日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

責任を問う

2012年01月16日 | Weblog
責任を問う 8,807位 / 1,673,439ブログ中

マンションの建設に放射能汚染された石が使われたらしい。経産省は汚染の恐れがあると通報されたにもかかわらず、それを見過ごした。いや軽視した。

汚染が危険視されている浪江町の石がコンクリートと混ぜられてマンション建設に使われて、室内から高濃度の放射線が放射されているという話。

いわれなければ気がつかないという単純な次元の話ではない。今後この問題はかなり広がるだろうと予測されるが、経産省の役人はいったい何をしていたのか。これは過失が重大すぎてお詫びで済むような問題ではない。担当者はもちろん上司も必ず責任を追及されなくてはならない話である。

どういう結末をたどるのか知らないが、責任はきっちり取らなくては、
世の中のけじめがつかない。此のマンションに避難してきた人は情けないといって泣いていた。被害者をさらに苦しめるようなことをどうしてするのだ。
ミスでしたでは済まない問題だ。
 


うた

2012年01月15日 | Weblog
うた      1-15 5,412位 / 1,673,105ブログ中

メロデイは感情の流れである。その感情にまとわりついた記憶が歌によって思い出されるというのが、懐かしい歌なのである。
特に青春時代には夢がある。希望がある。明るい未来がある。
生まれて初めて経験する初恋の想い出は当時歌った歌によって思い出されることが多い。
恋を知ることによって味わう、人を恋い慕う事のいとおしさ、切なさ、
思いが叶わない時の残念さ、失意失望など一人ひとりが誰に言うことも無く自分でしか知らない物である。でもそれの感情の流れの中に歌があれば、歌によって遙か彼方に過ぎ去った、初恋の味をかすかながら、思いだしあの時の気分を味わうことが出来る。
こういうことは童謡や叙情歌によることが多いが、人によってはその時の歌は演歌であるかも知れない。
いづれにせよ歌は感情の中に根付いて、ひとり想い出の歌を口ずさむとき、バックデイトして人を青春時代に連れ戻してくれる作用がある。
僕は歌は叙情性のあるものでないと、心の底に定着しないと思う。そう考えるなら、メロデイの叙情性を失った今の歌に飼い慣らされた世代は将来必ず歌をなくすときが来るだろう。いくら世相がそうだとしても、心を失ってまで今の歌にこだわることは無いだろう。鼻紙にも等しいような歌を作って有頂天になっている流行作曲家は所詮その程度である。


自殺3万人

2012年01月14日 | Weblog
自殺3万人:   12 01 12

2011年もまた自殺者が3万人を越した。実に悲しい現実である。何時の時代でも、自らの力で人生の難関をのりこえる事が出来ず、この世を去って行くというのは、何としても避けたいことである。
しかもこの3万人という数字は14年間も続いているのである。
日本社会は毎年3万人が自殺しなくてはならないような、不幸な社会構造になっているのであろうか。
僕の考えでは高度成長を遂げた日本は、物は何でも自由に手に入り、物質文明は確かに人々の生活を潤したが、その反面精神的なものはやせ細っていったのでは無かろうか。物質には満足しているが、精神的には不満の塊が心の底にあって、人生に夢や希望をみいだせない、失望社会に身を置いているような気がする。
そしてこのような社会病理現象を生み出した悪い条件の一端というのは、個々人の孤立化という点にあろう。核家族化して人間関係が希薄になり、人は自分の孤独感を誰に打ち明けて、問題解決のよすがとしようとしているのか。家族関係が希薄になり、ましてやコミュニテイが崩壊した状態は、絶海の孤島にひとりで暮らすに等しい。
人間は人間の中でしか生きられない。つまり絆を太くして生きるという基本原則が破壊されては生きていけないのである。
 いまこの3万人という数字を考えて見ると、東北大震災のあの死者も3万人以下であった。古い話だが、日清戦争 13,619人 満州事変17,176人の合計に匹敵する数字である。戦死者とほぼ同数とは驚くべ喜数字である。
3万人という数字は非常に多い数字である。私は今この数字を0に出来たらと言っているのでは無い。複雑多岐にわたる人生で窮通打開の道無く自殺の誘惑に駆られることは、何人も経験するところであろう。
だが大多数の人はこの誘惑を乗り越えて人生を全うしているのである。
 精神的な問題で悩み苦しみ命を絶っていく実情を見るとき、宗教は一体
何をして人を救おうとしているのか。現代の仏教のあり方にははなはだ疑問を感じる。釈迦は葬式をするために、言い換えれば死者のために教えを説いたわけでは無い。彼の教えは生きていく為の教えである。にもかかわらず、現在の現在の仏教が生きている人間の救済機関となっているか。?
仏教は生きている人間を救わずして、一体何をしているのだろうか。
救済の無いところに何故を金払う必要があるのだろうか。?疑問に思う
寺離れは起こるべくして起こっている。


