストーリー・   >1時間・   

1027日の総選挙で、日本人は自民党に「ある程度のお仕置き」をするだろうが、政権交代には至らないだろう。   

 

そうでしょうね。野党が脆弱ですからね。     

 

>なぜ、政治とカネであれほどの不信を生んだ自民党が、政権の座から転がり落ちることがないのか。   

>その理由を、もっともリアルに、もっともロジカルに、もっともドラスティックに解説するのが、維新の創始者・橋下徹氏だ。   

 

哲学を学べばロジカルになる。世界観を持てばドラスティックになる。   

 

>選挙が近づくいま、橋下氏の『政権変容論』(講談社刊)を野党と国民が理解して受け入れたら、この国は確実に「良い方向」に変容するだろう。   

>『政権変容論』連載第42回   

>『「それが大きな間違いなんです」…橋下徹が明かす、立憲民主党が政権奪取できない「たった一つの理由」』より続く   

>国民は「新しい国のカタチ」までは求めていない   

>—「政権交代」の一番の目的は「政策チェンジ」より「人のチェンジ」にある。   

 

そうですね。世代交代が必要ですね。   

 

>前政権の不正や腐敗を正すことを、政権交代の至上目的とすべきだということですね。  

 

まえにも政権交代がありましたが、良くなかったですね。     

 

>橋下:民間組織だってそうですよね。   

>社長が替わるたびに「これまでの方針を百八十度変えます」では、社員も顧客もステークホルダーもたまったものではありません。   

>通常は社長が替わっても、業態を一気に変えることなどしない。   

>方向性や業態はこれまで通りで、それでも人が新陳代謝すれば、従来の体制で横行していた悪弊や腐敗が暴かれます。   

>新風が入ることで改革が進むんです。   

 

そうですね。   

 

>そしてそのような緊張感があるからこそ、現経営陣、現政権は不祥事を起こさないように最大限の注意をする。   

>新陳代謝がなければ、人間なんてそんなに強くないので、不正に手を染め続けるでしょう。   

 

野党にも新陳代謝が必要ですね。  

 

>それは歴史が示す通りです。   

>民主党は「定まった方向性」がない   

>このことに野党も、そろそろ気づいたほうがいい。   

>何でもかんでも政府与党と逆張りで違う道を提示しなくてはと、思い込まなくていい。   

 

そうですね。逆張りは愚か者の一つ覚えですね。   

 

>むしろ、そうすることで国民を遠ざけてしまっていることに気づいてほしい。   

 

そうですね。天の邪鬼は良くないですね。しかしそうしないと日本人は議論が出来ないのでしょうね。   

日本人は思考を停止している。だから、無哲学・能天気である。政治家にも政治哲学がない。そして政治家は自己の政治哲学により信用されるということがない。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)  

民、信無くば立たず。(政治というものは (民衆) の信頼無くして成り立つものではない。) [論語・顔淵]    

 

>なんだかんだ言って、自民党が選挙で勝ち続けている一番の理由は、「大筋の政策は、自民党でいい」と多くの人が思っているからです。   

 

そうですね。自民党は大筋をつかんでいますね。      

 

>野党は「今の自民党と違う国の姿を見せる」と言うけれど、正直な話、国民もそこまで劇的な変化は望んでいないんですよ。   

 

お変わりの無いのが何よりなことです。日本人には世界観が無い。現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) が無い。ですから、今の自民党と違う国も姿を見せることはできません。国民は話が現実離れしていて信じられないと言うばかりです。      

 

>—そのあたりに、民主党政権が長続きしなかった理由がある。   

 

‘立憲民主党の代表選は賞味期限切れの人材ばかり。いったんトップを退陣した者が復帰するような組織は硬直する。ましてや枝野や野田は民主党政権を潰した『戦犯』だ。そんなに人材がいないのか’ (上野千鶴子氏(76)東大名誉教授 社会学者)  

 

>橋下:そうですね、それも理由の一つだと思います。   

>ただ、民主党政権がわずか3年しか存続しなかった第一の理由は、「内輪もめ」です。   

09年の民主党政権誕生以来、目指すべき方向性に迷走した挙げ句、意見の異なる人々の造反が続出しました。   

 

