ヴァイオリンとフルートのRio

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終戦記念日

2020年08月15日 13時56分56秒 | その他
恒例の終戦記念日特集。

72歳の私には終戦を語るのに必要な自身の体験や記憶は有りません。

1945年8月15日に終戦となった事を認識できた人は、まさか乳児では無理で、線を引くなら当時5歳以上、従って現在80歳以上が最低年齢ライン。当時20歳以上の成人となると現在95歳以上。実際に戦争に行った人の年齢は様々で、私の父親の例で言えば今生きていれば104歳。

父親はビルマに砲兵として派遣され、その後病を得て帰国しましたが、残った方々の多くが悪名高いインパール作戦の犠牲になりました。

帰国途中の病院船に積まれた大砲の試射を行なったと聞きます。大砲を撃つのには数人が必要ですが、戦闘で死傷者が出る事を想定して、砲兵は一人でも撃てるよう訓練されています。赤十字のマークを表示した病院船は攻撃してはならない国際的な取り決めにもかかわらず米国の潜水艦が攻撃して来るのに備えたもので、実際に魚雷攻撃を受け、船が向きを変えてかわしたので助かったとの事。

昨日、慰霊碑や戦没者の墓の維持が難しくなって来たとの報道を見ました。戦没者の墓が多数並ぶ墓地が紹介されていました。同じ地区で招集され、同じ部隊に入って同じ戦場に赴き、多くの戦死者が出た例と思います。戦後75年と言えば2~3世代分に相当しますし、若い兵隊で子どもが居なければ直系で墓を守る人が居ない戦死者も多かろうと思います。

亡くなったご本人達がどう思ったかは分りませんが、戦時中であれば名誉の戦死と讃えられた筈がこの現状では浮かばれません。国のために亡くなったのに誠にお気の毒な事と思います。またこの戦争を侵略戦争と呼んではばからない方々が居ます。歴史的な評価はさておき、戦死者がまるで悪事に荷担した悪者であるかのように思われる事は考えていないらしい。

ところで靖国神社に総理大臣が参拝しなくなって久しくなります。戦地に赴く際には靖国神社で会おう(=戦死する意味)が合い言葉だったと聞きます。しかし現状の靖国神社は近隣国によって見下され、総理大臣も天皇も参拝しない一神社。戻って来た筈の英霊にも大変失礼な話と思います。

話が逸れますが、靖国神社の祭神はナントカノミコトではなく、戦争で亡くなった方々。外国で言えば無名戦士の墓のようでもあり、昔の日本にしては意外に近代的な考えと思います。外観が神社なのは当時の慣習によるものであり、一時は国家神道と結びつけられたため敬遠される傾向があるものの、迷惑しているのは祭神となった戦没者。形式にこだわるのはどうかと思います。


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