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日常の中に俺があり、俺の中に日常がある。それは矛盾の中にひそむ真実である。真実を記録する。それは事実になる。

2019年回顧

2019年12月31日 18時02分39秒 | Weblog
今年は28から連休である。
毎年だいたい30とか31まで働いていたのだが、今年は嫁さんがイエモンを名古屋に観にいくなどあったので28ら3日までの7連休を頂いた。
27の夜から飲みまくり2度ほどの二日酔いを経て今に至る。
この年末の「まあ今年はよう頑張ったのであとは来年やろう」感が本当に好きである。
覚めた事を言えば12月31日と1月1日ってのに明確な境目は無く前日と翌日なワケだが、俺の中でこの大晦日と正月の境目ってのは物凄く大きな切り替わりに感じてしょうがない。

今年を振り返る。
音楽的には前半は肩の力が入りっぱなしだったと思う。
弾き語り一発どりのアルバムを作ると自身をグイグイ追い込んだ。
ああもうこれ以上があるのか無いのかわからん、誰か助けてくれってとこで打ち止めとして発売した。
意気込んで500枚プレスして現在380枚くらい残っている。
このアルバムが良いアルバムだったのか、悪いアルバムだったのかは分からん。
本当によう分からんのである。
水風呂入りすぎて熱いのか冷たいのかよう分からんのと同じか。
来年中に全部売れるといいなあと思うがこればかりは俺が決めることでは無いのでなんとも言えんな。
ライブも月一回ぐらいのペースでやった。
お客さん1人の時もあった。
今年はなんか職場の仲間たちに「頼む!ライブ来てくれー」的なことをあまりしなかった。
本当に俺の音楽を聴きたい人ってのはいるんだろうか。
需要があるのだろうかってな事を思いながらライブを組んだ。
結果は数人はいるなと思った。
俺を知っている人はいるだろう。知っている人がライブに足を運ぶまでのになるには相当な事なんだなと思い知った。
そんな中足を運んで頂いた方々には目玉が飛び出るほどのテンションで歌った。
俺の作った曲を今ある全エネルギーでできる準備は全てやって臨んだ。
また来てくれると俺は嬉しい。
そんな事を繰り返した。CDを買ってくれた人もいた。極々個人的な俺の曲にお金を使ってくれた事に感謝しかない。

本当に少しづつだなと思った。
状況がいきなり変わる事などなく、全ては想定された中で未来は来た。
俺の想像を超える結果にはならなかったがまあ俺はこんなもんさとイジケではなく開き直ることができたのが今年の収穫だと思っている。

来年は自身のイベントを中心としてガツガツと歌っていこうと思っている。
しかし今年のように肩に力を入れっぱなしではなくもっとリラックスした気持ちでやろうと思っている。
なるようにしかならんのである。
もちろん音楽で飯くいたいが、「はいあなたは今日から音楽で飯食っていけますー」的なサプライズなど無い。
ジリジリとひしひしと物事は前に進むのだ。
自己顕示欲の塊の俺は相変わらずオレオレと色んなとこに顔を出すだろう。
それで良い。
ただ、やっとる事に酔いしれ、音楽の追求を怠れば俺は地獄の底に落ちるだろう。まあそれも人生だが。
あんま気張るな。
きのこ占いだかなんだか忘れたが来年の俺はすごく運が良いらしい。
自惚れず、そして自粛せずやっとればパアーと何か世界が開けるだろうねと気楽に考えている。

そろそろ締めだ。

今年もいろんな方々にお世話になった。
仕事では今こうして連休を味わう俺の代わりに働いている若者達がいる。
音楽では向井くんのおかげで色んな方々と酒を飲み交わす事ができ、そして歌を聴いて頂くことができた。
俺は幸せな男である。

