朝ドラの中で 判事の花岡が餓死
実際にあったことではっきり覚えている
敗戦から2年経った昭和27年(1947年)は
まだ食糧難が続いており 我家ではジャガイモの塩ゆで
いも団子 カボチャ団子 が多く
母が農家からから買ってくる闇米のご飯は 特別な時だった
それでもお米が取れる田舎だったので
都会の人よりは恵まれていたと思う
栄養失調で亡くなる人が多く 引揚げ寮でも小さな子が亡くなった
都会からは 毎日多くの人が買い出しに来ていたが
やっと買ったお米を警察に没収されることが多かった
父はまだ樺太に抑留されており
母は買い出し 姉二人は稼ぎ
我が家族は生き延びられた
世界には飢えている人が多くいる
食欲がなく 勿体ないと思いながら 食べ残すことに
罪悪感を感じている
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気温が上がり 初夏らしい陽気になったが
やせっぽちの寒がりは まだ長袖の下着を着ています