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武侠片 ~中華幻想剣侠物語の魅力~ ④

2015年10月10日 | 武侠映画
其の六 “浪漫武侠片”― 楚原と古龍
※ショウ・ブラザーズ撮影所にて、ブルース・リー親子と写真に納まるチュー・ユアン監督

 1960年代末から70年代初頭の香港を賑わせた《武侠世紀》も落ち着き始め、その象徴的存在であったチャン・チェが台湾へと拠点を移した1970年代中頃、混迷する武侠映画に求められていた「次の一手」を老舗ショー・ブラザーズが早々と打ち出した。同社に所属する職人監督チュー・ユアン(楚原)による、台湾の人気武侠小説家・古龍の作品を映画化するプロジェクト、《浪漫武侠片》路線である。

 チュー・ユアンは60年代より文芸作やコメディなど多方面で活動していて、72年にはチャン・チェ式暴力浪漫武侠片の女性版ともいうべき、レズビアンを扱った変格武侠片『エロティック・ハウス 愛奴』を発表するなど斬新なテーマでも娯楽映画として消化できる手堅い技術を持つチュー・ユアンが、「暴力」で溢れかえった武侠映画の世界で見つけた「次の一手」は、愛と友情にあふれた侠客たちのロマンティック・ストーリーだったのだ。
Killer Clans:流星蝴蝶劍 / 1976


The Magic Blade:天涯明月刀(マジック・ブレード) / 1976


Clans of Intrigue:楚留香(武侠怪盗英雄剣) /1977

 香港の金庸や梁羽生と並ぶ高い映画化率を誇る古龍は1956年に小説家デビュー。やがて「食うために」と1960年代頃より武侠小説を発表し、欧米のハードボイルドや推理小説のような高いエンターテイメント性と独特な文体が人気を博し、代作も含め80余もの作品を生涯に残した台湾武侠小説界の巨人である。また彼は早くから映画にも手を染め、自身の小説をショウ・ブラザーズが映画化した『蕭十一郎』(1971)に脚本家として参加、1975年より開始されるチュー・ユアンによる連続映画化の一方で、多くの中小映画会社製作の武侠・クンフー映画に脚本を執筆したり、挙句の果てには寶龍電影公司なる映画会社を1980年に設立するなど映画界との関係も深い。
※古龍と『蕭十一郎』が掲載された誌面写真


Swordsman at Large:蕭十一郎 / 1971

 誰が敵か味方か分からないサスペンスフルな古龍式武侠映画は、その後の香港や台湾の武侠・クンフー映画作りに大きなインスピレーションを与え、たとえばジャッキー・チェンの羅維影業時代の初期作品では古龍が脚本を書いていたり、秘伝書をめぐり各派入り乱れての争奪戦を描いた『蛇鶴八拳』(1977)では古龍脚本ではないもののその多大な影響が見て取れる。

 愛と友情と裏切りが交錯する70年代中期の武侠映画は、ブルース・リー亡き後冷え込んでしまった業界に復活の糸口を与えたものの、結局は乱作によるクオリティー低下で再び人気を落としてしまう。やがてショウ・ブラザーズ傘下のテレビ局TVB(無綫電視)による、金庸の原作を映像化した武侠ドラマが人気を博すと次第に武侠映画の興行価値は下落していくのであった。

武侠片 ~中華幻想剣侠物語の魅力~ ③

2015年10月10日 | 武侠映画
其の四 ゴールデン・ハーベストの武侠片

 1970年「会社への不満」を理由に、ショウ・ブラザーズに於いてナンバー・ツーの地位にいたレイモンド・チョウ(鄒文懐)によって設立されたゴールデン・ハーベストは、かつて同社に所属していたブルース・リー(李小龍)やジャッキー・チェン(成龍)主演作などのクンフー・アクション映画の印象が強く、あまり《武侠映画》のイメージは湧き辛いがちょうど設立当時、世間は《新派武侠片》ブームで沸きかえっていたせいもあってか創業作『アンジェラ・マオ 8人のドラゴン / 天龍八将』(1971)をはじめ、ハーベスト社がブルース・リーを獲得し一大クンフー映画ブームを起こしてからも、しばらくはクンフー映画と並行して武侠映画も数多く製作された。
The Invincible Eight:天龍八將(アンジェラ・マオ 8人のドラゴン) / 1971

