がんばれ 1月4日
東北大震災が起こったとき、他に何の力にもなれない僕は、頑張れという言葉を何回も口にして、被災者をはげましていたつもりであった。
おそらく日本人であるならば、励ましとして頑張れを呪文のように口にしたことだろう。
ところがあるとき,テレビを見ていたら、被災者の口から次のような言葉が出た。「人は頑張れ頑張れと応援しくれるが、言われなくても、頑張っているから生きているのだ。これ以上何をどう頑張れというのか」
人々が一様に口に出す「頑張れ」は食傷気味なのだ。応援エールは確かに心の励みになった事だろうが、多すぎるとかえって先述のように開き直りが出てくる。この気持ちは分かる。
自分が最高に頑張っているときに、そとから頑張れが飛んでくると、「もういいよ」という気持ちになる。
紅白を見ていて、これは過剰頑張れだ。と思った。 被災者を勇気つけるための仕掛けが多すぎた。紅白が被災者を応援するというのは判るが、過剰は、反って効果を半減させる。被災者でない国民が圧倒的多数なのだから、福島に焦点を当てすぎるのは、見ていていやな気分がした。僕のように感じた人も多かったのでは無いだろうか。
過ぎたるは及ばざるがごとしである。
東北大震災が起こったとき、他に何の力にもなれない僕は、頑張れという言葉を何回も口にして、被災者をはげましていたつもりであった。
おそらく日本人であるならば、励ましとして頑張れを呪文のように口にしたことだろう。
ところがあるとき,テレビを見ていたら、被災者の口から次のような言葉が出た。「人は頑張れ頑張れと応援しくれるが、言われなくても、頑張っているから生きているのだ。これ以上何をどう頑張れというのか」
人々が一様に口に出す「頑張れ」は食傷気味なのだ。応援エールは確かに心の励みになった事だろうが、多すぎるとかえって先述のように開き直りが出てくる。この気持ちは分かる。
自分が最高に頑張っているときに、そとから頑張れが飛んでくると、「もういいよ」という気持ちになる。
紅白を見ていて、これは過剰頑張れだ。と思った。 被災者を勇気つけるための仕掛けが多すぎた。紅白が被災者を応援するというのは判るが、過剰は、反って効果を半減させる。被災者でない国民が圧倒的多数なのだから、福島に焦点を当てすぎるのは、見ていていやな気分がした。僕のように感じた人も多かったのでは無いだろうか。
過ぎたるは及ばざるがごとしである。