ボランティア関係の用事があって、昨日の朝、前に予約したシニア割引のウィラーエクスプレスのツアーバスで富山にとんぼ返りで行ってきた。
新宿住友ビルの待合室は、空港のロビーを思わせるつくりで、チェックインも機械化されていた。その分係りの人は少ない。時間が来るとゲートに移るように言われて、列を作って待つ。目の前にバスが来るのかなと期待したが、さすがにそれはなかった。ただ、誘導されて歩いて行ったら近くにバスが止まっていて、すぐに乗りこめた。
バスはやや古い感じがしたが、乗り心地は悪くなかった。比較的にゆったりしていて、頭の部分に幌がつけてあり、眠いときはそれをかぶると隔離された感じがして、落ち着くことができた。
およそ7時間の乗車だが、途中3か所で休憩。足をその都度延ばして血流を確保。行きは土産物は見るだけで、時間をつぶしたが、雨は降らなかったので、助かった。傘を待合室に忘れてきてしまったので。
高坂で休憩したあと、所沢あたりまでは景色を見たり、同行者と話をしたりしていたが、寝不足だったのでそのうち寝てしまった。
気づいたら、妙義山らしい山が雲の間に見えていて、道路は若干渋滞気味だった。このあたりの山々には雪はほとんど見られなかった。
軽井沢のあたりらしいところで、工事車両が見えて、その先はすいすい走り出した。また寝てしまって佐久のあたりで目が覚める。小諸のあたりでは、南側に遠くの方に雪をかぶった山が見え、北側にも雪の山が見えた。南は美ヶ原のほうだったのか?北は浅間山あたりかしら?
東部湯の丸サービスエリアで2度目の休憩。北側に見える雪の山は湯の丸高原の方かな?
長野道と合流するあたりからはリンゴ畑が広がる。右手は菅平の方なんだわ、と地図を見ながら思う。左手のずっと先に雪山が連なっていて、どうも白馬の方らしい。スキー場も見えていた。
信州中野あたりから右手に見えていた雪山は志賀高原方面らしい。あーあ、今年もスキーはできそうにないですね。
飯山あたりから雪の量が増えて、すっかり雪国となる。黒姫野尻湖あたりであれが黒姫山かな?とスキー場をみる。湖は遠いのか見えない。その先は妙高高原。
妙高から新井のあたりは雪が深い。
またうたたねしているうちに海岸べりに出ていた。ただし、トンネルが多くてあまり見えない。
糸魚川ICの文字が見えた後、トンネルの名前を見ていたら、子不知、親不知と見えた。同行者が、親不知・子不知は断崖絶壁の海岸沿いを歩くのは難関で、親は子を、子は親のことを考える余裕もないということでつけられた、という説があるそうだ。また平家の頼盛の奥方がここにさしかかった時に子を波にさらわれて歌った歌から来たという説もあるらしい。
鉄道も海岸ギリギリに走っている。ちょっと怖いですね。北陸新幹線はどこを通るのかしら?
海に近い越中境サービスエリアに停まってくれないかなと思ったのだが、バスはそのまま通過し、富山にかなり近づいた有磯海(ありそうみ)SAだった。ここはホタルイカの里とあって、ホタルイカの瓶詰とか干物とかせんべいとかいろいろ置かれていたが、帰りにまた寄ったら買おうと思う。
トイレのストーブが印象的
それから4,50分で富山について。街中はやや渋滞。雨も降っている様子。
富山駅北口についたが宿は南口だった。荷物は大したことないし、用事にはまたちょっと時間がある。せっかくだから、そのままプチ観光しようということになった。
北口にはライトレールという新しい市電のような乗り物が駅に着いたところだった。これに乗ってみようかという話になる。それでJR横の案内所でパンフレットを頂いて、乗り込んだ。鯰(なまず)温泉に行って見ようかと思っていたのだったが、ちょっと不便そう。駅から遠いという。
時間的に見てもそれほどは余裕がないので、富山港展望台に行って見ることにした。幸い雨は止んでいた。
このライトレールは旧JRの港湾線の後に走らせたモダンな電車だ。出口で200円を払う。滑るように走って、東岩瀬に着き下車。
頂いたパンフレットの地図に沿って、歩いていくと港の脇の道路に出た。あまり車も通らない道路際を行くと思ったよりは早く、展望台に着いた。3階分は階段を上らないとならないという。