TOEFL 日本73点

2012年01月13日 | Weblog
TOEFL 日本73点(120点満点) 1-13 順位: 7,450位 / 1,672,443ブログ中

日本の英語教育は間違っている。グローバルな世界になっているのに此の成績では、東南アジアでも下から数えた方が早いということになると、どうしても英語教育方法が間違っているといわざるを得ない。

僕の場合中学3年間、高校3年間、大学4年間合計10年間授業を受けながら、日常会話もできなければ、文章を書くことだってできない。かろうじて英書が読める程度である。英語教育の悪いところは、些末なことを教えすぎていて、実用には何の足しにもならない。という点にある。

たとえば前置詞。AT だろうがOFだろうが、INだろうが、それを正しく使えるのはよいことかもしれないが、大して役にも立たないのに、どれほど時間をかけているだろう。
日本の学校教育の英語は読み書き特に読むことに主眼が置かれて、教えられたような気がする。

会話は殆ど教わらなかったから、日常会話は殆どできない。英語を10年間勉強して、日常会話すらできないというのは、英語教育のどこかが間違っている証拠である。
そこで最近週1時間会話の勉強をすることになったが、先生に会話が身についていないから、教えることができない。だから会話は別に金を払って英会話専門学校に行かなければならないということになる。

英語教育はそのままになって英語は頻繁に耳にするにもかかわらず、学力的には遠くへ行ってしまっている。英語は世界共通語として英会話は今後ますます重要になってくるだろう。
会話は子供の時から身につけるように英語教育を考えてほしいものだ。
先ほどのTOEFLの話に戻ると1,シンガポール98 2インド92,
韓国81, 中国77、ベトナム73、日本70 ラオス67点ということである。日本人の英語の力はかくも無残である。

ぐだぐだ言わないで筋を通せ

2012年01月12日 | Weblog
ぐだぐだ言わないで筋を通せ      1-12 7,144位 / 1,672,096ブログ中

法務大臣の職責について、いつも思うことであるが、法務大臣が死刑執行命令書にサインをしなければ、死刑が執行されない。という現実をどう見るか。

死刑制度がある限り法は厳正に執行されるべきで、個人の主義主張や。恣意的な判断によって左右されるべきではない。
法律で決められている以上、その任にあたる大臣が命令書にサインするのが当然で、サインしないのはサボタージュになる。
この国では法務大臣自身が法律を守らないで、大臣が務まるのだから順法精神が希薄になってもしようがない。

法務大臣になれば死刑執行命令書にサインするのが、職務の一環なのだから、もし個人的には死刑反対論者であり、 どうしてもサインできないというのならば、法務大臣は務まらないわけだから、大臣になる前に辞退すべきである。サインはしたくないが、法務大臣という位はほしいとは何とあつかましい人間ぞ。