無哲学・能天気では、政党は迷走しますね。小人たちには内輪もめしか方法がありませんね。      

 

>政権の座にあった3年間で、民主党を自ら離党した人や除籍された衆参両議員の数は100を超しています。   

>これは異常でしょう。   

 

無哲学・能天気ではそうなるでしょうね。なあなあ主義も役立たなかった。   

日本人は‘なあなあ主義’ で話をする。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。 ‘以心伝心・阿吽の呼吸’といったところか。     

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

日本人は学校で受け売り・後追いの練習ばかりをしている。自己の見解 (非現実) を述べる訓練をしていない。すると、知性の欠けた人間の跋扈する奇妙な社会が出来上がる。     

イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)   

 

我が国の日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答を出せる編集者が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だが、自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走に迷走を続けて、いつまでたっても何処にも到達しない。だから、わが国の若者にも夢と希望が無い。

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

>せっかく自民党の総崩れで棚からボタ餅式に政権奪取できたのに、完全に自滅してしまった。   

 

民主党員の身から出た錆ですね。   

 

>では、なぜ意見が分かれたのか。   

 

人にはいろいろの意見がありますからね。   

 

>その理由の一つが、まさに「これまでの自民党と違う国のカタチを見せる」ことに執着し、その方向性を巡る考えが対立して収拾がつかなくなったからです。   

 

そうですね。何事も違う形が良い形とはかぎりませんね。自民党と違う形に拘るのは、自己に政治哲学がないからでしょうね。      

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるかもしれませんね。       

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)          

 

 

 

 

 


箕牧智之理事長  

2024-10-18 16:40:25 | 文化

>毎日新聞   >「平和賞はゴールではなくてスタート」広島の被爆者7団体が共同会見   >毎日新聞によるストーリー・   >16時間・   

> 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞受賞決定を受けて、広島県内の被爆者7団体は17日、広島市役所で記者会見を開き、「被爆80年に向けて決意新たに、命ある限り、訴え続けていく」などとする声明を発表した。   

7団体の一つ、広島県被団協の箕牧(みまき)智之(としゆき)理事長(82)=日本被団協代表委員=は会見で「受賞決定はゴールではなくスタートだ。   

 

そうですね。   

 

>生きている間、核廃絶を訴えていきたい」と話した。   

> 声明では、2017年に国連で採択された核兵器禁止条約に核保有国だけでなく、「唯一の戦争被爆国」である日本が参加していないことを批判。   

>石破茂首相が米国の核兵器を共同運用する「核共有」に言及していることにも触れ、「日本が平和外交力を強め、条約に参加し、核保有国を誘導する役割を果たさなければ、国際的な栄誉と期待を裏切ることになる」とした。   

> 会見では、もう一つの広島県被団協の佐久間邦彦理事長(79)が、「黒い雨」を浴びた人や在外被爆者の救済を求めたこれまでの裁判を挙げて「被爆者運動は権利運動の歴史でもある。   

>授賞理由にそこも言及してほしかった」と語った。   

 

「アメリカがあのタイミングで原爆投下して、どれだけ破壊力があるかを世界中に知らしめられたことで、冷戦中の核兵器使用が防がれた。世界の滅亡を避けられたじゃないか。大体、日本は被害者なのか。ユダヤ人大虐殺をしたドイツと連盟を組んで、他のアジアの国にもひどいことをしたじゃないか。それでいて第二次世界大戦といったら原爆投下の被害ばかり語るのっておかしくない? そもそも戦争中っていろんな国がめちゃくちゃひどいことをしたわけだから、日本が、日本が、って核兵器についてばかり言うのはおかしいと思う」(あるアメリカ人の学生)  

 