 初期ハーベスト製武侠映画で特筆すべきは、ショウ・ブラザーズの豊富な女優陣にも巻けず劣らずの、華やかな新人女優たちの魅力と新進気鋭の武術指導者、サモ・ハン・キンポー(洪金寶)の大活躍が挙げられるだろう。
 創業間もなくしてハーベストは、フレッシュな人材を求めて一大オーデションを行い、そこでノラ・ミャオ(苗可秀)、アンジェラ・マオ(茅瑛)、マリア・イー(衣依)らを獲得、《嘉禾三大玉女》と謳われた彼女らの初期主演作にはいくつか武侠映画があり、一足先に《女ドラゴン》路線に走ったアンジェラはともかく、ノラやマリアが演じる他の作品におけるヒロイン役とはまた違う、凛々しく若さあふれる勝気な女剣士ぶりが印象的だ。
The Angry River:鬼怒川(アンジェラ・マオ 鬼怒川) / 1971


The Comet Strikes:鬼流星 / 1971

 そしてサモ・ハンは、師であるハン・インチェが武術指導を担当する作品の助手として活動する一方で、多くのクンフー・武侠映画で絡み役や、2~3番手の悪役として初期ハーベスト製クンフー・武侠映画にて活躍する。こうした努力が実を結んだ結果、単独で数々の作品で武術指導を任されるようになり、さらに巨躯がトレードマークの個性派アクション俳優、後には映画監督として若くしてハーベストの屋台裏を支えるまでになっていったのだった。現在香港映画の重鎮としてリスペクトされているサモ・ハンの原点は、間違いなくこのゴールデン・ハーベストの創世期にある。切れ者のチョウ社長の元、新旧の「才能」たちが集ったハーベスト社が《帝国》ショウ・ブラザーズを脅かすのに時間がさほどかからなかった……
The Fast Sword:奪命金劍 / 1971


其の五 武侠世紀 ~ハンディキャップな女侠(おんな)たち~

 キン・フーの『大酔侠』、続くチャン・チェの『片腕必殺剣 / 獨臂刀』の大ヒットをきっかけに、香港や台湾では武侠映画の製作ラッシュが始まり、いわゆる《武侠世紀》と呼ばれる大武侠映画ブームの幕が切って落とされた。

 現地の映画スターたちはこぞって剣客や女侠に扮し、当時流行の《新派》にチャン・チェ式の「剛陽系」武侠片や、女優たちが活躍する昔ながらのオールドスタイルな武侠片、そして悪玉が主役だったり奇妙な兵器などが登場する奇想天外な、変格武侠片とも呼ぶべき珍品などが続々と製作、更には隣国である韓国製作の武侠片までもが輸入・北京語吹替えで上映され、ますますジャンル人気は盛り上がっていく。
Wrath of the Sword:怒劍狂刀 / 1970

The Eight Dragon Swords:龍形八劍 /1971

The Mad Killer:瘋狂殺手 / 1971

Fearless Fighters:頭條好漢 / 1971

 どのジャンル映画でもそうだが、人気がある程度安定すると既存のキャラクターを女性化させる《女性版》というのが登場する。古くから女優たちの活躍が盛んだった武侠映画でもその例に洩れず、人気だったハンディキャップ(不具者)・ヒーローも続々と女性版が製作された。このジャンルには、新派武侠片誕生の源のひとつである日本製時代劇の『座頭市』シリーズ、中華ハンディキャップ武侠片の開祖である『獨臂刀』からの影響や模倣が見受けられ、香港はもちろん――特に日本映画の需要が高かった台湾では、多くの女性版・盲目剣士や隻腕剣士が登場しブームをを彩った。
Golden Sword and the Blind Swordswoman:盲女金劍 / 1970

The Seisure Soul Sword of a Blind Girl:盲女勾魂劍 / 1970

Deaf and Mute Heroine:聾啞劍 / 1971

One Armed Swordswoman:女獨臂刀 / 1972

 1971年にはアメリカから帰国したブルース・リーによる、武器ではなく素手での格闘を中心としたクンフー映画が人気を呼ぶと、ますます武侠映画熱もヒートアップし彼が急逝する73年頃まで《武侠世紀》は続くこととなる。