嫁さんが伊達巻やらがめ煮をつくっている。
刺し盛りも買ってある。
上善の四合瓶も冷やしてある。
ナッツとジュリーはスヤスヤと寝ている。
カズはキスマイの紅白を心待ちにしている。
ハルとそうちゃんは栄湯の水風呂で整い機嫌よく部屋にいる。
ミックの骨の横に鏡餅が飾られている。
死んだ父ちゃん母ちゃんを想う。
友達はそれぞれ何やっとるかなあ。
愛する親戚も飲んどるかなあ。
そして俺は2本目のビールを飲み終えこの文章を書いている。
幸せである。
幸せである。
だがね俺は欲が深いんだよ。
もっともっと幸せな気分を味わうべく来年もやる。
俺はねえ、やる時にはやる男なんです。

とにかく、
ありがとう。
ありがとう。
全部ありがとうである。

さあ紅白でも見ながら大晦日パーリーだ。
良いお年を。

令和元年一二月三十一日

今村竜也

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今村竜也ライブ/原点回帰シリーズ

01/18(土)下北沢ちょ美ひげ/w池田秀史
02/08(土)下北沢ちょ美ひげ/w大畑カズキ ミウラサト美
03/07(土)下北沢ちょ美ひげ/w高哲典-Akinori Taka-
04/25(土)下北沢ちょ美ひげ/w caRchaとウエタケユキオ

詳細はこちら→https://imamurasyouten.wixsite.com/imamuratatsuya

生きてる生きてる

2019年12月27日 03時44分50秒 | Weblog
令和元年最後の4連勤三日目終了。

音楽的な用事は全てが終わっていて俺の身体は完全に年末モードなのだが、サラリーマンである以上仕事には行かねばならん。
音楽だけで食っていく事を夢見て上京した18歳の俺が見れば「これが俺の未来か」と泣いてしまうかもしれん。
普通のサラリーマンってのにとにかくなるのが嫌だった。
普通ってなんやって話だが、おおよそのみんなと同じってのが昔から嫌だった。
自分の想像できん世界で生きたかった。
想像できん世界ってのはこの後きっとこうなるだろうなってな予測のたたん世界だ。
18のときの俺は26年後の今を予測して無かっただろうから(子供が5人もおるぞ!あんたが住んでる風呂なしの鯉渕荘の近所に住んどるぞ!)、
まんざら俺はいい人生を生きているのだなと思っている。

さて、今の時間は午前4時だ。
仕事帰りに焼き鳥センターで1人焼き鳥をして帰宅。
晩飯のシチューを喰らい子供らと戯れてグースカ寝てしまった。
久しぶりに子供達と戯れた気がした。
特に次男そうちゃんと戯れたのは久しぶりだった。
随分とがっしりしてきた。優しい男だ。ナッツとジュリーの面倒をよく見てくれる。
我が家の子供達の名前はニックネームで呼びやすい名前を意識してつけた。
昔、嫁さんと付き合い始めの頃、嫁さんの男友達が奇妙なニックネームで呼びあっていた事に影響された。
モヒカンのモヒ。
リンゴスターに似ているからリンゴなどなど。
村上龍の小説に影響されそうしたんだと言ってた気がする。俺は高校生の頃、だいたい苗字か名前で呼びあっていたので都会的で面白いなあと思った。

長女の和葉はカズ
長男の陽葵はハル
次男の蒼太はソウちゃん
次女の菜月はナッツ
三女の樹莉はジュリー

次男のソウちゃんだけちゃん付けなのだが、彼はおっさんになってもずっとちゃん付けで呼ばれるキャラなのだ。
顔がそうさせるのか、性格や名前の問題かはわからんが、彼だけはそうちゃんと呼んでしまうのだ。
改めて書くが優しい男だ。スクスク育て。