そうですね。

日本が、日本が、と核兵器についてばかり言うのはおかしいですね。日本と核兵器以外は眼中に無いのですかね。   

それでも日本人は何のその。悪びれもせず天真爛漫で自分たちの要求に胸を張る。それは日本人に罪悪感が無いからでしょうね。

悪い事はしてはいけない事。罪を犯すのは悪い事。罪は何処からやって来るのか。   

意思のある人には加害者意識がある。罪の意識の体験もある。印欧語族の大人に罪のないものは居ない。それだから、深刻な反省もする。事柄をうやむやに終わらせない。そして考えが進む。考えの体系 (インド哲学・スコラ哲学) ができる。 

しかし、日本人には意思が無い。だから日本人には加害者意識というものが無い。罪の意識も無い。それで反省の色もなく (悪びれることもなく) 自己主張が止まらない。被害者意識を丸出しにする態度は日本人の非常識を表している。罪悪感のない大人は見ていて異様な感じがする。        

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使のものよりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。 

 

高橋史朗氏 (1950- )は米国の戦後の日本占領政策について、米国が「日本が二度と立ち上がれないような政策」を行ったとしており、それがその後の日本人の「自虐意識」を育てることになったと主張している。  

意思がなければどうなるか。受動があって能動がない。だから、被害者意識があって加害者意識がない。罪の意識も生じない。これはアニマルも同じである。罪の意識のある人たちにとって、罪を知らない人たち立ち上がりは恐ろしい。

‘罪悪感を国民に植え付けるプログラム’ (WGIP: War Guilt Information Program とは、大東亜戦争後の昭和20(1945)年からサンフランシスコ講和条約発効によって日本が主権回復を果たした昭和27年までの7年間の占領期間に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領政策として行った、戦争への罪悪感を日本人の心に植えつける宣伝計画ですが見事に失敗しました。カエルの面に水でした。意思の無い人間に罪の存在を理解させるのは難しいからです。従ってわが国の全ての宗教は罪と離れたところに存在します。罪の意識に苛まれる病める魂の持ち主を救済する必要がないからです。    

 

米大統領トルーマンは、極め付きの反日、侮日主義者で、原爆投下については、「獣を扱うには、獣にふさわしい方法でやった」と、日本人を獣扱いしていたと言われています。 

‘あいつ [J. ロバート オッペンハイマー] の手が血塗られているだって? 冗談じゃない。あいつには私の手についている血の半分もついていないさ。泣き言を言うなんて、けしからん。’ (ハリー・トルーマン大統領)     

オッペンハイマーは原爆の父であり、トルーマンは原爆投下の張本人である。彼らには加害者意識があり、罪の意識もある。彼らのお陰で多くの日本人が一億総玉砕を免れた。   

好きで好きで大好きで死ぬほど好きな戦でも原爆投下にゃ勝てはせぬ、泣いて崩れた敗戦日。わが国は原爆開発において米国に遅れをとった。日本人以外のアジア人でアメリカの原爆投下を非難する者はいない。   

「歴史の皮肉の一つは、自国の人々に尊敬された裕仁が1989年に安らかに亡くなった一方、殺戮を終結させた英雄ハリー・トルーマンには今もなお道徳的な汚点がついていることだ。 ロバート・オッペンハイマーにもクレジットが与えられるべきだ。 ピースメーカー(平和をもたらす人)に祝福あれ」  (提供:The National Archives/ロイター/アフロ)    

あくまでも裕仁が自国民に尊敬されるのは日本人の序列メンタリティによる得点ですね。これは我が国民の島国根性の根源によるものですね。贔屓の引き倒しでしょうね。   

 

> 被爆者7団体は、核禁条約の批准を日本政府に求める署名活動などに加えて、毎年86日の「原爆の日」には、首相に面会して条約の批准を要請している。   

>【安徳祐】   

 

 

 

 

 

 


岩田健太郎氏  

2024-10-18 00:37:40 | 文化

>プレジデントオンライン   >「裏金問題は大した問題ではない」 そう断言する医師・岩田健太郎が指摘する日本のもっと深刻な問題   >岩田健太郎によるストーリー・   >5時間・   

