日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

高校野球甲子園大会

2011年07月29日 | Weblog
高校野球甲子園大会: 11/07/27

全国高校野球甲子園大会を見てごらんなさい。
どちらかが勝ち。どちらかが負けるんだ
だが、その結果が出るまでは、ストーリーのないドラマ(誰にも、正確には筋書きの読めない)が展開されるんだ。
面白いのはここである。

それを見るために、炎天下の甲子園が満員になるのだ。

人は死ぬ。それは結果である。どんなドラマを演じるかによって、人生が面白いゲームになったり、退屈人生になったりするものだ。

そんなわけで、決して、勝ち負けの結果だけを深追いしてはならない。そう思った。

10-9話をしないと判らない

2011年07月29日 | Weblog
話をしないと判らない

人はどんな人でも、話をしないと何も判らない。時々講演をするがそのたびごとに、僕は生涯で何人の人間と言葉を交わすことが出来るのか、アバウト考えたことがあるが、60億人(実際はもっと多いのだろう)の内で精々、生涯で10万人と話を交わせば良い方だろう。
自分の方から積極的に話しかけていけば別だが、総人口から考えると、微々たる数字である。

その中に今日、私の話を聞いて下さる人々が居られるのを考えるとき、私はその人達との出会いをご縁と称している。

今日ある会合で、作家の難波先生の話を聞くチャンスがあった。
先生は実家が島根の方で、帰郷され近くの温泉に入浴に行って時の事を話された。
温泉に入ろうとすると、先客が有り、その人と会話を交わして入浴中の人は女性であるが目が見えないので入って下さいと言われたという。彼らは夫婦で奥さんは若い頃から一度山陰の温泉に入りたいと希望していたそうな。

入浴をすませた後で先生は考えたそうな。もしご主人と話す機会がなければ、こちらが話しかけなかったなら、盲目の女性が入浴中の話なんか想像外のことであったろう。主人と会話をしたからこそ、全容がわかった。話をすることが如何に大事なことか痛感した。そして何事も話をしないと始まらないと結ばれた。

わずか十分足らずの講演だったが、平凡な毎日に作家独特の「人間エッセイ」
を聞かせて貰って、成る程な、と感心した次第。
私も今後この事を心にとめて、積極的に、人と話をしようと、心に決めた。

五つの太陽

2011年07月29日 | Weblog
五つの太陽

この世の中見えているように、存在するものでもない。

私は自分で認識できるものはすべて真実の存在だと固く信じてきた。

中国西安では太陽が5つに見える現象が起こった。と新華社電は伝えている。

私の考えていけば、確かに5つの太陽を視認できるわけだから、太陽は五つ存在することになる。

しかし、太陽は実際には、一つしか存在しない、

見えた視認することと、実際に存在するということは大違いである。

私が見ているような状態で、すべてのものは存在すると今の今まで思っていたが、物事というのは必ずしも自分が、見ているように存在するものは無い。ということをこの五つの太陽から教えてもらった。

我とは不確かな存在なんだ。