北陸新幹線のえきネットの割引乗車券を利用して、上田から菅平高原にバスで出て、登山口まで送迎してくださるという宿が見つかったので、そこに泊って、鳥居峠登山口から、登り、四阿山からすぐ菅平牧場管理事務所の方に降りる予定にしていた。しかし、宿の方から、同じくらいに出発して、子供連れでも根子岳に縦走して菅平牧場管理事務所に2時半くらいに降りられましたよという話に、行けるかしら?とおもってしまったのだった。帰りのバスは16:30に乗れば、格安チケットで買うことのできた新幹線の時間には十分すぎるほどの時間がある。
というわけで、最終的には四阿山から根子岳に縦走した。カラマツの黄葉が見事で四阿山は百名山だけあって360度の展望、北斜面には10月半ばに降った雪も結構残っていて、霧氷も見られた。
5日 上田城
バスまで1時間半近く時間があったので、徒歩10分と出ていた上田城に足を延ばした。駅から西の方に大通りを進むと、やがて左手に木々が色づいた場所が見えて来て、お城らしかった。
城内は6日7日のもみじ祭りか何かの準備の様子。
会場横だったかの並木、変わった木だったので何かなと思ったら、名前があった。上田で養蚕業を広めた三吉米熊氏がフランスのリヨンに養蚕業の勉強に行ったときに持ち帰った枝垂れ桑の子孫らしい。信州大学繊維学部の始まりの先生らしい。そういえば銅像が立っていたが、ちゃんと見ていなかった。
大イチョウの向こうに紅葉の山並みが見えた。
ケヤキ並木も夜はライトアップとか。帰りも時間があるから明日も寄りましょうか?と言いながら駅前のバス停へ向かった。
バスは16:30発。結構若い学生が並んでいたが、バスが到着したら、テンデバラバラに集まって乗り込んでいた。リーダーが上田方式かなと言っていた。
バスは夕暮れの上田の町を通り、学生などを所々で降ろしながら進んだ。通学バスでもあるらしい。運転は荒めかな?菅平口からは、高度を上げていく。所々で乗客を降ろし、菅平高原でも何か所か人が下りた。そのころはあたりは真っ暗。これでは宿を見つけられそうにない!幸い、ダボスで地元の女性と学生が下りた。乗車賃を払う間に女性は足早に立ち去ってしまい、私は学生の男の子に宿のことを聞いた。坂を下りてから右に登って行けばあると教えてもらったので、坂を下りて行った。
さて登っている道が二つあるように感じられて(暗いから、道なのか何かの建物の入り口なのかが分からない)、下側の建物のところに人が出ているようだったので、再度お聞きした。それで行こうとしたところは間違っていて、左側の道路が正解だった。Pホテルの向かい側ですとおっしゃったので、また真っ暗な道を登る。しばらく登ると赤と青の電飾が申し訳程度に飾られているところが見え、暗い中、Pホテルの看板が見えたが、建物は大分上の方らしかった。そこを通り過ぎると、左手に目的のお宿の明かりが見え、入口はすぐだったので、助かった。バスが遅れたので、到着は5時50分近かった。
こちらの宿は、学生の合宿などにも利用されているらしかったが、コロナ対策もしっかりしていて、まずは検温とアルコール消毒。それから手続きをした。夕食は6時15分からお願いしますと言われて、部屋に入ってゆっくりするまもなく、夕食ですという放送?があった。お部屋の畳は新しく、広めのお部屋でほっとした。格安だからと6畳一間かなと思っていたので。
ホームページにも書かれているように、青魚のマリネや味噌煮、刺身や陶板役の豚肉などに野菜の天ぷらとサラダ、それにそばがついていた。たっぶりでおなか一杯になった。列車でお酒を飲んできてしまっていたので、お酒は注文しなかった。お酒で稼げるのにね。すみません。
