私は父に叱られた記憶がない
物静かでどちらかと言えば母の方が強い
いわゆるカカア天下の家だった
日中戦争3年樺太に抑留されて3年と6年間も家を留守にしていたので
母は家族を守るのに必死で強くなったのだとも思える
戦争から戻った
国民学校2年生(7歳)の秋頃からの記憶だが宿題をよくみてくれた
箸の持ち方が上手に出来なかったのを 根気よく教えてくれたのも父
若い頃は流行に敏感だったようである
旧制中学を卒業し国鉄に勤めたが
音楽が好きでバィオリンを弾きレコードを集め
写真に熱中し 母をモデルにした写真が沢山あった
四女の私が生まれた頃はバィオリンもなく カメラも壊れていたが
父が持ち込んだマージャンは祖父母や母を虜に
高じてマージャン荘を開いていた
優しくて子煩悩だが 出世には縁がなかった
そんな父が 結婚を申しこみに行った夫に言った言葉
「娘との結婚は賛成しますが 嫁にはやりません」
亡くなってからはじめて聞く言葉だったが 父の愛を強く感じ心に残っている
1900年生まれの父が亡くなってから50年