まだ戦後の復興が終わっていない昭和22年
一年休学した私は女学校二年生だった
戦中の教育とは天地をひっ繰り返したような
自由で楽しい学校生活を送っていた
小さな町の新設校で一学年一クラス
その中で先生を悩ませる存在だった
言いだしっぺは私だったと思う
修学旅行に行きたいね
スズメの様に騒がしく団結力があるクラス
すぐ 行こうと決まった
行先は 秘境の層雲峡 温泉宿は一軒だけ
S町からは宗谷線の列車に乗り 石北線に乗り換えて上川へ
上川からバスで行かなければならない
まだ鉄道の切符を取るのも困難な時代だった
早速旅行委員をつくり 駅に行き直接交渉
駅員さんもビックリされたがOKになった
その時
汗だくの先生が追いかけるようにやってきて
「学校に許可も取らないで」と さんざんお説教されたが
仕方なく許可してくれた
6月末
お米持参で満員列車のデッキで揺られながら
デコボコ道のバスに酔いたどり着いた宿
川の音だけが聴こえる静かな宿だった
二階の大広間に雑魚寝 お化けが出ると泣く人
大函まで行き両側の美しい絶壁に見惚れ
雨が降りだし大きな蕗の葉っぱを傘代わりにした
ダイヤモンド婚のお祝い
午後から温泉へ行く予定
姿はすっかり変わったが偶然 同じ宿である
雪見湯になるだろうが
のんびりゆったりボ~として過ごすつもり