冬の旅
フイッシャーデイースカウ氏の冬の旅を録画盤で聞いてみた。
彼の歌のうまさもさることながら、音楽芸術に造詣が非常に深いのが特に好きだ。
その歌い方も、か細いところと力強いところでは、二人の人間が歌っているような錯覚を覚える。そう思うくらい自分の声をコントロール出来た人だ。
才能と訓練のたまものだろう。
観客は、一様に、歌に酔ったように、歌っている最中は、物音一つ立ててなかったが、歌が終わると、大きなため息が、一つのざわめきとなった。
完全に大衆歌とは、品格が違う。
このコンサートにしている人たちは、この作品にマッチした心情をを持って会場にいる。つまりそのレベルの人が会場を埋め尽くしているわけ。
学生時代は深夜この曲をきくと涙がでたのに、今日は歌よりはデートリッヒ
その人を味わった。
世の中は人様々だ。こんな事に感激する人間もいれば全く関心が無く漫画を読んでいる人もいる。どちらがどうだと言うつもりは全くないが、それは神が人間を一人ずつ別個に作られたからだ。この地球上で似たような人はいるが同じ人間は一人としていない。
話を元に戻して、彼の表情を見ていると、歌と表情が、融合した一つの芸術である。いつもはレコードでした聞かないが、歌う表情を見て、今まで損をしたような気になった。彼は全身を使って歌っていることを知ったからである。
冬の旅は、もう50年も前にきいたのに、まだところどころフレーズを覚えていた。
冬の旅の曲は、絶品だとは思うが、詞の方はいまいちである。
でも、冬の旅として、曲も詞も残った。今や世界的財産である。
フイッシャーデイースカウ氏の冬の旅を録画盤で聞いてみた。
彼の歌のうまさもさることながら、音楽芸術に造詣が非常に深いのが特に好きだ。
その歌い方も、か細いところと力強いところでは、二人の人間が歌っているような錯覚を覚える。そう思うくらい自分の声をコントロール出来た人だ。
才能と訓練のたまものだろう。
観客は、一様に、歌に酔ったように、歌っている最中は、物音一つ立ててなかったが、歌が終わると、大きなため息が、一つのざわめきとなった。
完全に大衆歌とは、品格が違う。
このコンサートにしている人たちは、この作品にマッチした心情をを持って会場にいる。つまりそのレベルの人が会場を埋め尽くしているわけ。
学生時代は深夜この曲をきくと涙がでたのに、今日は歌よりはデートリッヒ
その人を味わった。
世の中は人様々だ。こんな事に感激する人間もいれば全く関心が無く漫画を読んでいる人もいる。どちらがどうだと言うつもりは全くないが、それは神が人間を一人ずつ別個に作られたからだ。この地球上で似たような人はいるが同じ人間は一人としていない。
話を元に戻して、彼の表情を見ていると、歌と表情が、融合した一つの芸術である。いつもはレコードでした聞かないが、歌う表情を見て、今まで損をしたような気になった。彼は全身を使って歌っていることを知ったからである。
冬の旅は、もう50年も前にきいたのに、まだところどころフレーズを覚えていた。
冬の旅の曲は、絶品だとは思うが、詞の方はいまいちである。
でも、冬の旅として、曲も詞も残った。今や世界的財産である。