17日の夕方 東から南の空が染まっていた
わけもなく嬉しい
8月18日は
敗戦後樺太から引揚げた日であり 33歳になった孫の誕生日である
予定だった 引揚げ船 小笠原丸に乗っていたら
孫も存在しなかった
77年経っても 運命の不思議さを感じているが
私たちが乗った 白龍丸には 船倉に
大勢の朝鮮の人たちが乗っていた
おそらく 強制的に樺太に連れてこられ
炭鉱などで労働させられていた人たちだったと思う
お酒でも飲んでいたのだろう
今までのうっ憤を晴らすように大声でわめく
うなり声は 暴動でも起きるのかと 恐ろしさでいっぱいだったが
今思えば 一番の犠牲者だった
小樽に入港した時 上陸するのは見ていないが
ふる里 朝鮮に 無事 帰ったのだろうか
樺太には大勢の朝鮮の人がいた
5・6年生の時のクラスにも 権さんという名の人がいた
勉強はできる方だったが 女学校は受験しなかった
一度部落へ遊びに行ったが お母さんは日本語は話せず
白い服を着ていた記憶がある
樺太に取り残された 人が多かったが
権さんはどうなったのか ふと思う
🤧 🤧 🤧 🤧 🤧
熱は出ないが まだすっきりしない身体
喉がイガイガ 偶に咳がでる
籠っている