今朝・・・・朝五時に起きた俺は半分夢の中でいつもの様に神田川を走る。
俺は一週間前にも同じコースを走っていた事を思い出していた。
グレーのランニングシャツは汗でぐっしょりと濡れ、これから起きるであろう
素晴らしい時間を想像していた時の事。
思い返せば、同時に一週間後には過去の出来事になる事を想像したように思う。
始まりのワクワク。確かにいい時間だ。
だが、俺はそれが終わってしまった後の悲しさににた感覚が好きなのかもしれない。
過ぎ去った出来事はもう二度とは戻らない。
そんな気持ち。
今・・・俺はそんな気持ちでこの文章を書いている。
もうあの楽しい時間は過ぎてしまった。いつの間にかあっという間に。
記録でもない。今から記す文章は俺の勝手な想像かもしれない。
事実ではないかもしれない。でもそんな事は重要ではない。
思い出す行為そのものに意味がある。そう思っている。
※この文章は中島キヨタカの日記をみた後に書いたもんなので多少
パクリ的表現が出てくる事はご容赦頂きたい。
http://ameblo.jp/electo/archive1-201408.html
8/22AM8:30新宿駅南口から始まった
俺とZAKIとシゲオはいつものように(冒険チームキャットウォーキンズの山登りの際はいつもこの場所で
待ち合わせする)新宿南口に集合した。ZAKIは駅構内のドトールにいた。シゲオは中くらいのトランクと
アディダスのダサいボストンバックとギターを担いで汗まみれだ。
「おい海外旅行にでもいくのか?」そんな笑い声から旅はスタートした。
バージョンは今回の旅に自転車を持っていくと一ヶ月前から意気込んでいた。
この日も満員電車で自転車を運ぶと迷惑になるって理由で、成田行きバスの出発地、東京駅まで
事前に自転車で前のりしていた。
LINEのメッセージには朝7時30分の時点で「東京駅到着。シャワー浴びて待ってます」とあった。
ZAKIはスケボーを持っていた。この旅が俺だけでなく、友達全員が楽しむ気満々であることが
とても嬉しく感じた。
成田到着。スケボーで遊ぶZAKIが警察に注意された。
搭乗手続きの際、バージョンのペダルレンチが没収された。
シゲオが帽子の中身を入念にチェックされた。
全ての出来事が笑い声となり雲の上に消えた。
福岡到着。空港から2キロの場所に牧のうどんがあるので歩いて行った。
福岡は雨だと聞いていたが、俺たちが到着した頃には上がっていた。
入道雲の隙間から刺すような日差しが体中に刺さった。
汗まみれになり牧のうどんに到着し、すかさず肉うどんごぼ天トッピングと
黒ラベルの大瓶を2本注文した。
汗のにおいとうどんのにおいとが混ざり合うテーブルで男4人、小さなグラスで
乾杯をした。街が俺に「おかえり」って言った気がした。
近くにスーパー銭湯があったので皆で汗を流した。
(↑この一文を書いている際、一瞬銭湯で入ったサウナのにおいがした)
風呂上り、キヨちゃんに車で迎えに来てもらった。
再会を心から喜んだ。
バージョンは開口一番ペダルレンチの重要性についてキヨちゃんに説明した。
それをキヨちゃんが淡々と語った。
皆でわが実家下山門団地へ行った。
青春を過ごした町に今、信頼できる仲間たちを連れて来た。
団地前の道で俺はその男たちと団地の風景を不思議な気持ちで眺めた。
いつも帰郷の際、俺は中学生や高校生の気持ちに戻るのだが、
今回は中学生に戻り、その風景に同級生のように彼らがなじんだ。
「一体化した」「フィットした」どの表現も当てはまらないかもしれない。
だが、間違いなく彼らはそこにいた。
実家にて団欒の後、元祖へ儀式のごとく出向く。
店のドアを抜けた時、牧のうどんで聞こえた声が聞こえた。
「おかえり」
元祖のどんぶりがそう言った。たぶん。
KIRKの石井ちゃんの計らいで大濠の日本酒バーに集まった。
親密な時間だった。
今回企画したイベント名だが、実は渋谷のBAR EARで企画した
