hey is imamura-blog

日常の中に俺があり、俺の中に日常がある。それは矛盾の中にひそむ真実である。真実を記録する。それは事実になる。

流れに体を馴染ませよ。

2007年09月11日 00時39分22秒 | Weblog
9月4日
俺、誕生日。ちなみに32歳になった。子供たちも大きくなった。家で手巻き寿司をやる。シメサバをつまむ。あらゆる鮮魚を押しのけ、俺は実を言うとシメサバが好きであったりする。アジも好きだ。光物が好きであります。

9月5日
ドラムのヨーヤンとプレザントタップレコーディング。
競馬の話から音楽の話への転換が上手く出来ず撃沈。試し取りした音源を家で聴くとなんともいいメジャー感が出ていたが、次回、魂を込めて改めてレコーディングである。

9月7日
台風が来る。バイト終了後、デカスロンのライブに出向く。案の定、客は俺一人であった。傘もぶっ壊れた。しかしいいライブだったよ。客のいないガラーとしたライブハウスで一生懸命表現する彼らの姿は、明らかに生きた者へのメッセージではなく、死んだ者へのメッセージに聞こえてならなかった。そう、そこにはまさしくまさーしが居たと、江原先生がスピリチュアルに言った。もちろん嘘だが。
しかし、死者はそれぞれのむねに宿るのである。ライブのステージで明らかに彼らは各々のむねに対して演奏、はじけ飛んでいた。そしてまた、俺もマサシのことを思った。

9月8日
久しぶりの府中。
ターフには馬が走るのではなく、芝刈り機がウイーンと走っていたが、とてもいい気分だった。午前中までは。馬券は全く当たらず、撃沈。ランチタイムに府中二郎へ。約一ヶ月ぶりのジャンクフードに体はすぐに反応した。どんぶりを持つ手が震えて止まらなかった。一口食べて全身が震え上がった。やっぱウメエ。これはジャンキーフードだ。

9月9日
キッチンとキョンキョンの結婚を祝う「宴」。
田舎のばあちゃん家(竹森商店)の新年会のような会場で呑む。唄う。大いに語らう。キッチンがどじょうすくいのカッコウで現れ、さすがこの男は宴というもんを熟知している、と思った。古い友人、とも君にも会い、テンションが上がりセッションをしたりした。シーボーや植竹さんや小泉君等ともセッションした。時間が足りない、一晩宴やあ、という最高の雰囲気であった。やっちんプロデュースの宴。最高であった。結婚おめでとう。
いやしかし、呑めば必ずマサーシの話がひょっこりと顔をだす。
彼は幽霊となって俺たちの「会話」に顔をだすのだ。しばらくこの感じが続くのだろう。とても悲しく、辛いことだが、それはなんか遠いふるさとを思い出す感覚、郷愁に似ている。いつか懐かしくいとおしく、彼が生きたことを懐かしむことができるだろう。

9月10日
バイト。
コールセンターの仕事である。
ぶっちゃげ自分が情けなくなるくらいに電話に出る時、緊張してしまうのだ。
そして緊張して思うようにしゃべれない己に対してものすごく腹が立つのだ。
この歳になって、新しい何かを始めた。それは興味があることではなく、たいして役に立つことでもないコールセンターの仕事である。
知らないことを人に説明することがこんなにも辛いことなのだろうか、と思うぐらいにつらい。ある一定のラインに達すると俺はスランプに陥り、またスタート地点へ戻る。そしてまた一定のラインに達するとスランプに陥る。永遠にコレが続く訳ではなかろうが、今の俺にはすごくこたえるのである。
周りに仲間がいない。美女はたくさん居る。みんなイイ先輩ばかりである。だがこの苦しみを共感する同じ境遇の仲間がいないのだ。孤独である。これほどの孤独はない。

