18日は
71年前樺太(サハリン)から引揚げのため
父を残して母と子供7人豊原を発った
留萠沖で沈んだ小笠原丸に乗る予定だったが 少しの差で乗らず
命を落とさなかったのは 幸運だった
着の身着のまま 碌に食べるものもない 辛い日日が長く続いた
忘れることのできない 引揚げ記念日
北海道に上陸した台風7号も去り
気を引き締めて詩吟も活動開始である
男の孫の誕生日でもある
プレゼントすることもなく しばらく会っていないが
社会人としてきちんと生きて行ってほしい
戦争に行くことなんてない時代が続くように祈っている
ヤクシマギボシ
毎年今頃旧宅の庭に咲いていた