で話は戻るが子供達と久しぶりに戯れたのだが、なんとも幸せな気持ちだった。
俺が幼い頃、父ちゃんにヒコーキやらギッコンバッコンをしてもらった時とても嬉しかった。
笑いがこみ上げてきた。今文章を書きながら父ちゃんのタバコと汗の混ざった匂いを思い出している。
子供ってのは親と戯れるだけでとても幸せな気持ちになる。
そして親も子供と戯れるととても幸せな気持ちになる。
とても単純ではあるが、親子関係を良好にしたいなら何歳になっても戯れることを忘れてはいかんのだろう。
実際に触れるって行為は重要だ。
その相手が実在する事をしっかりと感触として確かめる行為だ。
音楽や映画や場所も同じだ。
実際にそこへ行き、いろいろなものに触れ空気を味わう体験をする事で身体にいろんなもんを感覚ではなく感触として記憶するのだ。

そんな戯れの後寝かました俺はこんな中途半端な時間にパキっと目が覚めてしまい、せっかくなんでと文章を書いているのである。
夜中だから近所の人は誰も窓を開けてないだろうと久しぶりにベランダで煙草を吸った。
雨が降っていたのか、降っているのかわからんが、排水溝を伝う水の音が聞こえた。
とても気持ちが安らいだ。
これも一つの経験なのだが、何年かしたら些細な経験すぎて忘れるだろう。
いやしかし生きるってのはなんなんだろうか。
俺は生きるって事は

周りが死んでいく事

だと思っている。周りが死んでいく事で俺は生き延びている事を実感する。
もうこれ以上周りに死んでほしくないのだが、俺が生きのびるってことはこういう悲しみを経験するって事なのだ。
この悲しみを経験したくないのならば自らが真っ先に死ぬ以外に方法はない。
俺はまだ死にたくないのだが、周りにも死んで欲しくないのである。
だが、どちらもいつか必ず来る、100パーセント来るのだなあとか考え出すとなんとも言えん気持ちになるのでいかん。

もうすぐ夜が明けるな。
もう一本煙草を吸って少し眠ろう。今日は仕事納めである。

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クリスマスと戦争と平和

2019年12月24日 23時11分26秒 | Weblog
高まったから文章を書く。
本能、直感で文章を書く。
酔狂の果て。そこに全て真実が含まれていると私は思っている。

今日はクリスマスイブである。
ホームパーティーだ。チキンやらピザやらなんやらを喰らいワインを飲むのです。
パーティーの冒頭に池上彰の番組を観ていたせいか何故韓国の人が日本に対し怒っているかについての話になった。
俺は戦争の始まりについて子供達に説明した。
そして俺は子供達に「お父ちゃんの前世は第二次世界大戦で戦死した」と説明した。
良く観る夢がある。
戦争の夢だ。戦場で俺はライフルを構えている。
敵だ。撃ち殺さないと殺される。
ガタガタと震えている。
ライフルの引き金を引く。
弾は出ない。
俺は何度も何度も引き金を引く。だが俺の銃は壊れていた。
殺される恐怖。なんで俺の銃は弾が出ないんだ!そして敵に銃口を向けられる。物凄く怖い。
怖すぎてたまらない。そして俺の記憶は真っ暗になる。
そして目覚めるのだ。

歯を食い縛りすぎて口の中血だらけになった事もあった。
そんな夢を何度も観た。

こんな話をしていたら嫁さんが
あんた、寝言で「行って参ります!」と軍人のように勇ましく言ってた事があったよと言った。
俺の前世は第二次世界大戦で戦死した兵士である事は事実だと思っている。

そんな戦争やら俺の前世の話やらしていたら嫁さんも「私も戦争で死んだんだと思う。沖縄に行った時、戦争の話を聞いたんだけど怖くて怖くてたまらなかった。今でも戦争体験みたいな話を聞くと本当に怖くてしょうがないの」と言っていた。

それも事実だろうと思っている。

クリスマスパーティーが中盤に差し掛かった頃、俺はなぜかTV番組「covers」で披露されたエゴラッピンのサニーサイドメロディーが聴きたくなり聴いた。
切ないスイッチが入りチャットモンチーのオリジナルメンバーでの再結成シャングリラを聴いた。
そして世紀末の詩のラストシーンを見漁って涙をボロボロと流した。
世紀末の詩は観ると確実に涙が出るのだ。
愛について。
愛と死について想うのだ。
ドラマの中で山崎努さんが言った言葉は
「愛とは信じる事ではない。信じる以前に疑わない事だ」
これが愛の真実だと思っている。