>第50回衆議院議員選挙の争点として、「政治とカネ」の問題がある。   

>感染症医の岩田健太郎さんは「いわゆる裏金問題は、相対的には些細な政治問題。   

>むしろ裏金を集めたがる組織構造に、誰もが陥る深刻な問題がある」という――。   

>裏金問題追及の盲点   

>衆議院選において、自民党派閥の裏金事件の報道が続いている。   

>いわゆる「裏金」問題は、相対的には些細な問題である。   

>この「相対的には」という考え方を欠いているのが、今の日本における大きな問題だ。   

>世の中にあるほとんどの問題は「程度問題」である。   

>その「程度」を完全に無視し、ゼロかイチか、セーフかアウトか、という議論をするから、ギスギスとした攻撃的口調が先鋭化する。   

 

そうですね。   

 

>よく日本の政治家や官僚は、自分たちの行いを「一定の効果があった」と正当化したがる。   

>しかし、「一定の効果」と彼らが言うとき、それは実は「ほとんど効果がなかった」と翻訳すべきなのだ。   

>毛が3本しか生えない育毛剤は「一定の効果がある」育毛剤ではなく、「ほとんど効果がない」育毛剤、と解釈すべきである。   

>「育毛剤」がポリコレ的に問題なのであれば、「血圧が1mmHg下がる降圧剤」でもよい。   

>それをデジタルに「ある」と解釈するのが間違いなのだ。   

>政治家が裏金をもらうことは、「よい」「悪い」というデジタルな言い方をすれば「悪い」に決まっている。   

>しかし、日本の政治家が論ずるトッププライオリティではありえない。   

>相対的にはもっと論ずるべき問題が山積みである。   

>経済や安全保障、人権といった諸問題に比べれば「裏金」は些細な問題に過ぎない。   

 

そうですね。   

 

>裏金の構造が示すいびつな忠誠心   

>しかし、「裏金」を集めようとするその「構造」に注目するとまた別の視点が生じてくる。   

>以下に論ずるように、「裏金」自体は(相対的には)些細な問題だが、裏金を集めたがる組織構造は深刻な国益の問題に密接に関係しているからだ。   

>選択的夫婦別姓問題は日本の抱える諸問題の中では相対的に小さな問題だが、にもかかわらず、政治家たちの選択的夫婦別姓問題に対する見解は非常に重要である。   

>その政治家の本質的な資質やファクト認識力を推し量るバロメーターとして非常に有用なツールだからだ。   

>まあ、そういうことである。   

>過日、「自民党議員派閥の『裏金』問題」を伝える報道番組を見ていた。   

>その中で、「裏金」をせっせと作っていた議員はこのように述べていた。   

>政治資金パーティを汗を流して積極的に開催し、「裏金」をたくさん作ると派閥内で高く評価される。   

>そうすれば派閥人事でよい職名を得ることができ、党内出世の役に立つ。   

>このような政治資金パーティ開催や「裏金」集めに無関心な議員は、派閥内や党内で頭角を現すことができない、というのだ。   

>このような、組織やグループの「内的な利益」のために「汗を流す」行為は組織内、グループ内では評価の対象となる。   

>それは組織、グループのトップに対する忠誠心の証しだからである。   

>ブラック組織に決定的に欠けているもの   

>残念ながら、そのような「汗を流す」活動は、国益に合致しているわけではなく、国民の利益になるわけでもない。   

>国益に合致し、国民の利益になるような活動を積極的に行うことこそが政治家に求められている責務だと私は思うが、「政治の世界」で出世していくのは、内向きの「汗を流す」ことに熱心で、いわば「国民には無関心」な政治家たちなのである。   

 

そうですね。   

 

>同じロジックは医療界の狭い医局においても珍しい話ではない。   

>このような組織の構造、組織の論理が強固な社会では、社会正義をまっとうすることは難しい。   

>公共の利益よりも組織の利益が優先されるからだ。   

 

そうですね。   

 

