黄昏どき

老いていく日々のくらし 心の移ろいをありのままに

戦争のない平和な世界を

花岡の餓死(敗戦後の食糧難)

2024年06月07日 | 戦争
朝ドラの中で 判事の花岡が餓死


実際にあったことではっきり覚えている


敗戦から2年経った昭和27年(1947年)は


まだ食糧難が続いており 我家ではジャガイモの塩ゆで


いも団子 カボチャ団子 が多く


母が農家からから買ってくる闇米のご飯は 特別な時だった


それでもお米が取れる田舎だったので


都会の人よりは恵まれていたと思う


栄養失調で亡くなる人が多く 引揚げ寮でも小さな子が亡くなった


都会からは 毎日多くの人が買い出しに来ていたが


やっと買ったお米を警察に没収されることが多かった




父はまだ樺太に抑留されており


母は買い出し 姉二人は稼ぎ


我が家族は生き延びられた






世界には飢えている人が多くいる




食欲がなく 勿体ないと思いながら 食べ残すことに


罪悪感を感じている









気温が上がり 初夏らしい陽気になったが

やせっぽちの寒がりは まだ長袖の下着を着ています

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忘れられない日

2024年05月18日 | 戦争




今年も祈りを捧げ 偲ぶ


従兄は22歳の青年のまま 私の心の中に生きている


戦争はしてはいけない



 勿忘草   エゾムラサキ?











  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

78年前の8月  樺太引揚げ

2023年08月18日 | 戦争
8月18日は 引揚げ記念日 


1945年(昭和20年)樺太(サハリン)


8月9日ソビエトが宣戦布告し

14歳以下の男子と婦女子の疎開命令が出される

8月15日に敗戦 疎開は引揚げになった

豊原市(ユジノサハリンスク)に住んでいた我家は8人家族

 父(45歳)を除いた

母(38歳) 長姉(18歳) 次姉(14歳)
 
私(12歳) 妹(9歳) 弟(4歳) 末妹(11か月)

7人が 北海道 木古内町の伯父宅へ引揚げることになった


小さなリックに着替えと食糧だけ持ち

8月18日午後 豊原駅に向かった

奥地からきた貨物列車には

大勢の人たちが鈴なりに乗っている

父は 少しでも早く港の大泊へ行くよう

貨物列車に乗るように促すので 急いで乗った

戦争はもう終わったと 少し開放感を感じていたが 

奥地からきた人たちが口々に 

ソビエト軍に追われて命からがら逃げてきたと話すのを聞き

恐ろしさと緊張感でいっぱいになった


汽車は度々停まる 真っ赤な大きな太陽が傾いていく

暗くなって大泊に着いた



駅も道路も人々や荷物で溢れかえっている 

姉が逓信局に勤めていた関係で小笠原丸に乗船予定だったが

誘導され映画館で待つことになった

溢れんばかりの人人人である

乗船の順番はまわって来ず 一夜を過ごし

再び夜になりやっと順番がきた

港までは遠かった 暗い夜道をひたすら歩いた 

母は末妹を背に大きな皮のトランクを持ち

 4才の弟は長姉に手を引かれ

 3人も後に続いた


やっと港にたどり着き 乗せられた船は 

小笠丸ではなく 白龍丸という貨物船だった




船は真夜中に出航した

稚内港がいっぱいで 小樽まで行くという 

20時間かかるそうでがっかりした

 甲板に張ったテントに数家族が入った

トイレはなく甲板の端でする

海は時化て嵐のよう テントにも雨水が入る 

すぐに酔って動けなくなる 

夜が明け左側遠くに北海道の陸地が見えるが

20時間すぎても小樽に着かない

船倉の方へは行かないようにと言われていたが 

チラリ覗くと 地鳴りのようにわめき声が聞えてきた

大勢の朝鮮の人がお酒を飲んで騒いでいる

 暴動がおこるのではないか恐ろしかった


再び夜が来た 

緊迫した声で目が覚める

船はすべて灯りを消しエンジンの音も聞こえない

暗闇の中で目を凝らすと 船長らしき人の指図する声

乗組員が慌ただしく動き回っている姿が異様に見えた

緊張が走る

誰かが「潜水艦がいるらしい」という

戦争が終わったのに・・・・まさかと思うが不安で恐ろしかった

船はエンジンを止めて漂ったまま

どのくらいの時間だったか覚えていないが

危険が去ったらしい

 夜が明け船は動きだした

小樽の港が見えた時は 

疲労と船酔いで歩くのもやっとだった

嬉しいと言うよりホッとした

留萠沖で引揚げ船 小笠原丸など三船が 

国籍不明の潜水艦(ソビエト)に沈められたのを知ったのは 

ずっと後の事である

我たち一家は幸運だった 


与えられた命に感謝し今まで生きてこられた

戦争犠牲者の冥福を祈り 平和を願う

 戦争は決してしてはいけない




留萌沖三船遭難 ~終戦秘話~

 