一人の死刑が決定されるまでにはいかに多くの人間の努力がかかっているか。そこに思いをいたせばどうだ。自己主張に従って権力を振り回して喜んでいる場合じゃないぞ。
順法精神に欠けた大臣が国民に順法精神を説く 。まるでさまにならない。もっと己に厳しくあれ。それができなければすぐさまその職を去れ。

10-68NHK大河ドラマ平清盛を見て

2012年01月11日 | Weblog
平清盛を見て    

NHKの大河ドラマ・平清盛が始まった。歴史物の好きな僕は大いに期待して見た。清盛出生の秘密を描いているのだが、総じて物理的な画面が暗い。どうしてもう少し明るくしないのか。これではよい物語も画面が暗くて見づらいおかげで、視聴率アップの邪魔になるとおもった。
案の定物言いが付いた。平家物語では兵庫県を除くことは出来ない。
井戸知事も暗いイメージを持ったらしく「画面が汚い.鮮やかさが無く
チャンネルを回す気にならない」と酷評した。
問題点は
1,画面が暗くて見づらい
2,ドラマの演出が汚くて見たくなくなる
3,1,2の両方
のどれかによるのだろう
視聴率は18%(関西地方)と言うことだったから、いまいちという所だったのではなかろうか。これを県の観光材料として使おうと意気込んでいた知事のぼやきは理解できるが、かといって全国放送が兵庫県の期待に添えない事が理由になり、本来の筋を曲げると言うのであれば、それは違うだろうと、一言いいたい。

ここで問題にしたいのはNHKガ目をくらくしたり演出が指摘されてしちょうしゃがみつらいというのならすぐさまたいおうして不便を解消しますと言う反応ではない。視聴者の愚痴とかたづけてしまって良いものか
サービス精神はどこにあるのだ。視聴者の苦情を無視して時代考証がうまくいっているからこういう画面になるのだと主張しても視聴者にとっては面倒くさいスイッチを切ればどんないいわけも法相そのものが意味をなさないじゃないか。それどころか専門化のすることに口出しするな問う絵から目線でお客を突き放す
これがNHKの制作態度のとる態度か お客様第一の標語はどこへ行ったんだ?

2つのエンジン

2012年01月09日 | Weblog
2つのエンジン 1/9 順位: 7,304位 / 1,671,075ブログ中

大阪都と東京都の2大都市のあり方が日本を引っ張っていく様な力となればと僕も思う。期待したいのは中央官庁をどのように解体して地方分権を確立するかという点にある。中央政府がいくら行政改革を叫んでみたところで何時もそれはかけ声だけにおわってめぼしいものは何もなかった。
改革が出来ないことは実証済みのことである。

そこで大阪都構想から一歩も二歩も飛躍して日本のあり方を変えていくという壮大な構想の下に、この二つのエンジンが始動出来れば、少しは日本も変わるだろう。今の閉塞感だけはどうしても打ち破らなくてはならないから。
2つと言えば民主党の枝野・前原の基本的な考えの違いである。
枝野氏は内需中心の成長戦略を唱えるのに対し、前原氏は輸出による経済戦略を唱える。
僕が確実性が高いと思うのは、内需中心型経済成長論だが、グローバリズムに飲み込まれながらも、外需成長政策にむかって、経済政策をとらないと食料輸入もままならない事態が起こる。
要するに、内需、外需の経済政策はどちらか一本というわけではなく、2本柱を同時並行で、この国の経済活動を推し進めていかなければならない。
二つのエンジン、2都の創設と内需外需の経済政策 、を速く立ち上げて始動させなくてはならない。
EUの混乱・動揺は決して対岸の火事ではないはずだから。