>また、このような組織では、「流す汗の量」が出世と直結するから、どうしても組織はブラック体質になる。   

>夜遅くまで仕事をしているとか、飲み会には必ず参加するとか、そういう業務上はどうでもよいこと、あるいは相対的にはどうでもよいことに熱心になってしまう。   

>当然、家族や家庭はないがしろにされ、あとに残されたパートナー(たいていは女性)はいわゆる「ワンオペ」状態になる。   

>こういう「内的な利益」を追求する社会では男性だけが出世し、女性は登用されないのはそのためだ。   

>あるいは、「まるで男のように、とりわけ、男の欠点だけを蒸留したような、醜悪な男のように振る舞う女」だけが登用されるのだ。   

>「命令」「服従」ときどき「排除」があるだけ   

>そして、こういうグループ内では真に科学的な議論は行われない。   

>言説の正しさそのものよりも、「何」が語られているかよりも、「誰が」それを言っているのかのほうがずっと重要だからだ。   

>組織のナンバーワンの発言か、ナンバーツーの発言か。   

>こういう発話者「WHO」が、発話内容「WHAT」よりも優先される。   

>「発話者」を根拠に意思決定がなされる。   

 

そうですね。それは意思決定 (理性判断) ではなくて、恣意決定 (盲目の判断) でしょうね。   

 

>そんな社会では、当然、議論が発生しない。   

 

そうですね。    

 

>議論がないから、当該人物の発言以上の発展性はない。   

>ヘーゲル的なアウフヘーベンもない。   

Aという意見とBという意見が葛藤したあとで、Cという止揚した新しい意見が生じることもない。   

>「命令」「服従」「命令」「服従」(ときどき「反抗」と「排除」)があるだけだ。   

>そこでは医学生のプレゼンは「何をやった」だけがプレゼンされる。   

>あとは教授(あるいはその代行者)の査定があるだけだ。   

>「○○です」「正解」「○○です」「不正解」という判定があるのみだ。   

>根拠を述べる必要はないし、教授に根拠の説明は求められない。   

>「○○教授は、何を根拠にそんなことをおっしゃるのですか」なんて学生や研修医が言ったら、その人物の評価は非常に低いものになる可能性が高い。   

>だから、賢い学生や研修医は、絶対にそんなことは聞かない。   

>たとえ思っていたとしても。   

>根拠を求められなければ、根拠を述べようというインセンティブも生じない。    

>いや、根拠は「教授の意向に合致しているか」だけである。   

>まさか、「たぶん、教授がこの解答を求めていると思ってヨイショしました」とは言えないから、そこは黙っている。   

>組織を劣化させる沈黙という生存戦略   

>最近の学生はおとなしい、とよく言われるが、何も考えていないわけではない。   

>彼らは彼らなりの生存戦略を選択しているだけだ。   

>そして「医局」のような典型的な、昭和なエートスを持つ組織、社会では、「沈黙こそが正しい生存戦略」となる。   

大人しくなるのは当たり前だ。   

>その生存戦略は、その人物の「生存」という観点だけからは、正しい。   

>ただし、こういう組織は成長しない。   

>逆に劣化していく可能性が非常に高い。   

 

そうですね。衰退途上国の風潮ですね。   

 

>よって、こういう組織での活動に慣れた医学生や研修医、そして医者たちは、耳に痛い話に近寄らなくなり、議論が苦手になる。   

>やらないことは、苦手になるのは当然だ。   

>スポーツであれ、音楽であれ、訓練をやめてしまった状態で能力を維持したり向上する可能性はゼロである。   

>出口治明氏によれば、唐の時代の太宗は、耳に痛い諫言(かんげん)を積極的に部下に求めたという。   

>太宗は幼少の頃から弓矢を好み、その奥義を極めたと自認していた。   

>ところが、ある日、弓工に自分の弓をみせると、弓の木の心がまっすぐではないためによい弓ではなく、矢がまっすぐに飛ばないという。   

>自分が熟知している弓についても、専門のプロには及ばない。   

>ましてや、専門外の政治においてはさらにそうだろう。   

>太宗はこうして専門家など、多くの意見、特に諫言に耳を傾けて、謙虚に政治に取り組んだのだそうだ(出口治明『貞観政要 世を革めるのはリーダーのみにあらず NHK100de名著」ブックス』NHK出版)。   

