hey is imamura-blog

日常の中に俺があり、俺の中に日常がある。それは矛盾の中にひそむ真実である。真実を記録する。それは事実になる。

サヨナラ街よ、歩き疲れた俺もう其処にはいない。

2009年12月31日 13時42分44秒 | Weblog


嫁は出産準備の為、子供たちを連れ帰郷。
俺はゆっくりと部屋で1人を愉しむつもりが
とても慌しい年末だった。

現在レコーディング中のアルバムはどうしても
年内に完成させたかったが、うたが上手く行かず一曲来年に
持ち越す事になった。

時間の制限を設けなかった目的は「納得行くものをつくる」で
妥協はいかん。これでいい。「これが限界」と言えるまで突き詰めて
行こう。

2月に仲間のイベントにお誘いいただいているのでそれまでには
是非お披露目したいもんだ。



さて、
とうとう今年も本日を残すのみとなった。
一年を振り返るのが定義だが、
細かい事は有馬記念の馬券と共にすっかり忘れてしまった。

毎年この時期になると必ず
「来年はもっとがんばろう」と思うのだが、
本当に
来年はいい年になりそうなそんなワクワクが止まらないのである。

この先、わが人生がどの方向に向かうかはわからん。
しかし、この一年を振り返れば美しい足跡がくっきりと残っている
、そんな清清しい気持ちになるのだ。

夢を、俺は叶えた気持ちである。

行き着く先が「死」であるのだから
そこに至る人生が夢であるのだから

生きている限り、夢に終わりなどない。

愛すべき仲間たち、
今年一年ありがとう。
来年も宜しく頼む。
何はともあれ、面白おかしく生きていこうぜ。




唇をかみしめて

2009年12月12日 19時18分31秒 | Weblog
12月11日 PM11:03

篠田から電話。
彼からの電話は「お前今から来い」と言われて
10分以内にその場所にいける状況の時のみ出るようにしている。

今回の電話は「今からお前の家に行く」だった。
叫び散らしている大橋がいる様子で悪い予感がした。

案の定、大橋はピエール瀧ばりの泥酔状態で現れた。

笹塚駅で待ち合わせをしたのだが、まあとりあえず
他人と接触は危険と判断し、カラオケボックスに収容した。

全ての通行人に絡み、
奇声を発し、寝かましてしまった。
やむなく我が家につれて帰ったのだが、
やれ
「猫は捨てろ」や
「お前の嫁はばばあになった」や
「世の中の女は全員かわいくない」や
「お前の子供は必ずデブになる」や
数々の暴言を吐き寝かました。

彼は広告代理店でそれなりの立場でストレスが爆発したとしか
思えん泥酔ぶりだった。

俺たちはいつから酒に頼るようになってしまったんだろうか。
中学生の頃、缶コーヒーを飲みながら
夢を語り合ったあの頃の俺たちは20年前に消えた。


今度はシラフで語り合おうぜ同士。

人がおるんよね
ひとがそこにおるんよね。


振り向けばもうここにいた

2009年12月10日 18時48分10秒 | Weblog


ブログを一ヶ月も更新しなかった理由は
「なんとなく」としか表現方法が見当たらない。
書きたくなかった訳でもなく、
あえて書かなかった訳でもない。
俺は常日頃「なんとなく」行動し、発言し、生きている。

この一ヶ月なにもなかった訳ではない。
いいニュースも悪いニュースも色々あった。
相変わらず仕事は火の車で、
業務内容についてヤンヤヤンヤ言っておったらそれこそ
飲み込まれてしまいそうだ。

俺が一番恐れるのは生活の糧ではあるがこの「仕事」に支配され
家族の時間やら、音楽の時間やら、
はたまたツワモノどもとの交流やらがおざなりになってしまう事だ。

前に書いた通り、俺は常に「なんとなく」を重んじて行動しており
その閃きや衝動を不本意にも仕事の忙しさで
「はい、考えはしたが実際なにもやってねえ」と、よくある
「今度呑みいこーや」話のようになっていた。

まあ大袈裟に書いてはみたが、やはり文章を書くにはそのテンションに
達していないと筆は進まないもんである。

この一ヶ月といえば、バンドのレコーディングをしたり
植竹社長と一月のライブに向け練習したり
休みともなれば近くの通称「猫公園」へ娘の自転車の練習に出かけたりした。

一番びっくりした事は我が父ちゃんが病気になってしまい入院したニュースだ。

俺もじじいになり、当たり前だが父ちゃんはさらにじじいになる。
親が弱ってしまうのは正直ツライもんだ。
これが生きていく上で必ず誰しもが経験するもんであるなら、
辛いこと、楽しいことを経て
人生を全うすると言う事は、やはりそれだけで素晴らしい。


昨夜は練習後、高哲典邸になんとなくお邪魔する。
水道水でつくった氷をたっぷりと入れたグラスに、
トリスウイスキーを注ぎがぶがぶと呑んだ。

それは地獄をみた男の話であった。
人は眼で物を言う。
彼の根底にある地獄は一生十字架として背負い続けるだろう。
「それをネガティブにとらえてはいかん」
とさんざん繰り返し力説したりしたが、
俺はその地獄を経験した事がないのでそれ以上の事は言えなかった。
トリスウイスキーの科学アルコール成分で酔いはピークに達し、
俺たちは深夜三時までケラケラと笑い、久しぶりに腹の底から酔った。
そしてグラスの氷は水道水に帰り、俺は家に帰った。

人それぞれ、それは他人からみたら些細な事もあるだろうが、
必ず十字架をしょって生きている。
若い頃の苦労は買ってでもしろというが、
「経験しないほうがいい苦労」も中にはあるのである。

その類の「苦労」は人に鋭さを与える。
彼にはぜひ、その鋭さの全てを音楽に向けて頂きたいもんである。



そして本日。地獄の話は軽い二日酔いが抜ける昼12時頃に成仏した。
娘のお遊戯会を眺めつつ、俺はとても気分が良くなった。

子供たちはすくすく育つ。
俺たちも遠い昔子供だった。当たり前だが。
彼等の無邪気さや、
あらゆる困難を平然と乗り切る強さや、
どんな小さな幸せでも屈託なくケタケタと笑っておる姿をみて、
「ああ、ジジイになるのは肉体だけでいい。精神はいつまでもこうでありたい」
と純粋に思った。

振り向けばもうここにいた