先日のライブの集客は5人であった。
裏腹に、テンションが上がった俺は曲を追加し、30分のステージ枠を超えた演奏時間、多分40分ぐらいやった。研ぎ澄まされた緊張感が前面にでた良いステージであったと自負するが、ライブ終了後ライブハウスのブッキングマネージャーに演奏時間が少々長いと釘を刺される。その昔、新宿のあるライブハウスで同じことを痛烈に指摘された。というか、「お前調子に乗るなよこら」ときれられた。
「お前ら客も呼べないくせに態度がでかいんだよ。何様のつもりでライブをやってんだよ」と。それ以来そのライブハウスには出ていないのだが。
俺たちは天才でもカリスマでもない。
しかし、たまにライブ中に全ての決まりごとなどが本当にばかばかしくなる瞬間があるのだ。それはただ単に、バイトのストレスや生活のストレスなどの発散であるかもしれないが。
少なくとも俺にはその感があった。その瞬間は自分がカリスマやら、神やらになった気分になるもんであるが。
「身を慎め」とはよく言ったもんである。
つまりは、動員もない売れないロックバンドは身を慎みながらロックしなくてはいかんのである。身を慎んだロックバンドたちがライブハウスの評価を得、世に出て行くしくみなのだろうか。
いやいや、特出した何かがあれば俺たちも人々を黙らせることが出来るのだ。
俺は今もそう思って生きている。
つまりは俺たちに「特出したなにか」が無いのかもしれん。
メンバー三人が同じ方向を向いていないのかもしれん。
具体的に述べると、曲の中でのそれぞれのピークポイントが違うのである。
よって、曲の強弱がぼやける。3ピースバンドとしては致命傷である。
作者の意向、例えば歌詞であったりをそれぞれが「ああこういう事を彼はいいたいのね、俺もそう思う。」と理解し尊重する。同時に共感する。そして初めて、その曲に対してのテンションが上がるのである。
単純なことだが、作詞、作曲者である俺に対して一ミリでもメンバーが不満を抱いていると、人々を黙らせる曲は成り立たないのである。
ただ、ここで誤解しないで頂きたい。
俺はメンバーを批判しているのではない。
表現者が三人で歩幅をあわせることがいかに難しく、それが実現したときのパワーのすざましさを言いたいのである。100でぶつけた気持ちには100で応えて頂きたいのだ。
100でぶつけて2ぐらいで返す者には何も語らないと数年前大阪で、分身、大橋綾介と語ったことを思い出す。
先日のライブ後、こんなことがあった。
俺はその時対バンしたバギーホールドジャイブスが結構好きだ。
理由はボーカル、るい君の歌声や造り出すメロディーがたまらなく心地よく、共感するからだ。その彼らがある舞台の音楽を担当し、その舞台がDVDで発売されたと聴き、ぜひ拝見したいと、その時ライブを見に来ていた舞台女優に言ったところ、
「1000円になります」と言われた。
俺は「じゃあ俺らのバンドのCDと交換しようや」と言うと、
「だって、それタダで配ってるCDでしょ?これは売り物なんです」と断られた。
「じゃあ、この俺らのCDは君にやる。こん身の作品や。一回でいいから聴け。ただしかし、君のDVDは人に頼まれても一生見ない。」と言った。
俺はひねくれジジイなのだろうか。
話は変わるが、まあとにかく、マサーシよ。気持ちは解かるがそう悲観的になるなや。と俺は思う。
彼は25歳である。このバンドでドラムを始めて4年が経つ。
この四年間でバンドが平行線をたどっていることに彼は苛立ちを感じている。
集客しかり、周りの評価であったり。
一生懸命やって評価されないと誰でも悲観的になる。
31歳、子持ちの俺もなる。
若いとなおさらだろう。しかし、決して自分が間違っていると思って欲しくはないのである。
必ず努力は報われる。
報われない努力は努力不足である。と俺は思う。
俺自身のウタが報われないのも努力不足である。サボり癖か。
今日はバンドの練習である。よってバイトは休み。
嫁に子供のオムツを買っといてと頼まれたので、外に出る。
本屋にぷらっとはいる。雑誌の特集で「ソカベケイイチとサニーデイサービス」という記事が特集されており黙々と立ち読みした。
その中でソカベ氏は「もっと日常的な歌が世にでるといいですね。例えば子供を保育園に送りにいく歌とか。音楽は身近なものであるべきです」と語っていた。
俺はそれをみて、なにか沸々とコミアゲルものを感じた。
そしてダッシュで家にもどり恐ろしく長い文章を書き終えた。今。
初期衝動。なくしたモノである。
しかし、思い出すことはできる。
思い出せ!