吹き抜けに漁網と浮きを配した階段を上っていくと展望台にでた。四角い回廊となっていて、東西南北が見渡せる。晴れていたら、能登半島も黒部の山々もくっきり見えるのだろうが、今日は残念ながら、ぼんやり。山の上の方は雲に隠れてしまっていた。でも港の様子や海水浴場などは見ることができた。
見えなかったアルプスの山々
土曜日ということもあってか、車で来た人々がいらっしゃった。
途中に森家という海鮮問屋の屋敷が保存されているというので寄ってみた。裏口から入ってしまったのだが、4時半までということで入館した。既にガイドのおじ様が、一組のご夫婦に説明しているところだった。私たちも一緒に説明を聞いたが、なかなか興味深かった。
見た目は質素だが、贅を尽くしたつくりで、屋久杉や、桜の板で作った天井は見上げると木の節が龍の絵のようにも見え、廊下の板は松だったかの板で、この長さのまっすぐな松は少ないのではないかと思った。板と板入りこに組まれていて、お金が入るようにということだそうだ。
トオリニワという土間には、小豆島からいかだで運ばれたという一枚板が敷かれていたが、その長さは8メートル幅は2メートルくらいだろうか厚さも相当にあるのだそうで、よく運べたなと驚いた。
ガラス戸にはめられたガラスは、手作りのものだそうで、でこぼこやゆがみがあるが透明感が素晴らしかった。
蔵の外とか扉の内側につけられた飾りは漆喰をコテで彫刻のように作ったものとかで珍しかった。
一度火災に合って大事なものが燃えてしまったあと、立派な金庫をしつらえたとか。それが茶室の隠し戸の向こうにあって、鉄の扉の板の中には砂が挟まれていて防火対策が施され、扉は二重になっていて、その中に桐ダンスがあって、大事な証文類がそのままの形で保管されていた。
二階には番頭部屋と、反対側に女中部屋が作られていた。
出入り口にはくぐり戸があり、その横の部屋の外側は、簾虫籠(すむしこ)という竹の簾のようなつくりで、これは中からは外が見えるが外からは中が見えにくいそうだ。
なかなか珍しいものばかりを拝見したのだが、この建物が森家から倉敷の大原美術館を建てた大原孫三郎の息子総一郎が買い取り、親交のあった棟方志功の版画のレプリカが飾られていたのにはまたまたびっくり。というのも親が姫路に住んでいたこともあり、私も親と一緒に時々大原美術館を訪れていたことがあったからだ。その版画は記憶には残っていなかったけど。
クラレの富山工場が閉鎖されるまで、この建物はクラレの人たちが使用していたそうで、その後富山市に無償で譲渡されたのだそうだ。裏から入って表から出たのだが、その隣には北陸銀行の店舗があって、街並みに合わせて同じような作りで面白かったのだが、後で調べたら、コンクリートつくりで、町おこしのために外装を街並みに合わせたそうだ。
思わぬ歴史勉強にもなった。
さて閉館時間にもなり、パンフレットに載っていた食堂が途中にあったので、寄ってみた。行きがけには準備中と書かれていたが、もう開いていた。パンフレットにあった白エビを使った定食屋さん、というのが気になっていたのだ。昼が軽かったせいもあって、お腹が空いていたし。
それで、ちょっと張り込んで、海鮮丼を注文。白エビラーメンというのもあったけど。
海鮮丼には、ゆでたホタルイカ2個と白エビの刺身が少し、後はいろいろな魚がのっていた。どれも新鮮でおいしかった。白エビは本当に甘くて、おいしく、量が少なく、もうちょっと食べたいなと思ってしまった。白エビコロッケがついて来たのだが、それは白エビのみそなどを使った具が芋の中に入っていたが、少し独特の香りがして、先に食べた方が良かったかな?生野菜もついていて、健康には良かった。
そうそう白エビ漁の解禁は4月からで今は冷凍ものだそうだ。ホタルイカは3月9日解禁だったそうで、新ものみたい。新しいせいか目玉もまったく気にならずに食べられた。
お腹いっぱいで、ライトレールの東岩瀬駅に戻り、しばらく待って富山に。
その後、同じような名前の駅があったために市電と地鉄を間違えてしまい、暗くなって正確な地図も持たず、タクシーも通らない場所ですったもんだの末、まあ、無事に用事を果たすことができてよかった。
回転ずしもよさそうと思ったのだが、ネットに出ていた、きときと寿司はちょっと遠そう。バスで見かけた祭はやし寿司も後から聞いたらおいしいのだそうだ。こちらは比較的に近くにあったみたいだけれど。先に地元の人に聞けばよかった。