もう騙されないぞ

2012年01月08日 | Weblog
もう騙されないぞ 1/8 9,716位 / 1,670,659ブログ中


東海村で原子力事故が起こった際に、これは危険だと思った。あの程度の人為的事故で、3km半径四方は放射能汚染が心配で、なかなか自宅に戻れなかった。この事故は作業員が手抜きをして、放射能をあびて2人とも死亡した。バケツ1杯の事故であっても、周辺地域は放射能汚染で人々は不安がった。ところが今回のような大がかりの除染問題はおこらなかった。
汚染問題はどうなったのだろうか。
原子力事故で放射能漏れが起こっているのだから、除染は必要だったのであろうが、放射能の後始末は情報として伝わってこなかった。
おそらく汚染されたままで放置されたのだろう。有耶無耶になったと思う。
あの事故についてはマスコミも大きく取り上げなかったから、国全体全てが油断していたのだろう。

僕はこれを教訓にしたい。今後はどれほど小さいことでも、こと原子力に関しては、警戒警報を発したい。政府や学者が何を言おうとも、危険を感じる直感を大切にする。たとえ膾を吹く結果におわろうとも。

東海村の原子力事故のメモは今も持っている。あの時に原子力委員会や保安院が、もっとまじめに取り組んでいてくれたら、と思う。
あの事故の原因は「人為的ミス」で片付けられた。確かにそうだけど、原子力事故には間違いない。

保安院はマニュアル通りに作業すれば、事故は起こりえないと断言していた。しかし今回の福島事故について考えて見れば、専門家でも原子力事故の予兆と受け止めることは出来なかったのだろうか。僕自身について言うならば、福島事故はやはり想定外だと思うけれども。専門家はもっとピリピリしていても良さそうなものだ。

科学に頼り切るのは非常に危険だと思う。今回40年廃炉方針が打ち出されたが、それでも安全が確保されたわけでは無い。
人間のコントロールが効かない原子力は恐ろしい。もう国や学者には騙されないぞ。

順序が逆では無いのか

2012年01月07日 | Weblog
順序が逆では無いのか 8,221位 / 1,670,313ブログ中

不退転の決意で税と社会保障の一体改革をするという総理。
国家の無駄を省き行政改革を断行して、その後に国民にお願いをすると言う話では無かったのか。税だけアップされてなし崩しに行政改革をやって国民をごまかすのではなかろうな。

大体公務員の給与引き下げや、議員定数での削減程度で日本の財政バランスがとれるのか。僕は日本の財政はもっと深手を負っているとみている。国のあらゆる有り様を変えないと、借金払いは出来ないだろう。

税収を伸びるように経済成長をすれば良いという理屈もあるが、そんなこと期待して、夢を見ている間に首が回らない事態が起こるだろう。

民主党は公約に無駄を省いて、消費税を上げなくてもつじつまを合わせると言ったじゃ無いか。まずそれを実行に移せ。そして国民がよくやってるなーと思ったら、一挙に10%の増税だって理解するが、今の提案では、消費税アップに理解を示す僕でも、到底受け入れることが出来ない。

大阪都構想批判について

2012年01月06日 | Weblog
大阪都構想批判について 1/6

橋本氏が大阪都構想をぶち上げたときに、中味が判らないから反対とか
批判側にまわった論客がいた。

都構想については細部まで詰め切れる時間的余裕も無かったし、アウトラインさえできあがっていれば、その細部を詰めることは、大枠を作ってからのちに、詰めていけばいいと僕は考えるので、何をいちゃもんを付けているんだという感じがした。

大枠さえ決めれば、今回の大阪都構想は府と市を統合して無駄を省くだけでも前進だ。と考えないのか。?それとも2重行政を続けて無駄使いをしろと言いたいのか。

中味が判らないから反対とかコメントできないというのは、知識や知恵の貧困に起因する。それはお粗末なことだ。彼らは物事を前進させる気が無いから、現状維持を叫び反対するのだ。

マスコミの薄っぺらなコメントには吐き気を催す。批評するなら物事を理解して、足りない部分は想像を働かせて意見をのべたり、コメントしたりするべきでは無いのか。都構想をとやかく言う前に、東京都という前例があるでは無いか。なぜそれを勉強しないのだ。?これ以外に現状維持で大阪を再開発できると思うのか。そう思うのなら、対案を出して再開発、あるいは再生の議論をやるべきでは無いのか。提案すべきじゃないのか。
大阪府の教育委員は、対案を求められて、対案を出せば都構想を認めたことになるから、と主張してついに対案は出さずじまいだった。あきれるほどおつむが悪いし幼稚だ。こんな連中が教育委員のせきにすわっていること自体が間違っている。