裏腹に、テンションが上がった俺は曲を追加し、30分のステージ枠を超えた演奏時間、多分40分ぐらいやった。研ぎ澄まされた緊張感が前面にでた良いステージであったと自負するが、ライブ終了後ライブハウスのブッキングマネージャーに演奏時間が少々長いと釘を刺される。その昔、新宿のあるライブハウスで同じことを痛烈に指摘された。というか、「お前調子に乗るなよこら」ときれられた。
「お前ら客も呼べないくせに態度がでかいんだよ。何様のつもりでライブをやってんだよ」と。それ以来そのライブハウスには出ていないのだが。
俺たちは天才でもカリスマでもない。
しかし、たまにライブ中に全ての決まりごとなどが本当にばかばかしくなる瞬間があるのだ。それはただ単に、バイトのストレスや生活のストレスなどの発散であるかもしれないが。
少なくとも俺にはその感があった。その瞬間は自分がカリスマやら、神やらになった気分になるもんであるが。
「身を慎め」とはよく言ったもんである。
つまりは、動員もない売れないロックバンドは身を慎みながらロックしなくてはいかんのである。身を慎んだロックバンドたちがライブハウスの評価を得、世に出て行くしくみなのだろうか。
いやいや、特出した何かがあれば俺たちも人々を黙らせることが出来るのだ。
俺は今もそう思って生きている。
つまりは俺たちに「特出したなにか」が無いのかもしれん。
メンバー三人が同じ方向を向いていないのかもしれん。
具体的に述べると、曲の中でのそれぞれのピークポイントが違うのである。
よって、曲の強弱がぼやける。3ピースバンドとしては致命傷である。
作者の意向、例えば歌詞であったりをそれぞれが「ああこういう事を彼はいいたいのね、俺もそう思う。」と理解し尊重する。同時に共感する。そして初めて、その曲に対してのテンションが上がるのである。
単純なことだが、作詞、作曲者である俺に対して一ミリでもメンバーが不満を抱いていると、人々を黙らせる曲は成り立たないのである。
ただ、ここで誤解しないで頂きたい。
俺はメンバーを批判しているのではない。
表現者が三人で歩幅をあわせることがいかに難しく、それが実現したときのパワーのすざましさを言いたいのである。100でぶつけた気持ちには100で応えて頂きたいのだ。
100でぶつけて2ぐらいで返す者には何も語らないと数年前大阪で、分身、大橋綾介と語ったことを思い出す。
先日のライブ後、こんなことがあった。
俺はその時対バンしたバギーホールドジャイブスが結構好きだ。
理由はボーカル、るい君の歌声や造り出すメロディーがたまらなく心地よく、共感するからだ。その彼らがある舞台の音楽を担当し、その舞台がDVDで発売されたと聴き、ぜひ拝見したいと、その時ライブを見に来ていた舞台女優に言ったところ、
「1000円になります」と言われた。
俺は「じゃあ俺らのバンドのCDと交換しようや」と言うと、
「だって、それタダで配ってるCDでしょ?これは売り物なんです」と断られた。
「じゃあ、この俺らのCDは君にやる。こん身の作品や。一回でいいから聴け。ただしかし、君のDVDは人に頼まれても一生見ない。」と言った。
俺はひねくれジジイなのだろうか。
話は変わるが、まあとにかく、マサーシよ。気持ちは解かるがそう悲観的になるなや。と俺は思う。
彼は25歳である。このバンドでドラムを始めて4年が経つ。
この四年間でバンドが平行線をたどっていることに彼は苛立ちを感じている。
集客しかり、周りの評価であったり。
一生懸命やって評価されないと誰でも悲観的になる。
31歳、子持ちの俺もなる。
若いとなおさらだろう。しかし、決して自分が間違っていると思って欲しくはないのである。
必ず努力は報われる。
報われない努力は努力不足である。と俺は思う。
俺自身のウタが報われないのも努力不足である。サボり癖か。
今日はバンドの練習である。よってバイトは休み。
嫁に子供のオムツを買っといてと頼まれたので、外に出る。
本屋にぷらっとはいる。雑誌の特集で「ソカベケイイチとサニーデイサービス」という記事が特集されており黙々と立ち読みした。
その中でソカベ氏は「もっと日常的な歌が世にでるといいですね。例えば子供を保育園に送りにいく歌とか。音楽は身近なものであるべきです」と語っていた。
俺はそれをみて、なにか沸々とコミアゲルものを感じた。
そしてダッシュで家にもどり恐ろしく長い文章を書き終えた。今。
初期衝動。なくしたモノである。
しかし、思い出すことはできる。
思い出せ!