1946年(昭和21年)4月
道北の小さな町に女学校が新設され
私は転校生として再び1年生になった
60人1クラスだけの1年生
運動場も音楽室もない仮校舎
先生たちは 復員してきた人 神主さん お坊さんなど経歴も様々だが
自由に勉強できる嬉しさでいっぱいだった
しばらくして 中年女性の音楽の先生が赴任してきた
東京の大空襲で家族も家も皆失い
身寄りがないという先生は 校内に住むことになった
美しい洗練されたソプラノで はじめて聴いたクラシック歌手だった
皆は 先生を大好きになり音楽の時間が待ち遠しかった
普通教室で
オルガンを弾きながら最初に習ったのが
“ぽたり”の歌
いつも歌うので “ぽたり先生”とあだ名がついた
追憶 ローレライ 希望のささやき など
少女の愛唱歌は 楽譜などなしで教わった
いつ頃だったか覚えていないが
突然
別れの言葉もなしに 風のように去っていってしまった
しばらくして贋の先生 免許のない教師だったことを知ったが
良い思い出だけ残っている
70年以上経ても ぽたりの歌と
先生のことは クラスメートの集いでも話題になる
落椿という題名で
大正時代に作られた曲と知ったのは ずっと後の事である
落椿
作詞 吉丸 一昌
作曲 ウェーバー
ポタリ 地(つち)の上に
小さな音が ころがり落ちた
ハテナ 何が落ちた
ポタリ また聞こえる
雨戸をあけて よくよく見れば
アハハ 椿の花
その頃は椿の花は観たことがなかった