DJイベントの時の名前「悲しみのない部屋」を継続してやっている。
(今回、11回目なのだがそのDJイベントはこの回数にカウントされていない)
そのDJイベントを思い出した。
語りあい、歌った。
泥酔した石井ちゃんがビートルズを弾きだした。カウンターに座る女性が
「ノルウェーの森やって」と言った。
アルビンがイントロを奏でた時、村上春樹の「ノルウェーの森」を上巻まで読んで
そのままにしていた事を思い出した(何度読み返したかわからんがこの歳でまた読み返している)。
これがスイッチだったのかもしれない。
俺は深く深く過去への執着の先へぶっ飛ばされる。
夜中まで呑んで笑って歌って、そして実家へ帰り懐かしい空気の中でぐっすりと寝た。
ライブ当日。
思ったより早く目が覚めた。キヨちゃんがギターを持ち出し、テレビの部屋で弾きだした。
俺もギターを持ち出しそれに合わせた。その風景を母ちゃんは懐かしいと感じたと思う。
若かりし頃、こうやって仲間とギターを弾いた。スイッチが入った俺はその頃と同じ風景
を見た。それを母ちゃんがみた。おそらく父ちゃんもみているだろうと思った。
会場のマンマミーアは従兄弟の太朗が店長だ。
あまりの天気のよさに俺たちはかなり前のめりになりランチタイムにあわせ
会場入りした。久しぶりの晴天で会場は大忙しだった。が、せっかくだからと
むりやりランチをご馳走になった。ZAKIはKIRK組って事で石井ちゃん宅に
泊まっていたので、少し後で石井ちゃんとアルビンと共に会場入りした。
テラスでランチ。ギラギラ太陽。回りは美女だらけ。モデルさんだろうか。
野郎どものテンションがMAXに達した。
会場つくり、入念なリハ。ももこもプラッと現れた。
役者はそろったぜ。気がかりは集客だった。従兄弟の店に迷惑かけるわけにはいかん。
だがその心配は一瞬で吹っ飛んだ。
今回のイベントは中学校の同窓会とのコラボレーション。
今の友達、中学の時の友達、親戚を一体化させたらどんなんだろうと企てた。
オープン間もなく、それは会場全体に大きな「渦」となってそして一体化した。
ほとんどの人はこの3つのコミニュティと、同時に同じ時間に遊ぶことをしたことが
ないと思う。それぞれは他人なのだ。俺の仲間ではあるが。だが、そこには一体感が
生まれた。ごくごく俺の個人的な号令によってひとつの場所に集まってもらった
俺の知る人々がひとつのコミニュティとしてそこにあった。
それは一瞬、とても難しく複雑に見えるかもしれないが、実はとてもシンプルな
光景。俺は今まで生きて来たこの人生を誇らしく思った。
ライブは素晴らしい。俺は素晴らしいと思うやつとしか対バンしない。
この面子はどこでも通用する。素晴らしいライブをやる事が決まっている連中。
そのライブ。最高だった。それぞれの感想は言わん。あの場所にいた方々は肌で
感じ取って頂いたと思っている。
今回の「旅」と「縁」についての記述
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さて、
同窓会組に初恋の女性がいた。
スイッチの入った俺はこの旅の、このライブの直後から「初恋」について
深く深く考える事になる。
はるか昔、25年から27年前くらいに恋をした。その感情のカケラは今も記憶の
隅っこにある。だが、その当時の気持ちだったり、それにまつわるエピソードが
果たして実際に起こった事なのかってとこをどうしても確認したい欲望にかられた。
確かめたところで何になるわけでもない。だが、確かめたくてしょうがなかったのだ。
俺の中にある記憶をたどると、その彼女に恋をしたのは小学5年の頃だ。
どこが好きだったかなど具体的な事は忘れてしまった。ただ、恋をしたきっかけは
はっきりと覚えていた。ある日、教室の机で俺は頭を伏せて寝ていた。昼休みだった。
そのとき俺の頭にそっと触れる手があった。とてもやさしい感触だった。よしよしとなでるでもなく
