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日常の中に俺があり、俺の中に日常がある。それは矛盾の中にひそむ真実である。真実を記録する。それは事実になる。

サヨナラサヨナラ

2017年12月31日 09時08分57秒 | Weblog



2017年もあっと言う間だった。
色々あった。誰でも色々ある。
先ずは母ちゃんの死。
去年の今頃は生きていたが今はもういないのだ。俺はとうとう親が居なくなってしまった。
早かれ遅かれ必ずやってくるもんだが、それをリアルに目の前の出来事として経験する事は、いい事だと解釈している。
色んな事を考えたし色んな事を思った。
これは今回本当に思った事だが、人は最後、自分の為に生きようとはせず、人の為に延命する。もっと生きたかっただろうにとか人は言うだろうが、死ってのは誰でもいつか来るもんでそれを受け入れた当人は生きようとする事より、死が来るのを只々待つもんだ。
勿論死ってのは物凄く怖い。だが、怖いを通り越すと只々待つもんだと思う。
親父の時は親戚一同で看取った。
母ちゃんは俺が集合をかけた時には回復し、俺たちが一旦家に帰った直後、妹だけを残してこの世を去った。
女として母として最後の最後は娘だけに看取らせた。
プライドと言ってしまうと軽い。
俺も含めてまわりに一番キツイ場面を見せず娘一人だけに見せた。
もっともっと深い気持ちだと思っている。
3月11日の出来事。

3月は色々人生の転機があった。
我々今村家は一軒家から区営住宅に引っ越しした。とても快適だ。いきなり自治会長にされた。一軒家と比べて夏は涼しく冬は暖かい。防音もしっかりしている。上京24年。最初に済んだ風呂無し四畳半の鯉渕荘から徒歩1分。ここが俺の最終地点だなと思っている。

音楽的には今年は一曲しか新曲ができなかった。発表に至らなかった曲は何曲かあるが、こんなに曲を作らなかった年は今年だけではなかろうか。
ボンボコ曲を作るより、今ある曲をしっかりと歌いたかった。自分がつくった曲を知らない人に聴かせたかった。昔と今で言いたい事はなんも変わっていない。この先も新しい言葉が生まれる事はないと思っている。
だが俺はこの手癖みたいなもんで色んな新しい事をやろうとすると思う。
ネタ切れになってからが勝負だと思っている。
来年はアルバムはキツイかもしれんが、マキシ的な音源を発表しようと思っている。
そして今年も向井君には色んな世界をみせてもらった。
随分とご無沙汰だった音楽の派手な部分や、音楽で食ってる人間の苦悩や姿勢やら。
付き合いたての恋人くらいの頻度で呑み、お互いのライブを観あった。
氏とは音楽の友達を超越した運命的なもんを感じているし、俺の音楽人生をまた煌びやかなワクワクしたもんにしてくれた。引き続き宜しくである。

まとめると2017年は色々ありすぎて一瞬だった。ライブも相当やった。全て手応えを感じた。ザワザワとした決して表立ったとこに出てこん人々の騒めきを俺は確かに感じている。
来年は厄も抜け凄い事が待っていると思っている。
毎年同じ事言っとるが本当にそう思っている。

兎に角、今年も俺に付き合ってくれた方々、ありがとう。
来年もどうか宜しく頼む。

当たり前を当たり前だと見過ごさず、噛み締めて生きていく。

俺は底抜けのポジティブ野郎なので涙はみせない。夜中の布団の中で静かに泣き、日が登れば心臓が止まる勢いで歌を歌い上げる。
そして大いに笑うんだ。

今村竜也