今日は休日である。
用事は何もない。娘を保育園に送りに行った。
「お父さんが休みなので何々ちゃんはお休みですね」と保育園の先生が電話をしていた。本来、父か母が休日の場合、子供は家でめんどうをみるのが園のきまりである。申し訳ないが俺は無視している。
人間、子を持つ親であれ、自分と向き合う一人の時間が必要であると思うからだ。
嫁はまじめなのでそのようなことはしない。法を犯すことを嫌う。
ということで、ごろごろしながら「不機嫌な果実」を観ていた。
「好きな人がいるならおじさんに電話しちゃだめだ。おじさんだって傷つくことがあるんだよ。今日は家まで送れなくてごめん」と石田ゆりこを車から降ろした内藤剛にかなりのダンディズムを感じる。
林真理子は人間の衝動がはじけたときのすざましさを表現したかったに違いない。
それは石田ゆり子とオトコグミの彼との濡れ場に凝縮されている気がする。気がするだけだ。
先日、バイト先で派遣ドライバーの北村さんと「衝動」の話をした。
北村さんは1年前ぐらいのある夜、串かつが無性に喰いたくなり、次の日たまたま仕事が休みだったので、嫁と二人で高速に乗り大阪まで串かつを喰いにいったらしい。彼のフィーリングの軽さに衝撃をうける。45歳である。
年なんて関係ねーと思った。
ああこれやりたい。と思ったときが動く時なのかもしれん。
「明日やろう」とか「そのうち暇なときに」などはだめだ。「衝動」の熱は冷め、
つまらないアイデアに変わる。
皆さんは衝動を押さえ込みながら、なんやかんやに拘束されている。俺もその中の一人である。社会のシステム上、拘束されないとお金が発生しないのでションガネー。でもどこかで「遊び」がないとね。
話は変わるが先日、ひっそりとボイストレーニングに行ってきた。
歌の先生をしている田中さんに無料で指南していただいた。
俺は歌うとき肺で呼吸をしていた事にきずかされた。
腹式呼吸がボーカリストの基本ならば、俺はそれを無視して歌っていたのである。
受身を知らない柔道家か。
何事も「基本」→「応用」が望ましい。
基本ができていないと必ず壁にあたる。それ以上どこへもいけない。
「今からでも遅くない、基本を学ぶんだよ」と俺は自分自身にムチをうつ。
順番は逆になってしまったが、俺は基本にもどる。そういう時期だ。
解からない事は人に聞かなければいけない。
自分と向き合い解からない部分は、他人に自分を見てもらうしかないのだ。存在不確かな我々が「自己」を保つために。
さて、そろそろランチタイムだ。
何を喰らい、そして何を語らうか。