黄昏どき

老いていく日々のくらし 心の移ろいをありのままに

戦争のない平和な世界を

敗戦記念日&姪夫婦の来訪

2016年08月14日 | つぶやき

敗戦記念日でお盆の中日である

終戦記念日とは言いたくない

戦争に負けた日

1945年8月15日

豊原も暑い日だった

正午から天皇の玉音放送があるとの知らせ

学校をさぼって防空壕の中で聞いた

雑音がひどく訳が分からなかったが

大人たちは「戦争に負けたんだ

皆殺しにされるかもしれない」と語っていた

不安と恐怖で

お盆どころではなかった 

今日は

戦没者を追悼する日である

戦争でなくなった全ての人々

戦死した夫の長兄 特攻隊で戦死した従兄たちに

祈りを捧げる

毎年お盆に顔を出す姪夫婦が一年振りに来訪

夫の妹であった母親を早く亡くし

今年の3月長い間入院していた父親も亡くなる

夫を頼りにして慕ってくれる

スーパーのご馳走を並べただけだったが

長女も交え楽しい団欒だった

 

話題の一つに樺太(サハリン)の話しがあった

敗戦時のこと

夫も樺太に10年間住んでいた

夫の妹である姪の母親の幼かった頃のこと

はじめて知る話しが  心に響いたようだった

バレーボールをしている 二女の孫は今日から

七大学の交流戦が 東京である

学生最後の試合なので 二女夫婦も観戦に出かけた

今月末には孫も来る予定

ジジ ババ楽しみにしている

コメント (2)
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いまわしい軍国主義

2016年08月14日 | つぶやき

物心ついた時から軍国主義だった

父は 昭和12年(私が4歳の時)招集され支那(中国)に出征し

帰還したのは3年後だった

戦争体験を語ることはなかったが

日本が加害者だった戦争である


 

天皇陛下を現人神(あらひとがみ)と奉り

学校では毎朝宮城(皇居)の方角へ向かって礼拝をする

校庭の一角には必ず奉安殿があり

中には天皇。皇后のご真影と

教育勅語が収められていた

前を通るときは必ず最敬礼する決まりになっていた

守らないとビンタが飛ぶ

教育勅語は必ず暗唱させられた

教師も絶対であり体罰はザラであった

私は女姓の担任だったのでないが

姉は何かにつけて標的にされ

頬っぺたが腫れるほど殴られて帰ってきたことがある

男子生徒は軍事教練などで

随分体罰を受けていた

自由にものが言えない暗い時代だった

ユジノサハリンスクの博物館に残されていた

奉安殿

今日も暑く夏バテである

こんなことをしていたらビンタをはられただろう


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