世紀末の詩で坂井真紀さん演じる役名はミヤ。
ザゼンボーイズのベースはミヤ。なんか繋がっているのかもしれんな。

その後はBSでドリームガールズをやっていたので最後の最後のシーンを観た。
人間の切なさと音楽の素晴らしさについて考えた。
このころのアメリカの音楽やら世界観っていいね。
華やかだし楽しい気持ちになる。
ドリームガールズの映画が終わりエンドロールが流れているときに嫁さんが
「映画観てさ、エンドロールで帰る人ってなんなんだろうね。エンドロール観ないでどうするんだろうね。」と言っていた。
俺もそう思う。

さて、今日はクリスマスと戦争と平和ってタイトルだったな。
とにかく

クリスマスと戦争は対局にある

これが全てだ。俺はずっと死ぬまでクリスマスはパーティーをやりたいね。
毎日クリスマスパーティーだ。
愛と平和の象徴。それがクリスマスパーティーですね絶対。

令和元年のクリスマスイブはそんな事を想っている。

いい夜だ。
皆さまもいい夜を。


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寒くない冬

2019年12月19日 21時44分30秒 | Weblog
延々とバックナンバーが流れている。
カズが受験勉強しとるのだが、延々とバックナンバーが流れている。
イヤホンで聴けばいいのに普通に聴いている。
俺は仕事を終え風呂に入り晩飯をゆっくりと喰いたいのだ。
チビッコ姉妹が話しかけてくる。
ヨダレどりとか納豆とかをゆっくりゆっくりつまみながら俺は晩酌したいのだ。
BSで旅番組を観ながら晩酌したいのだ。
とにかくうるさい。
発狂しそうだ。
全員イライラしている。
イライラした人間が7人、22時前の3DKに蠢いている。
ニュースとかムカつくニュースばかりなので観ない。
旅番組ばかり観ている。

夢はなんですか?

と尋ねられたら貴方はなんと答えるか。
俺はこう答えるだろう。

嫁さんとどっかの温泉でシーンとしたとこでうまい刺身とうまい吟醸酒をゆっくり
嗜みたい。できる限り誰もいないクソ田舎が良い。

明日は5連勤最終日。
変則シフトにより朝10時から13時まで仕事して中抜け5時間。その後23時まで2回目の出社である。
一回家に帰り明後日のライブの準備をしよう。

もう寝るか。

いやしかし寒くないなこの冬は。震え上がるほど寒い方が年末感があっていい。

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再開と平日

2019年12月18日 21時03分50秒 | Weblog
「今村さんは優しいですね」
と言われる度、それは優しさではなく弱さなんだよと心の中で呟く。
弱さとは自身が思ってる事を恐れず発言する事が出来ず、例えば目の前に悪い事が起きていても
それらに関わる事を恐れ(殴られる、後ほど面倒になる等々)ただ笑っている状態の事を示す。
また、自身の存在に対し疑いを持って感じた事を表現する事にためらっている状態でもある。
人とのコミュニケーションってのはその相手に共感しようが共感しなかろうが先ずその発言に耳を傾ける事から始まるのだが、
強い人間ってのはそれらを聞く事はするが「我こう思う」だったり「それは好かん」などはっきりと自身の考えを発する。
強さってのは他人を傷つける事もあるが、例えその傷がネガティブな感情であってもその人にとっての衝撃だし、心を動かされた事には変わりないのである。
弱さとは丸い玉のようなものであり、その玉は人々を不快にさせる事はないが、逆に人々になんらかの衝撃を与える事もないのである。

さて俺は今、晩飯のうどんと天ぷらを喰らいビール35缶一本、ハイボール二杯目を嗜みながらこの文章を書いている。

リビングではナッツとジュリーと嫁さんがすごろくをやっている。
サイコロがないのでダンボールで作ったらしい。
サイコロの目には「10」とか書いてある。ナッツが書いたらしいがサイコロは1から6の数字って概念が無いのだろう。
こういう発想は大事にしてほしい。

話が逸れたが、また文章を書こうと思ったから書き出したのだ。

これはコミュニケーションの一つだ。
我が師匠は「俺はコミュニケーションが苦手なので音楽でそれをやる。それ以外の方法を知らない」と言っている。
ミュージシャンとして正論だし、俺もそうしたいと思う。
だが、生きて来た経緯が若干異なる。経緯が異なると音楽で何をやるのかってのが若干異なっているって事に気付いた。
俺はガキの頃からコミュニケーションが上手かった。
皆から信頼された時期もあった(あくまで自分でそう思っていた)。
音楽で表現せずとも行動や言葉で自身の思いを他人にうまく言う事が出来た。
それが今となっては仇となっていると考えている。
自身の表現が音楽のみじゃ無かった類の人間だと気付いた。
音楽ってのは
歌でしか表現できない感情の荒ぶりであるべきだと思っている。
ああこんな感じのニュアンスの音楽やりたいなあとかなんとなくこの言葉がいいなあってな
ふわっとしたドリーム音楽では人々の心には届かん。当たり前だ。届けたいほどの感動やら怒りを歌って無いからだ。

ゴタゴタ色々書いたが、俺はまた自身としっかり向き合う時期にきたなと思ったのだ。

感性の文字起こしを再開する。

これは誰の為でも無い俺の為の文章だ。
勿論、ブログでアップするので他人の目を気にしている自分がいる。
だが、先にも書いたが自分の思った事やら怒りやらイラつきやら日々の普通やらを書く事で他人と繋がる事ができるのだ。

なんかようわからんしナッツとジュリーが喧嘩しだしたので今日はこのへんにしよう。

このへんにしようと書いた直後静かになったので続きを書く。

今日は平日だ。
東京に出て来た二十数年前、俺の中に平日とか休日とかって感覚は無かった。
全ての日が休日だった。自由だった。
バイトも適当に切り上げてライブを観に行ったりベースの練習をしたり酒を吐くまで飲んだ。
平日と休日ってのはミュージシャンである俺には関係の無い決まりごとであり、俺は毎日がスペシャルであった。
毎日がスペシャル
毎日がスペシャル
稼いだ金は全て俺のものであり、24時間全ての時間が俺の時間だった。

今俺は5連勤真っ只中で、仕事は炎のように忙しく慌ただしい。
仕事中に本当に疲れてしまい、定時で切り上げいつものように自転車で帰る水道道路でふと思ったのだ。
「はよ休みにならんかいな」
俺はいつの間にか一番嫌悪していた関係の無い決まりごとの中の住人になっていた。
平日は帰って風呂入って飯食って酒飲んで寝るだけの1日になってしまった。
18の時、高校の先生に「俺は音楽で勝負したいので就職しない。東京に行きます。」と言った時、
「今村、とりあえず東京の就職先探してやるけん、先ずは仕事しながら音楽やったらどうや」と言われた。
俺は
「先生、俺はサラリーマンとか普通の感じが嫌なんです。やりたい事だけやる為に東京に行くんです。就職とかしたく無いとです。」
と言った事を思い出した。

何がどうなってこうなったかは只々「運命」としか言いようがないが、俺はその18の時にもっとも嫌だった平日と休日がある仕組みの中で
音楽をやっているんだなあと思った。

1人でなんか笑ってしまった。
おいおい何仕事で疲れておるんだ。普通すぎるだろう。仕事で疲れて酒飲んで帰ったりマスオか。
何しに東京に来たんだ俺はよ。疲れて草臥れてニヤニヤしてんじゃねえぞ。背筋を伸ばせ。
この世界をもっと味わえ!お前がどうしたいなんてのはただの幻想だ!なるようにしかならんのだから頭でっかちになって
思うようにならん事に対していちいち暗くなってんじゃないよ!