その手はそっと俺の頭の上におかれた。3秒ぐらいの出来事だった。俺はぱっと起きた。
その先に彼女の後姿があった。その後姿をみて恋に落ちた。
よくよく考えると、その手の主が彼女だったかは分からない。起きて見たその先に
彼女の後姿があっただけなのだ。だが、初恋のことを思い出す際、必ずその出来事と
彼女の後姿を思い出す。それから数年恋をして結局何をするでもなく俺はあきらめた。そして
別の女の子とつきあった。何のアクションも起こさずただあきらめた。
はっきりとした理由は分からない。ただそこで彼女への恋が終わってしまったのだけは分かる。
ライブの後の打ち上げでこの出来事について直接本人に聞いてみた。
その事は知らないとの事だった。
実際、彼女は俺の頭に触れていないのかもしれないし
触れたのだが忘れたかもしれないし
ほかの誰か(男か女か担任か幽霊か)が触れたのかもしれないし
誰も触れておらず俺が夢をみていたのかもしれない。
可能性の話をすればきりがないが、彼女の答えは「知らない」だった。
それを聞いた俺はがっかりはしなかった。
俺の勝手な想像によって作られた世界かもしれない。
ただ、今となってはその出来事が本当に起こった事なのか
想像の世界だったかは確認のしようがない。
俺はいつも過ぎ去った出来事について考える。
それは本当に起きた事なのか。
本当にそこにあったのか。
事実か。想像で作られた出来事か。
だが、今回の件でそんな事はどうでもいいって事にやっと気づいた。
答えは
生きるうえで心を動かす出来事はその一瞬のみが事実であって
一秒でも過ぎ、過去になった瞬間に事実か否かを証明する方法はない。
しかし、それのみぞが真実とは限らず後に湾曲した自身の「想い」
などが入り交ざってできた記憶もまた真実である。
俺にとって真実であればそれでよい。
今回の旅での「初恋」についての記述。
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今回の旅は帰郷でもあった。
亡き父の三回忌の集まりの為でもあった。
命日に親戚一同で集まり楽しい時間をすごした。
ばあちゃんが亡くなった時、坊さんが言ってた事だが、
死は回りの人々をの絆を深める
確かにそうかもしれないと思った。
そういえば、親父が亡くなり、骨となり実家に帰った時、
恐ろしくでかいバッタが網戸をつきやぶる勢いで家に入ろうとしていた事を
思い出した。その時死者の魂は虫に宿ると思ったのだ。
今回も親父は虫になって現れた。
ベランダで一服している最中、カナブンが飛んで来た。
俺のまわりをぐるぐると何度も飛んでいた。
即座に「お、父ちゃんか」と思い母ちゃんに言った。
カナブンは灰皿の上にとまり、続いてライターにとまり、最後は
盆栽(父ちゃんが大事にしていた)の下にもぐりこんでいった。
「たばこ吸うついでに盆栽の面倒もみよ」と親父が言っているのだと
解釈した。
母ちゃんも先日、蛍を見に行った際、一匹の蛍が肩にとまり離れなかった
、お父さんだと直感的に感じたと話していた。
死者は虫になって残されたものの前に必ず現れる
姿は変わるが精神として会話する事ができる
「親父の死」についての記述。
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最後に、
この文章を書くのに3時間ほどかかった。
どうしても書きたい事だったので書いたのだが、
文章として纏まったか否かは正直分からない。
タバコも吸いすぎたし夜更かしもしすぎている。
だが、この一連の出来事について文章を書けたって事に
幸せを感じている。
俺はどうやらこれからも過ぎ去りし過去に執着して生きていくようだ。
だが、これまでもそうだったように戻ることの出来ない過去を
再現しようと試みたり、ゆかりの地に立ったり、思い出を共有した
人に会う事で音楽や文章が産まれる。決して後ろ向きではないのだって事
だけは最後に記しておく。
読んでくれてありがとう。
今村竜也