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日常の中に俺があり、俺の中に日常がある。それは矛盾の中にひそむ真実である。真実を記録する。それは事実になる。

とある平日の休みの文章

2013年03月06日 16時13分44秒 | Weblog
会社の入門書の写真が出来上がったので眺めた。
俺もずいぶんと歳をとったもんやと思った。
若い頃にしか思わない事、出来ない事ってあるが、
年をとらないと思わない事、出来ないことってのもある。
自身の音楽への接し方も随分と変わった。
若かりし頃は人に認められたい願望が先立って、殺気立っていた。
年をとり、人に認められる事はまあ、結果論やって事に気付いた。
わがやりたい事をやりたいように表現すればいいのだ。
ただ、それはシンプルであるが故、とても難しい事だ。
「はたして俺は歌で何を言わんとしているのだろうか」やら
「何でわざわざ人に聴いてもらう為に努力しているのだろうか」やら。
歌う事に純粋に陶酔しているのなら(究極の形ではあるが)
部屋で一人で歌っておれば良いのである。
だが、俺は人前で歌う事や人々に聞いてもらう為の努力をする。
世の中には楽しい事がたくさんある。
だが、それらより、この自問自答や自己の精神への探求を必要とする
表現を捨てきれない。独り言を言いながら。地道な作業の連続や。

とにかく、
今の俺は人々の「評価」は置いといて、まずはできるもの、湧き上がってくるアイデアを
発信する。
突拍子も無いサプライズな事や
これらを生活の糧とする方法は今のところ思いつかない。
が、俺の中でぱっと閃いたアイデアはきっとだれかの救いになると思っている。
まずは周りの家族や、仲間たちの救いになればと思っている。

そうする事で
俺は生きているっちゅう実感をするのかもしれん。
周りまわって自身にとってとても「体にいい」事である。

そう考えると誰にでも
表現は必要な事かもしれない。
健康に生きる為に。


今村 竜也 「親父の意思」