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

78年前の8月 & 今朝の空

2023年08月15日 | 戦争
今朝の大雪山 空は秋の気配






78年前の8月


15歳だった夫は学年の皆と泊まり込みの援農中に


(戦争に行って男手ない農家の手伝い)8月15日を迎えた 


援農は中止になり 豊原市の師範学校に戻った 


15歳以上の男子は樺太に残らなければならないきまりになり


 学校側から 一旦家に帰り 


親に会って戻ってくるように指示され 


西能取岬(にしのとろみさき)の 知志谷(ちしや)にある家に


同じ村出身の友と二人で鉄道と徒歩で帰った 


 知志谷は北海道に一番近い 西能取岬 の近くの小さな村で 


父は教員だった 家族に別れを告げ


友と二人豊原に歩いて向かう途中  峠を越えた地の駐在所で 


豊原市が空襲で大きな被害を受けたこと 


ソ連軍が侵攻して来て


 危険が迫っているから家に戻りなさいと言われ 


引き返すことにした


二人が 知志谷に戻った時 ソ連軍の侵攻を知った家族は


地域の人たちと一緒に 漁船で北海道に引揚げる寸前だった


地図はネットからお借りしました

















同じような 戦争体験をした同士であり 同志


引揚げ者は難民と同じ その後の生活はもっと過酷だった


ウクライナと同じ


二度と戦争はしてはいけない




★ ★ ★ ★ ★ ★

 
入院中の夫は明日16日に介護付有料老人ホームに移る

昨日は電話が来なかったが 来ないと気がかりである

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

78年前の8月 & 最近の様子

2023年08月10日 | 戦争

もうすぐお盆 78回目の敗戦記念日がやってくる


昭和20年(1945年)8月6日に広島9日に長崎に


原子爆弾が投下され街は焼け野原となり 


合わせて21万人以上が亡くなり15万人以上が負傷した 



8日には中立関係だったソビエトが日本に宣戦布告をした
(知ったのは9日)