ただ、一ついえるのは、俺はそんなにヘコタレル人間じゃないはずであった。
しかし、ここ半月ぐらいの、めまぐるしい周りの変化に肉体が、精神が、ついていけないのである。よって、ささいなことで弱る。世界の果てにいる様な気持ちになってしまうのだ。
しばらくこんな精神状態が続くのか。
しかし俺は乗り越える。
サラっと乗り越えるのだ。
全てを肩に担いでフンドシ一丁で豪快に乗り越えるのである。
おもしろおかしく生きて行こうじゃないか。


気が抜けた。そして仕事を休む。

2007年09月02日 22時48分19秒 | Weblog
昨晩はマサシの追悼イベントに行った。
高木家にマサシの大量の服を取りに行った。
観れば観るほどケルトアンドコブラの服だらけであった。全部ヤフオクに出品したら大袈裟ではなく50万ぐらいにはなるであろう服だらけであった。
ビニール袋四袋をぶら下げ、青山骨董通りにチャリで行った。
葬式で会った人たちがぞくぞくと集まった。
マサシの兄さんがマサシの写真を革の写真入れに携帯しており、見せてもらった。
ディズニーランドで撮った写真とハートブレークキラーズでドラムを叩いている写真だった。ディズニーランドの写真はやたらニヤニヤしたマサシが写っていた。
きつかったので便所に行き泣いた。
マサシの前の彼女のアスカちゃんとも少し話ができた。
うちの嫁と昔、こんな話をしたことがある。
マサシとアスカちゃんが分かれることにより、俺たちとアスカちゃんの接点はなくなった。ちゃんとお別れもせず、これから多分出会うこともないだろう現実がとても寂しい。と。
皮肉にもマサシが死んでしまうことで彼女と再会できた。
彼女の帰り際にこのことを彼女に伝えた。
なんとも複雑な笑みを浮かべ彼女は帰っていった。
しかし、俺は実際、誰とちゃんとお別れをしたというのだろうか?と自問自答した。2度と会えない友達はみんな別れを告げず行ってしまうじゃないか。
マサシは俺に何も言わず死んでしまったのだ。
ライブでは三曲演奏した。
弾き語りで「東京」「来るべき世界」。
バンドで「GOOD LUCK」。
どちらも最高のテンションで歌うことが出来たと思う。マサシの兄さんとマサシの彼女にささげた。
結局、朝の五時までその場にいた。
ゲロを三度吐いた。
シーボーとチャリで帰った。
2人して終始無言であった。もう、本当にマサシについて俺たちは語りつくした。
何も言葉がなかった。「終わったな、おつかれさん」と言って別れた。
日曜は仕事だったが、電話して休んだ。
バイト先の事務員が病院に行って領収書を持ってきてもらわないと欠勤扱いになる、当日の欠勤は本当に困る、と言った。俺も31歳だ。そんなことは重々承知している。ただ、「友達が死んだんだ。そして今日追悼ライブをやってひと段落ついたんだ。だから体の力も抜けバイトどころのテンションじゃないんだ。」と叫びたかった。電話先の彼女に向けてではなく、全体に向け叫びたかった。
マサシにかかわりを持たない他人に言ってもしょうがないことはわかっている。が、叫びたかった。
人が死ぬ事とは何なんだろうか。と今回みんなが思ったであろう。
それぞれがそれぞれの解釈をし、それぞれなにかを学んだのだろう。
人が死ぬこととは骨になることだ。と俺は思った。
その当たり前が、周りの人間にとってなんと残酷で悲しいことかわかった。
そして、人が死ぬことによって、その周りの人たちと今まで以上に親密になれた気がした。同じ悲しみを共有したのだ。ただ、ここにマサシがいないことが残念でたまらなかった。
悲しみはそうそう癒えるものではないと思う。
これから先何度もマサシの幽霊をいたるところで見るだろう。
「時の流れに任せて何とか乗り越えてください」とうちの母ちゃんからメールがあった。とてもシンプルだが、それが答えかもしれない。

明日はライブだ。
時は待ってはくれないのだ。