お風呂は、人工温泉という湯舟に熱いお湯が張ってあり、私は水をジャージャー流しながら入った。電灯をつけるスイッチが並んだ中にお湯を沸かすボイラーも点灯するらしかった。
それから登山の用意などを整えて、就寝。部屋の暖房の音がうるさいので切ったら、今度は寒くなってまたつけたり、消したり、やや忙しかった。
朝は6時半送迎をお願いしたので、5時ごろから起きて、持参のパン菓子などを頂き、薬を飲んで、玄関に。お弁当を頂いて、車に乗り込んだ。
鳥居峠の登山口まで送迎してくださるというので、地図を見たら、その方が頂上に早く着くようだったのでお願いした。周囲のカラマツ林の黄葉というか大分オレンジ色になっていて、見事だった。
鳥居峠のところから未舗装の林道に入った。かなりデコボコ道だし、人っ子一人いない。お聞きしたら熊もいますよとのこと。今年は出没が少ないけれど、昨年は多かったそうで、宿の乾燥室の前に現れたこともあるとのこと。鈴やラジオで音を鳴らして歩けば大丈夫ですよと教えてくださった。
帰りも送迎してくださるとのこと。ここで子供連れでも四阿山から根子岳縦走で2時半ごろには菅平牧場についていましたよ、と言われたのだった。縦走は時間的に無理かなと思って計画から外していたのだ。歩くのが遅いので、様子を見て考えますとお返事しておいた。菅平牧場の管理棟についたら電話してくれればすぐに向かいますとのこと。ありがたいことです。バス停まで30分から40分はかかるみたいだったから。
それで登山口のロータリーになったところで降ろして頂いた。ロータリーには車が一台だけ停まっていた。登山口の写真を撮りそこなった。
簡易トイレがあったので、空気が冷たく、利用しようとしたら、男性がこちらに向かってきた。私たちがいたので、少し安心したそうだ。その方もラジオをつけながら的岩コースを歩いて行った。私たちもまもなくラジオをセットしたり鈴をつけて出発。結局放送がよく入るのはNHKの第2で、今日も又、英語の勉強をしながらの登山となった。覚えられるわけはないのですが。その方とはその後一度もお会いしなかった。ザックも小さいし、速足みたいだったから、私たちが頂上に言ったころには、分岐から戻られたのだろう。
カラマツ林が続く。
やや、急坂になると日が当たって暖かくなり、上着を脱いだりした。その後カラマツ林はいつの間にかダケカンバの林になっていた。
所々で展望が開け、林の向こうの山の黄葉が見事。
さらに登ると冠雪の山も見えて来た。
その後的岩が現れた。柱状節理の大きな岩がそびえていた。左手の岩が半円状になっていて、昔、弓の的にしたとかの伝説があるのかな。
さらにしばらく歩くと東屋があり、横に登山歩道の案内板があった。
しばらく登ると尾根道に出たが、下草には霜がついていてきれい。
日影に雪が残っていた。
このあたりから階段が増える。このあたりはしっかりした階段だが、その後、斜めになったところも多かった。
見上げるとナナカマドの実が青空にきれい。
登山道わきの笹も白くなっていた。
ガレ場に出た。クロマメノ木の紅葉も終わりかけ。あたりは針葉樹が多くなっている。
一登りするとつま恋清水の標識があった。10分降りると清水が湧いているらしいが、登り返すのもつらいのでそのまま通過。
その先を頑張る。
頂上部に出たようだ。お社があり、石の祠が並び、頂上に出た。
山頂には10時半についた。ゆっくり目の計画では11:30だったので、1時間も早かった。標準ということかな?