夫は当時15歳 樺太師範学校の予科2年生で

 豊原市と大泊間の豊栄(とよさかえ)付近で 泊まり込みの援農

(出征して男手がない農家の手伝い)をしていたそうである




私は 12歳 樺太庁豊原高等女学校一年生

豊原市(ユジノサハリンスク)に住んでいたが

 ソビエトの参戦を知り不安と恐怖感でいっぱいだった

婦女子と13歳以下の男子の本土への疎開がはじまり

15日の敗戦で引揚げと変わり ますます命の危険が迫ってきた





サハリンと変わった樺太には2012年7月


二人で行くことができた その時夫が撮影した写真である




日本だった時の 博物館 は昔のまま 



樺太神社にあった狛犬







北緯50度境界線にあった標石





★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

9月に94歳になる 夫の最近の様子


 容態は落ち着いているがまだ入院中です


 9日に施設に入る予定でしたが 病棟でコロナ患者が出たので


足止め延期になり 来週になりそうです

面会が出来ないので可哀そうですが


時々介助してもらい電話をかけてきます


不安なことを言うので なだめておりましたが


今朝の電話は お手伝いのHさんに ○○をあげたいと


いう内容で 気持ちも落ち着いているようでした


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

核廃絶 戦争をやめるきっかけになってほしい

2023年05月20日 | 戦争

G7広島サミットが

 平和な世界を目指して 

核廃絶 戦争をやめるきっかけになってほしいと

心から願っている



アイヌ記念館に咲いていた シラネアオイ





40年くらい前の 5月 はじめて広島を通り過ぎた

原爆投下後

100年以上草木が生えないと言われていた街は

バラの花で彩られた 美しい街になっていた

原爆の悲惨さ 平和の尊さを 強く感じた



🌷 🌸 🌷 🌸 🌷 🌸 🌷 🌸 🌷 🌸

清々しい日

空耳だったのか カッコウ カッコウ


二声だけ聴こえた



血圧は低いが いつものように過ごしている夫

頑張っているなあと いつも思っている

手助けすることは増えてきたが まだ介護できる

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誰だかわからなかった & 甘酒

2023年02月25日 | 戦争
 
1945年敗戦後

S町の引揚げ寮で暮らすようになった

18畳の大部屋に 4家族がひしめいている


たった一枚の洋服や着物 着替えもなかった

不潔でシラミがつき 寝る前のシラミ取りが日課になった



翌年(1946年)の今頃だったと思う


寮に住むほとんどが 流行り目(流行性結膜炎)に罹った


我が家も全員が

目ヤニで目が開かないくらいになった

家族中が同じ手ぬぐいを使っていたので当然だろう




15歳になったばかりの姉が


お手伝さんをしていたK町から5か月遅れて来たが


夏物セルの汚れた着物に 充血して腐ったような目ヤニだらけ


あまりにも汚く変わり果てていた母の姿に


誰だか分からなかったそうだ


それでも誰も病院には行かなかった


お医者さんにかかったのは 赤ちゃんだった末の妹が肺炎になり

生死をさまよった時だけである




今では笑い話になっているが 姉はこの間92歳になった



🍚  🍚  🍚  🍚  🍚  🍚


新しい炊飯器 炊き方を色々試している

御飯が余るので 甘酒をつくってみたが

美味しくできた


夫がいただいた ロイズのチョコを一緒に



お土産にいただいたお気に入りの萩焼きのカップ

飲んだ後見える模様が可愛

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

活動開始&旅の思い出(クバール・スピアン 地雷)

2023年01月05日 | 戦争

お気に入りのHさんが初来訪 お掃除の後は


助手になって

 録画の予約 DVDの整理を手伝ってくれる


夫も生き生きして笑顔が






思い出 写真
 

クバール・スピアン遺跡 (11世紀の中頃)



アンコール遺跡の北東のジャングルにあり 


川の中に遺跡がある

駐車場からは 山道を登る


二人にはハードで1時間以上もかかり辛かった


暑いのと 道を外れると 地雷の危険がある


途中に滝もあったが必死の思いで歩き


私は1枚も写してなかった














カンボジア 

9世紀初頭にクメール王朝が成立し


12世紀から13世紀にかけて最盛期を迎え


アンコール遺跡が建造された





悲惨な過去をもつカンボジア 


私たちが訪れたときにも 傷跡はあちこちに残っていた


地雷もその一つである

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カボチャを食べながら

2022年12月23日 | 戦争
今日も⛄



昨日 冬至の南瓜を食べながら


ひもじかった敗戦後を思い出していた

日本国中の人が飢えていた昭和20年の冬

我家の食べるものは 母が毎日買い出しで僅かに得てくる

ジャガイモと カボチャ 澱粉カス

お金では売ってもらえず 配給で当たった軍服との物々交換 

甘い物もなにもない

カボチャが甘くて美味しかった 手を握って開くと黄色くなっている


栄養失調でおできだらけの4歳の弟


一歳を過ぎても這ことも出来ない妹が不憫だったが


カボチャとジャガイモのおかげで 生き延びられた





神戸から美味しいチョコ


青森からはリンゴが届いた


美味しい物は何でも手に入る幸せを感じているが


未来を思うと暗くなる


防衛費の拡大 原発積極活用に転換


子供 孫 ひ孫たち世代の行く末がどうなるのか

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恐ろしい不安を ・・・・

2022年12月18日 | 戦争

閣議決定で決まってしまった防衛政策


敵基地攻撃能力を保有と知って


 恐ろしい不安を感じている





82年前 国民学校3年生の時

 日本が米英に宣戦布告し

戦争に突入した時と同じような

恐ろしい不安な気持ちが 胸いっぱいに広がっている




目には目を では決して平和は訪れない



財源をどうするかだけに議論が集中しているが



このままでは恐ろしい方向に進んで行くばかり


それよりも


核シェルターを造ってほしい



有事だけではなく災害時の避難にも活用できる



シェルターを建設してほしい





今日も吹雪模様

理髪店に顔そりに行く 夫への訪問理髪もお願いしてきた




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする