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五月十日。
嫁はベルマーク委員の会合に出かけた。
俺は4人の子守。カラーボックスを横にした簡易PCデスクでこの文を書いている。
窓から吹き込む風が気持ちよく末っ子もスヤスヤと寝ている。
外では隣の方が花に水をやっている。とてもいい時間である。
今回、五月一日から五月七日までの一週間福岡へ帰った。
従兄妹のモモコが結婚式をやるからだ。歌を一曲よろしくとの事で
ギブソンギターをハードケースに詰めて一人帰郷した。
ギターを持って旅をする夢があるのだが、今回結婚式にあわせライブも
企画した。思い描く理想のツアーの形はまさにこれで、帰郷とセットで
ライブもやるってやつだ。
--凱旋ライブ。親しき人々と--
急な話でバタバタしたが、薬院のカフェgigiで理想的なメンバーと
ライブをする事ができた。
正直、もっと中学の時の同級生がドバっと、親戚一同がドバっと来場するイメージでいたが
現実は甘くなかった。だが、数人の旧友、母ちゃん、妹、高哲典の友人KKが観に来てくれた。
ありがとう。次回はもっと事前に計画しイベントとして派手なもんにしたいなと思った。
キヨちゃんとも久しぶりに会って互いに積もる話もあったが、なんだろうか
いざ話したのは他愛も無い事だったな。
五分ほど話した後キヨちゃんが
「今村さん、これもう買いました?」と坂口恭平の躁鬱日記を取り出した。
「いや、金なしで買えてない」と言うと、
「じゃあこれあげますよ。引越し祝いです」と本をくれた。
以前も子供が生まれた時、出産祝いでバンペイユをくれたな。やさしい男だ。
話はあんまできなかったが、彼がくれたこの本が結構タマシイに響いた。
で、今こうやって文章をゆーくり書こうって気持ちになったのだ。
意思の疎通ってのは言葉でのみ行われるもんではなく、モノのやりとりや
一発の握手などで十分なのかもしれんなって思った。
石井ちゃんやアルビンとも他愛も無い話をした。
重要なことは特に話さなかったが、共に楽器を奏で歌を歌う事で先に書いたように
俺達は意思の疎通をした。まあそんなもんさ。
ライブ後、KK御用達の西新のバーへ2人で呑みに行った。
ビゴネスってバーだった。
西新は高校も近かったので大好きな街だが、18で上京してきたので
大人の遊び場を知らない。大人になって改めてこの街に来ると
なんと面白い街かって思う。
そのバーはアコさんというモデルみたいな美人がやってるバーで
高哲典はここでライブをしたとの事だった。
野郎どもが、アコさん目当てで群がっておった。
面白い話をする人だった。KKもそうだが、面白い話をする女性は魅力的である。
魅力的だから面白い話ができるのではなく、面白いから魅力的で正解だと思う。
ギネスやらキャプテンモルガンをKKにご馳走になった。ご馳走様。また宜しく。
--弟の誠、家を買う--
誠の新居に母ちゃんとスミコとお邪魔した。
日当たりの良い庭があり、そこでバーべをやった。
新妻マユユはオメデタ。犬を二匹飼っており、肉の匂いにべろをたらし
走り回っている。幸せの風景とはこれだと思った。
愛する家族と美味い肉、酒を腹いっぱい嗜んだ。
今村家は父、征四郎の死っちゅう悲しい出来事を共有した事で
家族の結束が一層強まったと思う。
ここに父、征四郎がいないって事がとても皮肉だと思った。
--結婚式--
バーべを終えて、父の墓参り。墓標には「群青」の文字。
アメスピですまんが、タバコを一本、線香としてお参り。
孫が無事生まれますようにと念じた。また来ますけん。
丸山家へ。前のりして式当日はのんびりって作戦。
叔父であり心の師匠、峰好にいちゃんの遺影にお参り。モモコが結婚よ、よかったねと
念じた。
その後、26.7年前ぐらいのビデオをみんなでみた。
俺と誠が、峰好にいちゃんと一緒にハレー彗星を見に行った時のビデオもあった。
どうやら小学生の俺が撮影しとる。車で海へ向かう途中、かかっていた曲は
ハイファイセットの美術館、朝陽の中で微笑んで。その時の気持ちを一気に思い出した。
翌日、タローとリョウタが来て、結婚式の歌のリハーサルをしていた。
正直、彼等の歌に本番前にも関わらず感動してしまった。
奴らの足音のバラード。何にも無いなんにもない全く何にもない。
生まれた生まれた何が生まれた。
リョウタは音楽活動をするべきと今でも思っている。
式本番。
とにかく広い和室で宴。昨夜みた古いビデオを思い出した。
親戚一同で竹森家の二階で宴会をしている映像。
オーバーラップする。
モモコはあの宴会を再現したかったのだと思った。
俺も全てにおいて同じ気持ちである。
昔の宴の再現。それでいい。そこには芸術が溢れているのだ。
親戚一同、底抜けに明るい。マツリだ。
俺は兄弟で乾杯を歌った。気持ちよく歌えた。誠はいいギターを弾いて
スミコは前半ビビッていたが、後半ばしっと歌い上げた。大成功。
料理も美味く、酒が進んだ。いとこで野郎共の結婚式は多々参加したが、
新婦の親族って事で結婚式は初めてだった。
後半、タローが突然泣き出して俺も釣られて泣いてしもうた。長男の連鎖ってやつか。
竹森家家長は、泥酔し息子におんぶされ帰宅。長男の連鎖ってやつか。
で、丸山家へ戻って呑み直し。地酒の寒北斗をがぶがぶと呑んだ。
で、タロウ、リョウタとへべれけでセッション。タロウがカホーン叩きながら
どこかで歌ったらら若い女衆が感動して涙が止らなくなったと豪語する謎の歌、
ハーレクリシュナ、ハーレラマを電気消して延々やる。インドの神々が降臨。
恐るべし。
式ってやっぱいいね。やるべし。
--旧友--
帰郷すると必ず、大橋、井浦、コージンと呑む。
コージンは酒が呑めないのでジンジャーエールを呑み必ず家まで送ってくれる。
ありがたい話だ。で、今回はスケジュール調整がうまくいかず、二夜に分けて呑んだ。
一夜目は、コージン、井浦、ホンダさん、俺で呑んだ。主に中学ん時の話をしたが、
コージンは別の中学だったのであんまり面白くなかっただろう。が、彼はそんなそぶりも
みせず初対面のホンダさんと楽しそうに話す。
「何かコージン君って西陵中の人みたいやね」ってホンダさんが言っていたが、
他の人も同じことを言っていたなって話をした。
コージンはそんなヤツだ。彼を嫌いな人っているのかって思う。
昔っからそうだ。俺達の中で一番まともで、誰も彼の事を悪く言うやつはいなかったな。
井浦は相変わらずだ。呑みすぎんようにな。
ホンダさんは元々童顔だが、歳を重ね美しくなったと思う。幸せになってほしい。
で、ライブに中学ん時の同級生があんまり来なかったって話をしたら、
「ライブと同窓会を合体させればいいやん」とホンダさんから提案があった。
「それやったら30人くらい集まるけん」との事。次回の福岡ライブは楽しい事をガッと
凝縮させ派手にやる事にした。詳細は後日。
呑み二日目。
大橋、コージン、俺。姪浜のいつものバーで。
昔っからきているが、若くて美しい女性客が増えているように感じた。
ピザなどつまみながら俺の音楽について等々話し合う。
大橋は頭のキレるヤツだ。アイデアが溢れている。
話がとにかく面白いので女にモテる。今は知らんが、昔はそうだった。
「ミュージシャンはクリエイターなんよ。お前は、自分が作った歌詞について他人から
質問された時それについて説明できるか?一流は説明できる。今のところお前は説明しきらん。
アイデアがあり、それを形にして一つの作品ができているが荒削りなんや。まだ精査が足りん。
熟考せよ」
と大橋は言った。
「たしかにお前は昔から根本がめんどくさがりなんや。作曲にしてもここらへんでいいって
めんどくさがって最後まで面倒みてないやろう」
とコージンが言った。
確かにそうかもしれんと思う。
今の俺は一人でできる限界がどこかってな具合で全てのレコーディングを一人で演奏したが、
本当はエレキギターを入れたいとか、バージョンにカホーン入れてもらいたいとかって部分を
スタジオ代があーだとか、うーだとかで「まあ、このへんでよかろう」とめんどくさがっていたかもしれん。
一つの意見として聴く事にした。
自分のやり方はまあよしとしている。自分がいいと思ってやっとるので良い。
ここら辺がソロになって変わった部分だ。意見は聞くが、自分をダメだと思わない。
だが、やっぱ歌詞についてはもっと追求しようと思っていたので図星だった。
キヨちゃんのふとんみたいな曲作れって言われた。その通り。ごくごく小さな自分の世界を
自分の感覚で切り取る。歌う。人がどう思うかとかの邪念を0に近いところまでもっていく
修行だ。がんばろう。
--実家--
今回の帰郷はほぼ毎日呑んだくれていた。
最終日前夜、晩飯で竹森の山で採れた筍の煮物を母ちゃんがつくってくれた。
ご飯も筍ご飯だった。弱った胃腸に優しく響いたおふくろの味だった。
東京に戻る当日、アリちゃんが空港まで車で送ってくれた。
母ちゃん、アリちゃん、シンペーに見送られ俺はジェットスターに乗った。
搭乗前にしっかりと小便に行ったのだが、東京に着く直前、小便が漏れそう指数がMAXに達した。
着陸の振動で若干漏れたかもしれん。たまらず客室乗務員呼び出しボタンを押し、着陸した30秒後、
俺は席を立った。通路に出た瞬間、「お客様!シートベルト着用サインが消えるまでお待ち下さい!!!!」
と言われ席に戻された。もらしたらどうなるかと思ったが、最後の最後のところで踏ん張った。
サインが消えた瞬間、「すんまっせん、すんまっせん」と便所に行った。
小学生の頃、修学旅行のバスを同じ理由で止めた事がある。
通路に出て客室乗務員に怒られた時、全てのお客さんが俺を一斉にみた。「こいつ何やっとるんだ」的な
目線。小学生の頃バスを止めて立ちションしている時の同級生全員の目を思い出した。
長ーい小便を垂れる途中、ああ俺は小学生になっていたんだなと思った。
小便が終わった瞬間、俺は38歳の俺に戻りそして家に帰った。
そして数日仕事して、休みが来て、ここでこれ書いている。
嫁が帰って来てお土産のうまかっちゃんをみんなで食べた。とてもうまかった。