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戦争体験を語る人を抹殺してきた社会

2015年06月23日 20時44分05秒 | その他
 最近、戦争体験を語る人が居なくなりつつあると言われるようになりました。確かに事は深刻であると思います。例えば昭和20年(1945年)の終戦時に20歳であった人も既に90歳、貴重な戦争体験をお持ちでも、お亡くなりになる方や語ることが難しくなった方もいらっしゃると思います。

 しかし語る人が居なくなったのは、時の流れ以外に、戦争体験を語ることを妨げる要因があったせいと私は思っています。

 分かりやすい例を挙げるなら、戦時中に敵機を多数撃墜して撃墜王と呼ばれた方が居ました。勿論当時は英雄扱い、もてはやされたものと思います。ところが戦後は戦争自体が否定されましたから、急に肩身の狭い思いをする羽目に陥り、一部の極端な思想を持つ立場の人からは殺人者呼ばわりされた事もあったと聞きます。これでは口をつぐむしかありません。

 戦争の悲惨さは兵隊にとっても同じなのに、自分たちの行動が「悪」とみなされてしまったのでは立場がありません。戦時中に束の間の楽しいことがあっても、それを語ると戦争賛美と非難する偏った思想の人が必ず現れますから、そのような事も表には出なくなりました。

 戦争を肯定してはいけませんが、大東亜戦争は連合国によって封鎖され行き詰った日本が事態打開の目的で始めた側面があり、やむを得なかった面があると父親は言っていました。ただ、シンガポール陥落など、日本が有利だった時点で早期に終結を図っていればよかったとも言っています。

 因みに私の父親は繰り上げ卒業で召集されたいわゆる学徒動員組、当時の学生の常として中道よりも進歩的な思想を持っていました。大学でも秘かに天皇機関説を講義していたそうで、リベラルな環境で育っています。


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