日々雑感

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ホリエモン的劇場型茶番劇その1

2009年05月01日 | Weblog
ホリエモン的劇場型茶番劇その1

朝日新聞の窓 論説委員室から


プロテスタンテイズムの倫理と資本主義

マックスウエーバーによると

「精神のない専門人 心情のない享楽人

この無の者は、人間性のかって達したことのない段階にまですでに上り詰めたと自惚れるだろう。」

ライブのドアや村上ファンドやアメリカ ウオール街のどん欲

時代の最先端にいると自惚れていたに違いない。彼らが、血道を上げたのは、ただのマネーゲームだった。

彼らは、資本主義の特徴である合理化の流れが金ではなく、もっと人間的な目標をみいだせうるかどうかにかかっているよう。

、と主張している。そこでぼくの考えを付け加えてみたい

ホリエモン的劇場型茶番劇その1

 今までの経緯はこうである。
ライブドアが、フジサケイ系グループの日本放送の株を大量に、時間外取引で取得して買収攻勢をかけた。日本放送を企業買収し、さらにフジテレビを企業買収することを目指して、株の買い集めを図っている。

フジテレビは、攻勢をしかけられて、防戦に終始した印象を与えた。
防衛策の一環として出した、新株発行の法的な是非は、裁判所で、一審二審とも差し止めを決定された。フジの言い分は、否定されたのだ。
 これでライブドアに、フジの経営は大きく影響を受けると誰しも思った。しかしそのとき、孫グループの一員が出てきた。

 ソフトバンクインベストメントの北尾氏が突如として乗り出してきて、テレビ会見をしたのである。
その模様を見ていると、彼は一癖もふた癖もありそうな、個性的な男だと誰しも思ったことだろう。話していることから判断すると、堀江氏とは違って、大分「大人」であり共感はできる。たとえば中国古典のを引用して、「仁」の心がなければ企業買収はうまくいかないから、やめた方がいいと言う。共感を覚えるセリフだ。
しかしそれは嘘偽りのない彼の経営哲学ではあろうが、はたしてどこまで信用できるご仁か。見極めはついていない。
資本の論理はそういう哲学を許さないことだっていくらもある。
そのとき彼はきっと「仁」の使い分けをすることだろう。問題はそこにある。
情勢が時々刻々変化する経済界にあって、スローガンを掲げるのはよいが、果してそれが、必ず実行されるかどうかを考えてみると眉につばを塗りたくなる。
仁の精神を経営哲学の根本に据えるというのは心の内に秘めて、口に出す前に実行、実践で示せばいいのであって、得々としゃべるのをきくと、やはりそれが真意だとしても、素直には受け取れないのは、やっかみや、ひが目であろうか。
 ましてや野村證券を引っ張っていた田淵社長が世の指弾を受けて引退したので、自分も野村を退社したというのであれば、次元の低い話である。

話を元に戻すと ライブドアー社の社長だとは言うものの、とても大企業を率いていく器量を持った人間だとは思われない。こういう人間をトップに抱いたとき従業員はどういう気持ちで仕事をするであろうか。
 日本放送は従業員のほとんどが今回の買収に反対しているし、出演者は彼が乗り込んできた段階で出演拒否を表明している。

旗色が悪くなり、風向きが悪くなってきたら、途中から広報担当と称する女性を前面に出してきた。
これでいよいよ茶番の色合いが濃くなってきた。
この男、誇りも恥も知らないらしい。所詮タレント性を売り物にする腰軽男という感じが否めない。信念があるなら最後まで己が出てきて、すべてにおいて堂々と受けて立つのが、責任のある男のすることだ。
これが「詰め将棋でいうなら、穴熊だ」と相手に言った人間のすることか。報道陣からの穴熊を決め込んだのは、相手を穴熊だと言った本人ではないのか。

 報じられるところによると、この種の買収劇、すなわちインターネットと既存のテレビ、放送関連メデイアとの融合を目指した買収劇は、アメリカではインターネット関係のAOLと既存の放送関連メデイアのタイムワーナーの買収劇があったが、両者の従業員の人間関係がうまくいかず、ことごとく対立して、
合併提携の買収劇が、失敗に終わって大損をしたという過去の事例があるらしい。
企業合併における体質の違いは、事業運営上の障害となることを如実に示した。また日本ではソフトバンクのソンは、過去にTV朝日買収劇に失敗している。
インターネットと他の放送メデイアとの融合や業務提携はそれが将来のこの業界のあり方だとしても、現時点では相当の山や谷を超えなければできないようである。そこには巧妙な作戦が要求されている。株を過半数買い占めたから買収は成功したと言うほど簡単なものではない。 

話は代わるが、
 ここでちょっと気になることがある。
確かに表面的には、フジにとっては、救い主が現れたような気になったことだろう。いわゆるホワイトナイトの出現である。
これがクセモノで、場合によったら、ホワイトナイトにもなるだろうし、
ライブドアに変わって、フジサンケイグループを業務提携という名のもとに、ソングループの中に取り込んでしまう恐れは十分にある。
この参入のタイミングは絶妙である。資本の論理で動くものが、表面的な正義感だけを振りかざし、いい格好をして漁夫の利を占める恐れは十分にある。要警戒である。
かれこれ2ヶ月間の動きを概述すれば、この辺が今までの動きである。

 北尾氏の話は、彼の言うこととは裏腹に、腹の底が見えすいているような気がする。衣の下に、甲が見えている。そんな感じを与える男である。
僕が思うに、この動きは、孫と十分話し合いがなされ、打ち合わせの上でのことである。それを彼はあうんの呼吸といった。以心伝心ともいった。それを連想させるにもかかわらず、彼は口では、関係のないようなことをいう。この辺から不信感が生まれている。経験を通して、大人は裏読みにたけている。 
 現実を多方面から思いを巡らせ検討する大人の目は、彼の言動の裏表を見分ける力がある。
曰く、M&Aは、日本でいちばん数多く手がけ、自分が最も精通していると公言した。それにとどまらず、評論家は、何もわかっていないとも発言もした。これは黙っておくべき言葉である。こういうところはライブの大将と一脈通じるものがある。
人間中心主義の経営をしきりに主張するが、果たしてどうか。
と疑問符を付けるのは僕一人だろうか。巧言令色少なし仁だ。
こういうことであるから、喋る人間に、表面的にはともかくも、お主ハートがあるなーと冷やかしの半畳を入れたくなる。
でも、心の奥底は、資本の論理で動く人間に違いない。でないと現在の彼の立場はないはずである。というのは、彼もまた今まで資本の論理で動いてきた人間だからである。
 野村証券出身らしいが、おそらく野村では出番がなくて、異端児扱いされていたのではないであろうか。次期社長と言うよいしょもあったらしいが、果たしてその器か。
そういう中で、孫との出会いであり、ソフトバンク、グループの一員に、なったというのが真相だろう。