それとよく似た論法だ。
論客と言われる人の中に、庶民感覚(これこそが現実である) を少しも鑑みること無く、ただグウにも付かない理屈をこねるが、知識はあっても知恵の無いバカ学者がいる。もう少し自分の立ち位置を考えて謙虚に成り、発言したらどうだ。そこまで知恵が回らないというなら、不明を羞じてマスコミに登場しないことだ。

懲りない面々

2012年01月05日 | Weblog
懲りない面々 順位: 8,805位 / 1,669,630ブログ中

電力会社はこぞって原発再開を叫んでいる。
僕は不思議に思うのだが、これほどの災害をもたらした事故を何と軽々しく考えているのか。あきれる。
今電力会社がすべき事は、原子力のような取り返しの付かない危険なものを、どうして安全なものに置き換えていくか、前向き(それは企業存続の最低条件)に考えて原発依存から脱却するか。重視すべきはその一点ではないのか。

経団連の主張も原発依存の考えだが、一体国家を失って経済界が存立するのか。今経済界が求めることは、多少の犠牲を払っても、次世代エネルギーの早急な開発ではないのか。
現段階では人間のコントロールの効かない原子力に頼るという発想が国家を駄目にする事ぐらい分かりそうなものである。

国が発送電を電力会社から分離して この部分を公的管理にするというのは、現実的で不足電力を少しでも減らす努力の一環として評価したい。こういう言う発想が経済界から出てこなくては、日本経済のトップリーダーとしての資格はない。ただ目先の事ばかりに振り回されている、そこらそんじょの、おっさんと変わりない。それがリーダーといえるのか。

今回の事故で現場で指揮を執った東電福島事業所の所長は死を覚悟したときもあったと告白した。また救助に入った当時の状況を語る宮島さん=福岡市博多区で、
 東日本大震災で、東京電力福島第1原発事故の対応を指揮した陸上自衛隊中央即応集団の宮島俊信・前司令官(58)が、毎日新聞の単独インタビューに応じた時の実話だ。

深刻さを増す原発、見えない放射線の恐怖の中で、「最悪の事態を想定し、避難区域を原発から100~200キロに広げるシミュレーションを重ねた。
状況によっては関東も汚染されるので、日本は終わりかと考えたこともあった」と緊迫した状況を明かした。
原発に関してはこのような危機感が不可欠だ。
僕はこういう認識が日本のトップリーダーの間で共有されることを望む。
何事も国家の安全が最大限に確保されての話で、それがおぼつかない段階で企業活動のために原子力発電を再開を促すなんて、国民の安全をないがしろにした無責任きわまりない話である。

10-69がんばれ

2012年01月04日 | Weblog
がんばれ 1月4日

東北大震災が起こったとき、他に何の力にもなれない僕は、頑張れという言葉を何回も口にして、被災者をはげましていたつもりであった。
おそらく日本人であるならば、励ましとして頑張れを呪文のように口にしたことだろう。

ところがあるとき,テレビを見ていたら、被災者の口から次のような言葉が出た。「人は頑張れ頑張れと応援しくれるが、言われなくても、頑張っているから生きているのだ。これ以上何をどう頑張れというのか」

人々が一様に口に出す「頑張れ」は食傷気味なのだ。応援エールは確かに心の励みになった事だろうが、多すぎるとかえって先述のように開き直りが出てくる。この気持ちは分かる。
自分が最高に頑張っているときに、そとから頑張れが飛んでくると、「もういいよ」という気持ちになる。