北西側
北東
南東側
南側
富士山もかすかにてっぺんが見えていた。
東側
北アルプス方面 槍ヶ岳らしい形も。
田代湖方面
ふと北側を見たら樹氷が残っているのをリーダーがおしえてくださった。
すぐ上の木に一つだけ残っていた。
岩場に腰を下ろして宿のお弁当を頂いた。せっかくお湯を入れて頂いたが、風もなく暖かかったのでカップラーメンは食べなかった。
それから11時ごろに下山に向かう。少し進むと山の北斜面が白いのが見えた。
直接菅平牧場への分岐に標識が見当たらず、こっちかなと思うところはあったのだが、人もいなくて、時間も早かったのでつい根子岳の方の道に進んだ。ちょっとだけはなだらかだったのだが。登ってきた中高年の方は凍っていたり、ぬかるんでいて大変なところがあったとおっしゃっていた。
この先は本当に大変。根子岳に向かう北斜面の急降下の道は、雪が固まって凍り付き、非常に滑りやすくて、ストックを頼りになんとか降りたが、「段差の大きなところもあるから気を付けて」、と若い登山客に言われた通りかなり大変。時間が余計にかかって、鞍部のあたりで正午の鐘が鳴ったので、ちょうど一時間くらいかかってしまった。写真撮る余裕は全くなかった。
鞍部の大隙間あたりからの四阿山を振り返る。
このルートはエスケープルートがなくて、あの凍り付いた急斜面を登り返して降りるか?根子岳に登って降りるかだけれども、根子岳山頂はすぐ見えているところかなと思って、登って行った。リーダーは送迎の時間は、宿の予定もあるだろうからと先を急いでいらした。
頂上と思ったところは何も標識がなく大岩が並んでいた。鬼遊びの庭というらしい。
でも最初の山頂と思ったところの先にもう一つ岩の山頂らしきところがあり、登ってみると、さらに山頂はその先で2回も騙された。
山という石柱があったが。。。
山頂はまだ先。
岩の間をすり抜けたり、よじ登ったりして、やっと鐘がある花の百名山の根子岳頂上だった。
こちらからも、山並みがきれいに見えた。しかし、先を急いだ。
菅平牧場への下山道。これが岩や石を敷き詰めた登山道で、足に来る。
ささやぶの間の道にも岩や石がある。
前半は草原の気持ちの良い、比較的に歩きやすい登山道だったが、後半は岩が多くなり、段差もあり、かなり狭くて難儀するところもあった。大分歩いたと思った標識は牧場まで2キロでその後も大分歩いたと思ったらなんと標識には牧場まで1.8キロで200メートルしか進んでいなかった。がっかり。ただ、日差しのあるところが多くて暖かく、攣れることがなかったのが幸いだった。
一応この時点で宿に電話を入れて、多分3時ごろには降りられると思うとお伝えした。着いたらまた電話する予定だった。牧場の柵が見えて来た。
展望地かなと思った広場は展望台ではなくて、それから少し進んだところに東屋があった。それからはややなだらかになって、歩きやすくはなったが、牧場の建物の屋根が見えて来ても、なかなかつかなかった。足の痛みをこらえて、やっと降り着いたら、もう宿の車が止まっていて、ご主人が出ていらしていた。大分お待たせしたのかもしれない。3時よりは少し前につきましたが。泥だらけの靴で乗り込んだ。
それから宿に登山バッジがあるというのでお寄りして、さらにお土産が買える農協前まで送っていただいた。ガソリン代高騰のおり、本当にありがとうございました。
さて、お土産を買って、予定のバスより1時間半前のバスに乗れてしまって、早めに上田駅に着いたが、リーダーも私も靴が当たって痛くて、お城まで歩く元気もなく、新幹線の待合室で、おにぎりの残りを頂いたり、非常食を頂いたり、居眠りしたりして時間をつぶして、予定の電車で帰った。軽井沢からはかなりの人が乗り込んできたが、満員ではなかった。上田では、トラピックスとかクラブツーリズムの団体も新幹線に乗り込んでいた。ツアーも復活しているのだなと、改めて思った。
大宮で湘南新宿ラインに乗り込んで帰宅した。自転車がバンク気味で、最寄駅から歩いたので、足が痛くてつらかったが、無事に帰宅出来た。
今年はお天気に恵まれる日が多くて、今回もややハードコースとなりましたが、ケガもなく帰宅出来てありがたいことです。留守番の家族にも感謝です。