千日回峰
比叡山で行われる荒行で、最難関は堂入りといって、お堂に籠り、不眠不休で不動真言を唱えることらしい
食べない、飲まない、寝ない、横にならない、ないないづくしで9日間、普通の人間生活を遮断する行だ。
娑婆で不平を鳴らしながら生きているわれわれ凡俗から見ると、これはご苦労以外の何物でもない。だから不眠不休の行をする人には驚異の目を見張り、アジャリ様生き仏様、お不動様の生き仏と仰ぐのも無理はない。俗界とは違った次元の世界を往還した人だから。
富山の先生もそうである。修行はもう長い。「立山に上れ」という声が聞こえると、何があろうと立山に登らなくてはならない。とても出来ないと拒否すると、体の自由がきかなくなって、その苦しみたるや、立山に登るしんどさの何倍というものであるそうな。凡俗には経験の出来ないことであるから、唯体験話を聞くだけである。この人も俗界とは違った次元の世界を往還した人だ。
星野師は13日午後から、食事や水を断ち、不眠不休で不動真言を10万回唱え続けた。21日午前2時56分、星野師が両脇を支えられ、堂内からゆっくりとした足どりで姿を現すと、待ちわびた約600人の信者らは、手を合わせて真言を唱和した。
「堂入り」は、千日回峰700日終了後の行で、最難関の苦行とされる。満行した行者は生身の不動明王とされ、「当行満阿闍梨(とうぎょうまんあじゃり)」と称される。
天台宗総本山延暦寺大乗院の星野圓道住職(32)が13日、過酷な荒行で知られる「千日回峰行」でも最大の難関の「堂入り」を始めた。大津市の比叡山・無動寺谷の明王堂に9日間こもり、水と食事を断って、眠ることも横たわることも許されない中で不動明王の真言を10万回唱え続ける。堂入りした行者は6年ぶりで、戦後12人目。
千日回峰行は天台僧の相応和尚(831~918)が創始。深夜から明け方にかけて比叡山中の堂塔などを巡拝し、1000日間で地球1周にあたる4万キロを歩く。中でも堂入りは行の700日目に始める荒行だ。
この日の星野師は浄衣(じょうえ)と呼ばれる白装束姿。堂入り前最後の食事となる「斎食(さいじき)」の後、半田孝淳座主や先に満行した阿闍梨(あじゃり)ら約60人に先導され、無言のまま明王堂に入った。堂の前では信者約300人が一心に手を合わせ、命がけの荒行に臨む星野師を見送った。
21日未明にも満行の予定。満行後は「当行満(とうぎょうまん)阿闍梨」となり、不動明王の化身として信仰の対象となる。星野師は75年、東京都生まれ。03年に千日回峰行に入った。【武井澄人記】
比叡山の荒行「千日回峰」のうち、山中の明王堂(みょうおうどう)(大津市)に9日間籠(こ)もる「堂入り」に挑んでいた延暦寺大乗院住職、星野圓道(えんどう)師(32)が21日未明、満行した。
達成は6年ぶり、戦後12人目。
比叡山で行われる荒行で、最難関は堂入りといって、お堂に籠り、不眠不休で不動真言を唱えることらしい
食べない、飲まない、寝ない、横にならない、ないないづくしで9日間、普通の人間生活を遮断する行だ。
娑婆で不平を鳴らしながら生きているわれわれ凡俗から見ると、これはご苦労以外の何物でもない。だから不眠不休の行をする人には驚異の目を見張り、アジャリ様生き仏様、お不動様の生き仏と仰ぐのも無理はない。俗界とは違った次元の世界を往還した人だから。
富山の先生もそうである。修行はもう長い。「立山に上れ」という声が聞こえると、何があろうと立山に登らなくてはならない。とても出来ないと拒否すると、体の自由がきかなくなって、その苦しみたるや、立山に登るしんどさの何倍というものであるそうな。凡俗には経験の出来ないことであるから、唯体験話を聞くだけである。この人も俗界とは違った次元の世界を往還した人だ。
星野師は13日午後から、食事や水を断ち、不眠不休で不動真言を10万回唱え続けた。21日午前2時56分、星野師が両脇を支えられ、堂内からゆっくりとした足どりで姿を現すと、待ちわびた約600人の信者らは、手を合わせて真言を唱和した。
「堂入り」は、千日回峰700日終了後の行で、最難関の苦行とされる。満行した行者は生身の不動明王とされ、「当行満阿闍梨(とうぎょうまんあじゃり)」と称される。
天台宗総本山延暦寺大乗院の星野圓道住職(32)が13日、過酷な荒行で知られる「千日回峰行」でも最大の難関の「堂入り」を始めた。大津市の比叡山・無動寺谷の明王堂に9日間こもり、水と食事を断って、眠ることも横たわることも許されない中で不動明王の真言を10万回唱え続ける。堂入りした行者は6年ぶりで、戦後12人目。
千日回峰行は天台僧の相応和尚(831~918)が創始。深夜から明け方にかけて比叡山中の堂塔などを巡拝し、1000日間で地球1周にあたる4万キロを歩く。中でも堂入りは行の700日目に始める荒行だ。
この日の星野師は浄衣(じょうえ)と呼ばれる白装束姿。堂入り前最後の食事となる「斎食(さいじき)」の後、半田孝淳座主や先に満行した阿闍梨(あじゃり)ら約60人に先導され、無言のまま明王堂に入った。堂の前では信者約300人が一心に手を合わせ、命がけの荒行に臨む星野師を見送った。
21日未明にも満行の予定。満行後は「当行満(とうぎょうまん)阿闍梨」となり、不動明王の化身として信仰の対象となる。星野師は75年、東京都生まれ。03年に千日回峰行に入った。【武井澄人記】
比叡山の荒行「千日回峰」のうち、山中の明王堂(みょうおうどう)(大津市)に9日間籠(こ)もる「堂入り」に挑んでいた延暦寺大乗院住職、星野圓道(えんどう)師(32)が21日未明、満行した。
達成は6年ぶり、戦後12人目。