紅白を見ていて、これは過剰頑張れだ。と思った。 被災者を勇気つけるための仕掛けが多すぎた。紅白が被災者を応援するというのは判るが、過剰は、反って効果を半減させる。被災者でない国民が圧倒的多数なのだから、福島に焦点を当てすぎるのは、見ていていやな気分がした。僕のように感じた人も多かったのでは無いだろうか。

過ぎたるは及ばざるがごとしである。

年末恒例の紅白歌合戦。

2012年01月03日 | Weblog
年末恒例の紅白歌合戦。について感想を書いてみる。 順位: 8,060位 / 1,668,898ブログ中

1,叙情性を欠く。近頃の歌傾向だ・
2,大人は恐らく楽しめないのではないか。意味不明のことが多くて。
3,メロデーの美しさよりリズムで体に訴える音楽が中心。心に残らない
4,その場限りの歌では何も残らない。
5,前半は退屈。
6,心に何も響かない
7,KARA韓国美人。激しい感情表現は韓国特有。 リズム感抜群。 厳しい訓練が見て取れる。だから東南アジアで売れるのだ。
8歌詞の意味が分からない
9,現代の若者の気持ちを表しているとは思えない。それを振り付けとダンスでごまかしている。それは歌とは言わない。
10、誰をたのしませているのか。ターゲットはどの層か .不明。
11,歌の不足をパフーマンスで補っている

視聴率41%。まあこんな所か。大人は完全に置き去りにされている。つまらない。

金子みすずに、寄せて7-37

2012年01月02日 | Weblog
金子みすずに、寄せて  順位: 8,260位 / 1,668,592ブログ中     

僕が彼女の作品を知ったのは、今から35年前である。当時、僕は、作曲したくなるような詞を探していた。ある時、国語の先生が、その話を聞いてくれて、たまたま先生の父が、みすずの詞にぞっこんほれ込んで著作をしたという話をしてくれた。

ちょっと時代が古いかなぁと思ったが、詞心は、時間空間を超越しているから、彼女の活躍時代、すなわち大正時代は、関係ないと思った。

大正時代の女流歌人といえば、最も有名な人に、与謝野晶子が居るが、みすずの作風とは趣が違う。
大正時代には、童謡の赤い鳥運動があり、彼女の詩は、その分野で光った。

NHKの歴史秘話の金子みすずを見て、彼女の不幸を知った。
神は時として、芸術作品を作る人に、死という過酷な運命を与える。
これでもか、これでもかと圧力をかけて、それを跳ねのけて生き残った者のみが、芸術家として、歴史に名を残す。

彼女も、自殺という手段を取らずに、どんな苦労や苦しみにも他え抜いて、それをバネにして、作詞に励んでくれたら、苦しみの中から、心の叫びとして、すばらしく感動的な詞をずっと搾り出してくれたら、、、、、
どれだけ良い詞がたくさん生まれたことだろうか。

みすずの作品は日本人の魂であり、懸命に生きた女性の心情を描いたものとして、歴史上で、もっともっと輝いたはずだ。

序でに、僕はといえば、与謝野晶子の短歌に、何曲か作曲したが、彼女の詞には作曲するチャンスがなかった。もう一度読み返して作曲できるものは作曲しよう。

謹賀新年 雨中嵐山

2012年01月01日 | Weblog
謹賀新年 雨中嵐山


京都嵯峨野の亀山公園の上がり口にある、周恩来首相の歌碑である。
毛沢東革命前夜の彼の心境が嵐山の風景と共に読まれている。

2012年、平成24年の幕開けだ。空はどんより曇り、雨中嵐山の当時を偲ばせるような天気である。
とりわけ取り立てて言うことは何も無いが、去年は東北大震災で明日の知れない人の運命を実感させられた。
雨中嵐山の心境から毛沢東革命が起こった。今年こそは復興に向けて革命的な事が出来れば良い。とにかく除染に画期的な方法が取り入れられて
革命的に改善されたいものだ。
国家の為にも,自分のためにも。