日々雑感

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阪神淡路大震災につて思い出すこと

2012年01月17日 | Weblog
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1993年に亡くなった母の3回忌を鎌倉で済ませて、夜の飛行機で関西空港についたのは、21時を過ぎていた。家に着いたら11時も廻っていた。よく17日午前5時46分に大地震が発生した。僕が住んでいる所は震源から南に大部それていたので、震度は4であった。関西でこんなに揺れるのだから、さぞかし関東では揺れたことだろうと、思いは東京にいる親類にむかって走った。
ところが地震は淡路島から宝塚方面に走り抜けて、神戸市内は見るも無惨は震災状況を呈した。高速道路は倒れるし、阪神電車は車庫の電車まで脱線するし、大災害であった。家は火災で燃えて圧死、焼死者など6400余人にのぼった。それはそれは大惨事だった。
こんな大規模な災害は終戦以来ではないか。そう思った。
 こんな時何をすれば良いか、一瞬頭にひらめいたのが、鎮魂曲の作曲だった。4楽章の組曲用の作詞をし、続いて作曲のスケッチを描いた。
特に第三楽章の鎮魂の章では白い水仙というタイトルにした。皇后陛下が皇居から持参された水仙である。見舞いに持ってこられた皇后陛下の心のやさしさが、僕の胸を打った。
あーあー、逝きし人々よ。
呼べど叫べどこだま空しく、今は帰らぬ人々の御霊に捧げて、
あーあー祈るのみ あーあー祈るのみ 、、、、、。
と書いてモルで作曲して鎮魂の情を精一杯表した。
 この企画を祭壇にお供えしようという僕の思いとは裏腹に、鎮魂曲は外国のレクイエムを使うという。ド素人はこの程度のことしか考えないのかと、馬鹿馬鹿しくなり、計画は一切取りやめにした。
作詞は完成したが、作曲はスケッチのままで楽譜帳に差し込んだままである。今回の東日本大震災に際しても、心の底から湧き上げる悲しみと慰霊の誠を作詞作曲したが、これもそのままになっている。これはある意味仕方が無いとも思う。イントロの部分のピアノが大津波の来襲を思い出させるような、リアルな描写にしたからだ。鍵盤の最低音から最高音までを使って激しく駆け上り駆け下りて、それからしーんと静まりかえって歌が始まる構成にした。これを聴いた被災者はどう思うだろうかと考えたとき、公表することは、はばかられた。お供えするのは十年後で良いと今は考えている。そんなわけで鎮魂曲は死者の魂にむかって作曲したものの、未だに楽譜やCDになって僕の手元にある。