夫婦、この異なるもの
石段に腰掛けて先ほどから私は巡礼者の行動を眺めていた。団体さんが多い。
もともと「つれもていこら」の国である。多いのは当たり前だと納得した。
石段杖を頼りに上ってきた1組の老夫婦があった顔に刻まれたしわから推察する
と70年の風雪に耐えてきた婆さんと爺さんだ。
「ようお参りですなぁ。お揃いで。いかがですか。」
「いや、いろいろありました。本当にいろいろあったがここまでやってきた。お
互いに支え合わないと、立ちゆかなくなる歳でやっと2人で身を寄せ合っているがそれでも心はてんでばらばらのことを思っている。人生ってこんなものと違い
ますか。夫婦は百景だから、人さまざまの夫婦をスタイルがあるのは当然で」
「ところでどうして88カ所巡りをされるのですか。」
「さあ、私らにはようわかりません。ある時、私が四国巡りでもするかと日ごろ
考えてもいないことを口走ったら連れ合いが、それもええなーと言うもんで。
そういうことでなんとなくというのが本当です。今から願うというものも特別に
ないし、ここまで来るのに誰かの世話になったというわけでもない。ほんとになんとなくです」
「それでは願かけでもなければお礼まいりでもないというわけですねえ。」
「はあ?お礼参り?誰に?お大師さんにですか?いえいえ、わしらは信仰をもっとらんきに別にお礼参りすることはないと思います。」
「なるほどそういうお参りも有るんですねぇ。ずいぶん力の抜けたお参りですね。いろんな人がいろんな思いを抱いてお四国さんを歩かれいるわけでみなさん自分の好きなように巡礼なさるのですね。いい事じゃないですか。」
私は意気込んでここまでやってきたのでちょっと拍子抜けしたが、考えてみれば百人百様、万人万様のお参りスタイルがあってもいいわけで、この夫婦に出会い肩の力がすうと抜けた。ひょっとしたらお大師さんがこの夫婦の口を借りて、私に何らかの暗示を示されたものと受け止めた。
四国巡礼には理屈はいらないのである。ただ黙々と歩けばいい。ただ黙々と自分の心の中を見ればいい。そしていつも陰のように同行するお大師さんとひたすら会話すればよい。私は自分の足下をしっかり見つめて四国をめぐろうと思う。
石段に腰掛けて先ほどから私は巡礼者の行動を眺めていた。団体さんが多い。
もともと「つれもていこら」の国である。多いのは当たり前だと納得した。
石段杖を頼りに上ってきた1組の老夫婦があった顔に刻まれたしわから推察する
と70年の風雪に耐えてきた婆さんと爺さんだ。
「ようお参りですなぁ。お揃いで。いかがですか。」
「いや、いろいろありました。本当にいろいろあったがここまでやってきた。お
互いに支え合わないと、立ちゆかなくなる歳でやっと2人で身を寄せ合っているがそれでも心はてんでばらばらのことを思っている。人生ってこんなものと違い
ますか。夫婦は百景だから、人さまざまの夫婦をスタイルがあるのは当然で」
「ところでどうして88カ所巡りをされるのですか。」
「さあ、私らにはようわかりません。ある時、私が四国巡りでもするかと日ごろ
考えてもいないことを口走ったら連れ合いが、それもええなーと言うもんで。
そういうことでなんとなくというのが本当です。今から願うというものも特別に
ないし、ここまで来るのに誰かの世話になったというわけでもない。ほんとになんとなくです」
「それでは願かけでもなければお礼まいりでもないというわけですねえ。」
「はあ?お礼参り?誰に?お大師さんにですか?いえいえ、わしらは信仰をもっとらんきに別にお礼参りすることはないと思います。」
「なるほどそういうお参りも有るんですねぇ。ずいぶん力の抜けたお参りですね。いろんな人がいろんな思いを抱いてお四国さんを歩かれいるわけでみなさん自分の好きなように巡礼なさるのですね。いい事じゃないですか。」
私は意気込んでここまでやってきたのでちょっと拍子抜けしたが、考えてみれば百人百様、万人万様のお参りスタイルがあってもいいわけで、この夫婦に出会い肩の力がすうと抜けた。ひょっとしたらお大師さんがこの夫婦の口を借りて、私に何らかの暗示を示されたものと受け止めた。
四国巡礼には理屈はいらないのである。ただ黙々と歩けばいい。ただ黙々と自分の心の中を見ればいい。そしていつも陰のように同行するお大師さんとひたすら会話すればよい。私は自分の足下をしっかり見つめて四国をめぐろうと思う。