hey is imamura-blog

日常の中に俺があり、俺の中に日常がある。それは矛盾の中にひそむ真実である。真実を記録する。それは事実になる。

三十路は二度泣く

2005年09月30日 00時10分41秒 | Weblog
酒ばかり飲んだ一週間だった。
正確に言うとビールばかり飲んだ一週間だった。
しかし、まあぼちぼち芋焼酎の季節であろう。買い置きが無いので買わんとね。
屋根裏でのライブ、来て頂いた方々、ホントありがとさん。
打ち上げだけでも顔出してくれるのもありがたいね。要するに、人間は「行動力」
であります。「行きたかったけど行かなかった」は俺的には、「めんどくさいので
行かなかった」に等しい。本当に観たいライブは金が無くとも観に行ってました。
「頼む、招待してくれ」とか、「頼む、シーボー金貸して」とか。いざとなれば、
「ういーす」と言いながら受付を通過すればスタッフと間違えられタダ観ができる。シェルターの楽屋からステージに走り込み、ダイブしてライブを観たこともある。まあその前に、俺らがそう言う衝動に皆様を駆り立てさせるサウンドをかもし出せ!っちゅう事かな。いやいや、かもし出しているぜ。と言うことでみんなライブ来て。

ライブの次の日はデカスロンのライブを観に行ってきた。
打ち上げにもつい、出てしまった。金も無いのに・・・。迫師匠におごっていただいた。ありがとう。その後はアズミ君にピーチで一杯おごっていただいた。ありがとう。ピーチの机を手ドラムで叩きすぎて怒られた。しかし、我ながら良いサウンドだったので、あまり反省はしていない。

その次の日はバイトの仲間たちの送別会だった。
弥生町のちょっとした宴会場で飲んだ。
野郎がわさわさと一升瓶を廻し飲む姿は幕末の志士たちか、はたまた特攻隊員の
出発前の雰囲気に似ていた。其処にはダレも顔には出さないが、確実に「さらば友よ」と心の中で泣いていた。さらばよさらば。

そして嫁が娘を連れて実家に帰る。(里帰り)

そして本日、2度目になるが俺は世界の中心でアイを叫んだ。
正確に言うと、セカチューを観て涙ぐんでいた。
映画館にも見に行ったのだが、「こんなミーハーな映画で泣くかこらあ」
と粋がって映画を観たが、映画館を出たとき俺の目は腫れていた。
「テレビでセカチューやるらしい」との噂を聞いて、「ありゃあ映画館で観らんと
だめやろうもん、映像のニュアンスがテレビじゃ伝わるかこらあ」と思いつつ、
今日観て涙ぐんだ。
セカチューの中でたまらんシーンが二つある。
わざとらしいのでここでは書かないが、俳優達が演じる表情だったり、吐いた言葉だったり、それは映画のストーリー云々を無視して、俺の脳みそにダイレクトに影響や共感を与える。
二度とは戻らぬ青春の記憶だったり、
この世にはもう存在しない人々との会話だったり、
忘れたくないが忘れてしまう事に対しての寂しさだったり。

サヨナラ、サヨナラ街よ。歩き疲れた俺、もう其処にはいない。
三十路は二度泣く。いや、百度ぐらい泣くか

象徴的な月とその他

2005年09月19日 01時08分25秒 | Weblog
月日が過ぎるのが早いのか、はたまた俺がぐうたらなだけなのか。
前回のブログ更新から一週間もたってしまった。
まあこの十日間は楽しいことだらけで、飛ぶように時間がすぎたね。
俺のせいじゃない。じゃあダレのせいだ?それは月のせいさ。
と言うことで久しぶりに更新します。
まずは・・九月十二日。
山下君のバンド、リトバルスキーを渋谷ウエストに見に行く。
話を聞けば、そのライブイベント、ノルマがあったらしく、ひとバンドなんと
2300円のチケット×90・・・・・。
「山下君、これは確実に悪い大人にだまされているよ。」と言う。
しかし、「分かってます。でも大きな会場でやってみたかったんですよ。」と
山下君は笑顔で言った。若さってやつは素晴らしい。
同時に俺が実は悪い大人になっちまったんじゃないか。とか思うが、三秒ぐらいで
思い直す。自己嫌悪ほどつまらん物はない。
自分を哀れむことを続けると必ず顔にでる。
プライドを高くもつ事ではない。
ただ、自分を哀れむ人は哀れだ。哀れな歌はダレも聴かない。

九月十三日。T.H.B.K.B.B.Q.13であった。多摩川にて。
350の缶ビールを二本半飲んだだけで寝る。
河原の砂利の上で寝た。この前の大雨の時、この場所は水の中だったのだろうか。
など想像していると、何とも神秘的な気持ちになった。
昔、子供の頃、近くの海水浴場で海に潜り、海底から水面を見上げたときの
風景を思い出した。
パンチガールももこが、「真心の新曲かなりいいよ」と言っていた。
テレビでチラっと聞いたことがあったが、俺も気になっていたので、
「ああ、ツタヤで借りるかね」と言って、まだ借りてない。
この日は、俺の誕生日会も兼ねていたのだが、外で喰らうケーキは美味かった。
三十路ながらも少しはしゃいだ。真心の新曲がアタマの中をグルグルと回っていた。
九月十四から十五にかけて、植竹さん、ヤッチンと西湖にキャンプアンドフィッシングに出かける。
雄大な自然の中、野郎三人でビールを計24本飲む。
あとししとうも24本喰らう。
当初の予定ではブラックバスを釣って、焼いて喰らうはずだったが、ボウズだったので肉を焼いて喰らった。
俺は自分で言うのも何だが、アウトドア派だ。
自然の中に体を置くと、全身の力が抜ける。夜になるとすぐに眠くなる。
ワンシーズンに一回は雄大な自然の中で一泊でもするべきだと思う。
何が今回のキャンプ素晴らしいかというと、いつもだいたい話だけで風化してしまうアウトドア企画がしっかりと実現した事。
大げさかもしれんが、遊びだったり楽しいこと全般に対しては、フットワークの
軽い奴でありたい。俺の亡くなった叔父、丸山峰好のように。
行動力のある男はかっこいいのである。