>忖度なしの議論で人間関係は壊れない   

>私はこれまで、アメリカで5年、中国で1年間診療した経験を持つが、それ以外にも沖縄で1年、そして千葉県の病院で4年間診療した。   

>沖縄の病院と千葉の病院はアメリカの指導医を教育に入れるなど、先進的な医学教育で有名な教育病院だ。   

>いずれの地でも議論は活発に行われ、患者の最良のケアを追求してきたが、「議論すること」で人間関係が気まずくなったりすることはない。   

>そもそも、議論くらいで人間関係が壊れてしまうようなら、怖くて議論などできない。   

>現在の神戸大学病院には2008年から勤務している。   

>私が教授を務める感染症内科では、毎日のカンファレンスで激しい議論が行われることで有名だ。   

>若手の医師から最年長の私(現在53歳)まで、「何が正しい診断なのか」「何が正しい治療なのか」、一所懸命に議論する。   

>忖度(そんたく)などもちろんなしだ。   

 

そうですね。忖度は歌詠みが期待しているものですね。  

 

>患者の生命リスクがかかっている医療である。   

>その生命を毀損(きそん)するリスクを冒して忖度するなんて、私としては考えられない。   

>どれほど自分の耳がひりひりと痛むとしても、上納金や上長への忖度に慣れる体質に感染することとは比べようもなく、健全であり持続性が高いからである。   

---------- 岩田 健太郎(いわた・けんたろう) 神戸大学大学院医学研究科教授 1971年島根県生まれ。   

>島根医科大学(現・島根大学)卒業。   

>ニューヨーク、北京で医療勤務後、2004年帰国。   

08年より神戸大学。   

>著書に『新型コロナウイルスの真実』(ベスト新書)、『コロナと生きる』『リスクを生きる』(共著/共に朝日新書)、『ワクチンを学び直す』(光文社新書)など多数。    

----------   

 

日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。     

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。   

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する内向きの貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが叙勲の獲得は難しい。 

 

 

 


チェン・ホンビン氏  

2024-10-16 18:13:15 | 文化

Record China   >ノーベル賞ならず、日本の科学研究能力の転落はどれほど深刻か―――中国メディア   >Record Chinaによるストーリー・   >9時間・   

20241013日、中国メディアの観察者網は日本人研究者がノーベル賞を取れなくなっている背景について論じた文章を掲載した。   

>著者は上海国際問題研究院情報所元所長の陳鴻斌(チェン・ホンビン)氏。   

>陳氏は、今年のノーベル生理学・医学賞、物理学賞、化学賞が相次いで発表され、いずれも日本からの選出はなかったと紹介し、「どうやら日本が今後ノーベル賞受賞の勢いを取り戻すのは難しそうだ」と指摘。   

>世界知的所有権機関(WIPO)が926日に発表した2024年版「グローバル・イノベーション・インデックス」ではかつて首位を独占していた日本が13位に転落し、アジアでもシンガポール、韓国、中国の後塵を拝する結果になったと説明した。   

>また、今年のノーベル物理学賞とノーベル化学賞はいずれも人工知能(AI)に関連する研究が対象となったことに触れ、「日本は世界的なAIの潮流に乗り遅れた」と言及。   

 

そうですね。日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) が無い。これではハードウェア至上主義に成りますね。これは日本語文法のせいでしょうね。      

 

>文化的には日本社会に長らくハードウェア至上主義の考え方があり、AIアルゴリズムやソフトウェアの研究開発投資が不十分であること、教育的にはデータサイエンスやコンピュータサイエンスよりも伝統的な工学や技術教育に重点を置き、人材不足が生じていることを背景に挙げた。   

 

そうでしょうね。日本人は細工物に凝っていますね。      

 

>さらに、日本ではプライバシーへの懸念からビッグデータの収集や利用に比較的慎重であることも、データ駆動型のAI開発を妨げる要因になっているとの見方を示した。   

 

そうですね。    

 

>このほか、日本の研究者による論文発表数が20年前の世界4位から10位に落ち、特に質の高い論文数を示す指標の「引用回数上位10%論文」も20年前の4位から13位と大きく順位を下げたと指摘。  

 

