再度赤ちゃんポストに思う
赤ちゃんポストは本来なら消される命を救おうと、熊本にある慈恵病院が1998年から始めた乳児遺棄事件を防ぐために設けた施設である。
当事この命の扱いについては賛否両論があって、当時の総理大臣をしていた
阿倍氏はこの設置に反対した。こういう施設を設けると遺棄事件が続発するという意見だったように思う。
このとき僕は一国の総理の生命に対する畏敬の念の薄さや無知に驚いた。要するに彼は生命というものに目を向けないで、遺棄事件に目を奪われていたのだろう。
何と哲学のない人間がこの国をリードしていく事よと腹が立った。生命の誕生にはそれぞれ事情がある。
日本人の生命の誕生は年間120万~30万人くらいらしいが、そのうち陽の目を見るのは100万そこそこで、後は闇に葬られる事を何かの書物で読んだ記憶があるので、一つの命も社会の責任において育て育まなくてなはらないと強く感ていた
。
僕みたいな一介の庶民でも、生命の畏敬の念を何としても守らなくてはならないと考えていたので、赤ちゃんポストが設立されたことに対しては、ほっと安心したものだ。
だからその後の赤ちゃんポストで、どういう事が起こるのか関心を持ってきたが、阿倍氏が言っていたような悪弊は生まれなかった。実績という点からは、彼に見通しは完全に間違いを犯したのだ。
数ははっきり把握してないが、一旦はポストに捨てたものの育てられる環境になったのだろう、両親が子供を引き取りに来たケースもあるらしい。もしこのポストがなかったらこの世に存在しない命である。その数が例え少なくとも、この世に命が誕生して育っている事実を見るとき、僕は人間としてこれを喜ぶ。
子供の誕生には全てが受け入れ体制が出来ているとは限らない。命の誕生には諸々の事情というものがある。
人々はいろいろな事情を抱えているから、その当時は育てられないと言うこともあろう。がしかしこのような施設があるおかげでまた、心ある病院関係者の努力と相まって命は育っているのである。これこそ命の共生を地でいっているのである。そしてそれは生命の畏敬の具現化、実現化である。子供の命は大人が守るのが基本である。そしていったん生まれた命は社会的に守られなくてはならない。
今回関西にも赤ちゃんポストを設けようとする運動が兵庫県の女性支援グループが動き出したと昨日の朝日新聞は伝えている。僕は素直に喜んだ。
そしてこれまでの関係者のご努力に感謝したい。この世で命ほど大切なものはないからだ。
そう言う運動や啓発活動、教育などによって、救われて育てられる命は今後もいくつも出てくるだろう。阿倍氏が言ったような赤ちゃんポスト反対論ではなくて、生まれ出てくる命を社会全体で支える体制が急がれる。決してポスト設置による悪弊のみが生まれないことを心から願う。
赤ちゃんポストは本来なら消される命を救おうと、熊本にある慈恵病院が1998年から始めた乳児遺棄事件を防ぐために設けた施設である。
当事この命の扱いについては賛否両論があって、当時の総理大臣をしていた
阿倍氏はこの設置に反対した。こういう施設を設けると遺棄事件が続発するという意見だったように思う。
このとき僕は一国の総理の生命に対する畏敬の念の薄さや無知に驚いた。要するに彼は生命というものに目を向けないで、遺棄事件に目を奪われていたのだろう。
何と哲学のない人間がこの国をリードしていく事よと腹が立った。生命の誕生にはそれぞれ事情がある。
日本人の生命の誕生は年間120万~30万人くらいらしいが、そのうち陽の目を見るのは100万そこそこで、後は闇に葬られる事を何かの書物で読んだ記憶があるので、一つの命も社会の責任において育て育まなくてなはらないと強く感ていた
。
僕みたいな一介の庶民でも、生命の畏敬の念を何としても守らなくてはならないと考えていたので、赤ちゃんポストが設立されたことに対しては、ほっと安心したものだ。
だからその後の赤ちゃんポストで、どういう事が起こるのか関心を持ってきたが、阿倍氏が言っていたような悪弊は生まれなかった。実績という点からは、彼に見通しは完全に間違いを犯したのだ。
数ははっきり把握してないが、一旦はポストに捨てたものの育てられる環境になったのだろう、両親が子供を引き取りに来たケースもあるらしい。もしこのポストがなかったらこの世に存在しない命である。その数が例え少なくとも、この世に命が誕生して育っている事実を見るとき、僕は人間としてこれを喜ぶ。
子供の誕生には全てが受け入れ体制が出来ているとは限らない。命の誕生には諸々の事情というものがある。
人々はいろいろな事情を抱えているから、その当時は育てられないと言うこともあろう。がしかしこのような施設があるおかげでまた、心ある病院関係者の努力と相まって命は育っているのである。これこそ命の共生を地でいっているのである。そしてそれは生命の畏敬の具現化、実現化である。子供の命は大人が守るのが基本である。そしていったん生まれた命は社会的に守られなくてはならない。
今回関西にも赤ちゃんポストを設けようとする運動が兵庫県の女性支援グループが動き出したと昨日の朝日新聞は伝えている。僕は素直に喜んだ。
そしてこれまでの関係者のご努力に感謝したい。この世で命ほど大切なものはないからだ。
そう言う運動や啓発活動、教育などによって、救われて育てられる命は今後もいくつも出てくるだろう。阿倍氏が言ったような赤ちゃんポスト反対論ではなくて、生まれ出てくる命を社会全体で支える体制が急がれる。決してポスト設置による悪弊のみが生まれないことを心から願う。