そして一昨日、娘の和葉が歩いたのだ。
バイト中、嫁からメールが来て、なんと六歩も歩いたらしい。
その歴史的瞬間に立ち会えなかったのは残念なことだが、いやホント子供の
成長力たるや、前も書いたが、スゴイ。
こればかりは、身近に子供がいる人でないと分からんだろう。

そして今日は十五夜や。
俺は季節の中で、秋が好きだ。
秋は吸い込まれるほど空が綺麗な時があるし、どこかもの悲しい感じがする。
灰がちになりて悪ろし。
ベランダで煙草を一服して寝よう。

夕暮れ時の赤い赤い空

2005年09月08日 00時50分09秒 | Weblog
どうも。三十路の今村です。
皆様からたくさんの三十路祝いメッセージをいただきましてありがたいもんです。
博多の母ちゃんから誕生日プレゼントや、とビール券と小遣いを頂きまして、
「30歳にもなって親から誕生日プレゼントなんて照れくさい」などと言いますと、「いくつになっても誕生日はウレシイ一日であってほしいよ」と、祝い袋に
一言メッセージが添えられておりました。親には一生アタマが上がりませんな。

さて、本日もバイトで2トン車の助手席に乗って、お客様に真心を配達していたのだが、夕方、空を見上げてびっくり。ここ数年で一番の夕暮れを観ましたよ。
台風の通過+秋。特に素晴らしかったのは夜になる数分前ぐらいだった。
いつもなら「黒」もしくは「紺」なのだが、今日は「赤黒水色」やった。
言葉で表現できない。写真を撮りたかった。
画素数の多いカメラが付いた携帯電話がほしくなった。
そして、ビールが飲みたかった。
ただ、それだけである。
が、しかし、なんだろう。とても重要な夕暮れだった。
大自然パワーやな。
毎日こんなに良い景色を肴にビールが飲めるなら、それはそれでとても
幸せな日々だろう。

柳本ジャパンを応援して寝るか。それではまた。

二十代最後の夜。

2005年09月04日 00時00分08秒 | Weblog
ビールを飲むと一日が終わる。
バーとバイトをして、夜の九時頃帰る。一日、がんばった自分へのご褒美として
ビールをいただく。OLさんがボーナスでブランド物のバッグを買う風習の毎日版である。のど元をビールが通過していく瞬間、俺は「悦」に入る。
そしてその後はごろごろと我が子と転がり、夢の中である。
おかげさまで、何もはかどらない。一日が終わる前に片付けなければいかんことが
先延ばしとなる。次の日へ持ち越しや。
しかし、次の日も、またその次の日もビールを飲んでしまうのである。
俺が仮にマスオであったなら、これで全ては上手くいくのだが、俺は磯野家の人間ではない。
ビールを本当に好きになったのは五年ほど前だ。
現在のバンドの前にやっていたバンドが上手くいかなくなってシーボーとヤンヤヤンヤと家で発泡酒をのんでいた時からである。
それからというモノの、大自然にふれれば「ああ、大自然のなかでビールが飲みたい」と思い、美味いモンを喰らう時は「ああ、美味いモンをつまみながらビールが飲みたい」と思い・・・きりがない。とにかくその時々のシュチュエーションを肴にビールが飲みたくなるのだ。
今日もバイトが終わり、晩飯時ついビールを飲んだ。
しかし今日は二十代最後の夜。
震える手でかちかちとキーボードをはじく。
持ち越してはいかん事もあるのだ。

二十代全般を振り返って、俺はまず幸せであったと思う。
美人の嫁をもらい、デブな猫をもらい、かわいい子供も産まれ、好きなバンドを
やれる。これは二十代の俺の集大成だ!と声を大にして言える。
「俺はこの先どうなっていくのだろう」などと思い悩んだ時もあった。
音楽を辞めようと思ったこともあったし、いろいろあった。
しかし、二十代最後の夜、俺は答えを見つける。
俺の人生に一つも間違えなどなかったのだ。
これから先は、本当に、純粋に、良くなるイメージしかない。
「人になんやかんや言われようと、こうなったんだ。結果さ。」と言える。
誰でも言えるんじゃないかなあ。など思う。
結果、そうなったって事は、良い方向に進んだと考えないといけない。

時間が無くなってきたので、ここでまとめる。
俺の二十代の集大成を文章でかく。簡単に。

まずは始めることである。
始めたら続ける。
飽きたら辞める。
辞めることは簡単。
続けることは結構、消耗する。
そして何より、純粋にイメージすること。
イメージほど具体的な真実はないのだから。

さようなら。二十代。