そうですね。わが国では、受け売りと後追いの教育しか力を入れていませんからね。質の高い論文は無理ですね。      

 

>英教育誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーションが発表した世界大学ランキングではトップ100に入った日本の大学が28位の東京大学と55位の京都大学しかなかったとも紹介した。   

 

そうですね。日本人に高等教育は無理ですね。  

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供に哲学を獲得するための教育である。子供が思春期になって、言語能力が飛躍的に増大するのを待って高等教育が行われる。かれらの文法には時制 (tense) というものがあって独立した非現実の三世界を表現することができる。未来時制を使って自己の意思を表すこともできるようになる。すると加害者意識も経験することになる。それが高じて罪の意識も理解できるようになる。深い反省にも陥るので原因の究明が行われる。うやむやにならない。魂の救済を必要とする人も出て来る。贖罪のための宗教 (キリスト教) も重要になる。こうしたことで浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも高等教育に力を入れることになる。

哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本語は現実の内容だけを話す言語である。日本式の判断だと見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。嘘ばかりでは学習に力が入らない。だからわが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。  

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。これらは高等教育のお陰である。インド人は印欧語族であるからアングロ・サクソンと相性が良い。   

当の日本人の若者はいまなお序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。難関出身者が序列社会で優位に立つ話ばかりを気にしている。注意力不足で井の中の蛙になっている。国際取引で印欧語族を取引相手にして苦戦を強いられることになる。     

 

>その上で、日本の研究や研究機関の質が低下している主な原因は、科学研究への投資がこの20年で全くといっていいほど増えていないことにあると指摘。   

 

そうですね。   

 

>さらにもう一つの原因として、研究者の科学研究に費やす時間が圧迫されていることを挙げ、02年には日本の大学教授の職務時間における科学研究の割合が465%だったのに対し、18年には329%にまで低下したことを紹介した。  

 

我が国に人手不足はあるが、頭脳不足は聞いたことがありませんね。きっとわが国には天下の秀才が揃っているからでしょうね。      

 

>また、さらに憂慮すべきこととして、研究規模や科学研究費助成の縮小により、多くの博士課程修了者やポストドクターが研究職に就けずアルバイトで生計を立てている点を挙げた。    

 

そうですね。わが国の学者は経済的に恵まれていませんね。わが国では職人でなければ尊敬されませんね。      

 

>陳氏は「日本はほとんど資源を持たない国だ。   

 

そうですね。わが国は天然資源の乏しい国ですね。国民は頭脳を使って生きるしかないですね。      

 

>科学技術の強力な支援がなければ、日本は今後、国際社会でどのような地位を維持できるだろうか。   

 

学問に力を入れなければわが国は、衰退途上国の道を歩むしかありませんね。   

 

>この状況は日本の多くの知識人から強い懸念を引き起こしている。   

 

我が国の知識人は無力ですからね。   

我が国の日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答を出せる編集者がいない。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だが、自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走に迷走を続けて、いつまでたっても何処にも到達しない。だから、わが国の若者にも夢と希望が無い。

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)      

 

>しかし、日本の政治家はこの点をあまり気にかけず、自分の地位が盤石かどうかだけを気にしている」と評した。   

 

そうですね。日本人は思考を停止していますからね。無哲学・能天気の政治家はわが国の癌ですね。   

日本人は無哲学・能天気である。政治哲学の無いわが国の政治家は政治的に相手を説得する方法は無いので政治屋になるしかない。

政治屋は信頼が得られないので考える。支持を得る奥の手は三バンである。三バンとは 地盤:選挙区と後援会・ 看板:知名度・ 鞄:資金力 である。    

序列による合力を利用する派閥に参加する。滅私奉公により派閥の領袖に付き従う。領袖は議員を十把ひとからげにして選挙の数合わせに使う。そして自分自身はキングメーカになる。だから派閥政治は無くならない。政治哲学の無い政治改革は掛け声ばかりに終わっている。政治屋は賽の河原の石積みずみに忙しい。日本人のその日暮らしの習慣はやまらない。        

 

>(編集・翻訳/川尻)   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるかもしれませんね。       

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)