竜也!
竜也!あんたなら大丈夫!いつも応援しとうけんね!

と旅立った母ちゃんの声が聴こえた気がした。
机の前にある写真を今見たのだが笑っている。只々笑っている。


俺は生きる楽しみを再開する。



魂の引き継ぎやら感情やら

2019年12月03日 21時32分00秒 | Weblog
久しぶりに文章を書く。
なぜなら今俺はワンカップ大関ジャンボを呑んでテンションが上がっているからだ。
テンションが上がるイコール気分が良いとも限らない。
俺はイライラしてブチ切れてその矛先を他人にぶつけてしまい「俺は何をやっているんだ」と思い
その後の「平」状態にいる事をテンションが上がっていると言いたい。
テンションが上がる時ってのは本当に「平」状態であり、誰に対しても怒らずただただ己の愚かさを反省し、
それでも「人間ですよ」とまあしょうがないよねって気持ちでいる時の事である。

今日は仕事だった。
18時に仕事を終えて家に帰る途中晩飯の材料を買った。
嫁さんが飲みに行くので今日は俺が晩飯を作るのだ。
親子丼をつくる事にしたがどうせナニガシは「アレが食いたい」ナニガシは「晩飯はいらない」などと言いだすのだ。
俺なりにそれぞれのナニガシ共が食いそうなメニューを想像し材料を買った。

カズ→ダイエット中で受験中なのでサラダチキンのサラダとワンタンスープ適量
ハル→親子丼とワンタンスープ
そうちゃん→親子丼とワンタンスープ
ナッツ→親子丼とワンタンスープ
ジュリー→親子丼とワンタンスープ

俺はチビリチビリと仕事の疲れを癒したかったので〆さばを購入。

帰宅

上記メニューを告げた際の子供らの反応


カズ→私サラダチキン嫌いなんだけど→じゃあ親子丼食うか→気分じゃない→じゃあ何食うんだ→わからない。なんか買って来て→何買ってくれば良いんだ→わからない
ハル→任天堂スイッチに没頭
そうちゃん→ハルに任天堂スイッチを独占されている。俺は今日1日もやってない。先ずはそれをなんとかしてくれ
ナッツ→カップラーメン食べた
ジュリー→カップラーメン食べたい

俺は全てを無視して俺のイメージした献立を黙々とつくった。

ハルとそうちゃんがゲームを貸す貸さないで喧嘩しだしたので俺はブチ切れてゲームを没収した。
テーブルにナッツとジュリーの飯を並べ(カップスター半分ずつとライス少々)コールスローサラダにサラダチキンを装った時に無性に腹が立って来た。
文句あるなら自分でなんとかしろよクソガキが。
なにそれぞれ勝手な事言っとるんだボケナスが。
お前ら自分で勝手に生きてると思いやがって。俺がどんな気持ちで晩飯の献立を思考しつくったか!!!!!!

しかし俺は我に返った。
嫁さんはほぼ毎日この感情で晩飯を作りこのクソガキ共に喰わせているのか。
ハッとしてクソガキ共に対し物凄い怒りが湧いて来た。
飯は一応喰わせたがこいつら全員ボコボコにしてやろうかと怒りが湧いて来た。

俺が怒っているとガキ共はそれぞれがそれぞれで行動しだす。
俺がブチ切れている事を知っているから何でも自分でうまいことやろうとしだす。
勝手に風呂に入ったり「ごちそうさま」と食器を片ずけて部屋に返っていく。

俺は毎日ブチ切れていようかと思った。

書きたい事があったのだが、ハルとそうちゃんのスマホを没収した事で奴らがそれを取り返す為のプレゼンをして来た。
中途半端だがこの文章はここで終わる。