新ジャガイモが美味しい季節になった
昨日はジャーマンポテトにして食べたが夫は一口だけ
戦争中戦後の食糧難の時ジャガイモばかりばかり食べたので
飽きて嫌いになったという
私も同じようにジャガイモのお陰で飢えをしのいだが 今でも好きである
敗戦後の引揚 木古内の伯父の家で厄介になり
その後道北の士別町の引揚げ寮に落ち着いた
住むところは与えてもらったが 食べるもの着るものはない
母が毎日買い出しに行って僅かなジャガイモやカボチャを分けてもらう
真冬の-30℃以下になった日も休まずに 角巻代わりの軍隊毛布を羽織って
リュックサックを背をって4kmくらいも歩いた
12歳の私は 子守と食事係
小石のようなジャガイモを丁寧に皮をむき塩ゆでにしたのが唯一の食事だった
ジャガイモがない時はデンプン粕の時もあったが
いくら晒しても臭くてたまらなかった
飽食の今は種類も沢山で味も様々だが
樺太時代に食べた日の丸1号は見当たらない
甘味があって美味しかった
中がうっすらとしたピンクが日の丸の名になったと思われる
贅沢な物に溢れている現代だが 食料需給率は38%
敗戦後の昭和21年の食料需給率は88%だったそうである