日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

冬の旅

2012年06月15日 | Weblog
冬の旅

フイッシャーデイースカウ氏の冬の旅を録画盤で聞いてみた。
彼の歌のうまさもさることながら、音楽芸術に造詣が非常に深いのが特に好きだ。
その歌い方も、か細いところと力強いところでは、二人の人間が歌っているような錯覚を覚える。そう思うくらい自分の声をコントロール出来た人だ。
才能と訓練のたまものだろう。

観客は、一様に、歌に酔ったように、歌っている最中は、物音一つ立ててなかったが、歌が終わると、大きなため息が、一つのざわめきとなった。
完全に大衆歌とは、品格が違う。
このコンサートにしている人たちは、この作品にマッチした心情をを持って会場にいる。つまりそのレベルの人が会場を埋め尽くしているわけ。

学生時代は深夜この曲をきくと涙がでたのに、今日は歌よりはデートリッヒ
その人を味わった。

世の中は人様々だ。こんな事に感激する人間もいれば全く関心が無く漫画を読んでいる人もいる。どちらがどうだと言うつもりは全くないが、それは神が人間を一人ずつ別個に作られたからだ。この地球上で似たような人はいるが同じ人間は一人としていない。

話を元に戻して、彼の表情を見ていると、歌と表情が、融合した一つの芸術である。いつもはレコードでした聞かないが、歌う表情を見て、今まで損をしたような気になった。彼は全身を使って歌っていることを知ったからである。

冬の旅は、もう50年も前にきいたのに、まだところどころフレーズを覚えていた。
冬の旅の曲は、絶品だとは思うが、詞の方はいまいちである。
でも、冬の旅として、曲も詞も残った。今や世界的財産である。

プロヂューサー

2012年06月15日 | Weblog
プロヂューサー

有名なプロヂュサーは言った 。
プロのプロヂューサには2つの条件が必要だ。
1,芸術性が判ること。
2,その芸術を創作するための予算がどのくらいいるか。それが完成した暁きにはいくらの金を稼ぎ出すか 短期的にも長期的にもペイする事が可能か。
抽象的で非常に難しい話ではあるが、ウメキタ再開発に向けて堺屋氏は、利益出し継続することがと強調する。

。大事なのは必ず利益を出すこと。利益が出せない営業できなくなる。
文化は儲からないとの考えもあるがそれは違う。
市民が求める文化は必ずペイする

大阪が新都市になるに利益を出して継続できるものにしなければいけない



杞憂であれば良いが。

2012年06月14日 | Weblog

杞憂であれば良いが。

何とも恐ろしい時代に入ったものである

東日本大地震が済んだら次は東海、南海難解、東南海、の三地震が連動するかも知れないと言うことが、の内から予報が出る。それだけでは無い。このような大地震が起きるとそれに連動して火山が爆発するそうな。

例えば富士山。被害は隣接県はもちろんのこと、降灰は東京で10cmも積もるそうな。おそらく都市機能はマヒすることだろう。インフラも駄目に成り廃墟と化す危険性が0とは言えない。
宝永火山から300年余り、不気味な予言が実際に起こりそうな気がする。溶岩が流れだすかもしれないし。静岡 山梨、神奈川の3県は具体的予防策の検討に入ったとか。

都市機能の充実とインフラ整備が行き届いているから、東京へ東京へ草木もなびいたが、ここえ来て考え直してみる必要がある。
現代の産業の中心はなんと言ってもコンピューターだから是が作動しないとなると完全にマヒしてしまう。産業だけでは無い。役所も研究所も皆駄目になる。精々使えるのはバックアップを地方に移したコンピュターの稼働だけである。大企業はそれが出来るだろうが、中小企業は無理だろう。中小企業がやられると当然大企業も操業できなくなる。そうなれば、今までとは様代わりの大災難時代がやってくる。人々はどうやってこの困難気を乗り越えるのだろうか。
子や孫の時代を心配する。杞憂であれば良いが。

真理は絶対平等

2012年06月13日 | Weblog
真理は絶対平等

でいづれにもかたよらないものであるが。それを受け入れるものが各自の心心によって様々に受けいれる

だから人間社会は複雑で時々トッピも無いことが起こるのだ。しかしなべて人間社会では出来るだけ平等を目指すので民衆主義が一番ふさわしい

自分で死ね

2012年06月12日 | Weblog

自分で死ね

大阪府の松井一郎知事は
「死にたい言うんやったら自分で死ね。自分で人を巻き込まずに自己完結してほしいですね。どうしても行政の支援も受けずにこの世からいなくなりたいなら止めようがない」と語った。

府庁内で記者団の質問に答えた。容疑者は大阪府警の調べに対し、「人を殺してしまえば死刑になると思ってやった」などと供述しているという。 
知事の言うとおり。自分で死ねば良い。理不尽に人の命を奪うなんて天人共に許される事では無い。
宗教人はどのように言うのか知らないが、社会常識では非難は免れまい。
人の命を大切にと、切に願っている僕も、この身勝手には、自分で死ねとしか言いようが無い。
とてつもなく変な連中が現れてトッピも無いことをする。人間としてのわきまえが全くない。何の役にも立たないが是も都市の病理現象の1つか。
社会がたるみきっているから、このレベルの連中が好き勝手をするのだ。

自分の力で生きていく厳しさを子供の頃から頭にたたみ込んでおく教育が必要だ。甘やかすことは本人のためにも社会のためにもならない。

日本航空の再生

2012年06月11日 | Weblog
日本航空の再生

2012年3月期決算   09年3月期決算
売上高  1兆2048億円    1兆9511億円
営業利益 2049億円   508億円赤字
純利益  1866億円     631億円の赤字
いずれも過去最高のもうけになった

、経営改善の原因
1,リストラ 16000人減
2,燃費の悪い大型機売却
3,赤字路線の撤退
4,給料カット 年金も削る
5銀行5200億円の債権放棄

再建したのは京セラ創業者稲森和夫氏である。氏が初めて日航へ乗り込んだとき現在の経営者では、八百屋の店主も務まらないと指摘した。
日本航空は半官半民の会社で親方日の丸経営が続いていたのだろう。
そんな会社を立て直すのに稲森氏が起用されたが、彼の哲学からすると、おおよそ、かけ離れた経営が行われて、それを払拭し、いわゆるまともな経営を独自の哲学を貫いて、こんな早期に再建を果たされたのだろう。大したものだ。無用な抵抗に遭いどれほど苦労されたことだろうか。僕は曽て氏の著者に掲げられた経営哲学をノートに書き写したことがある。無私の哲学に徹し、社会の公器としての企業に責任を持つ経営者として苦労されてきたことがルル述べられていた。そして氏を心底から支えたのは仏教であった。得度もしておられる。仏教の精神に徹しながら、経営される姿には多くの経営者が学んでいる。稲森塾がそれで、序列成り上がりが必ずしも代表経営者かどうかは疑わしい。
なにわともあれ、ナショナル・フラッグが世界各地で見られるのでほっとした。 人間の集団を引っ張るリーダーがそれにふさわしい仏教哲学を持っていてほしい。それが今の日本を引っ張るリーダーに 最も欠けている事ではないか。

戯れ言は慎み給え

2012年06月10日 | Weblog
戯れ言は慎み給え
 
首相官邸による現場への「過剰介入」で命令系統が混乱したとされたことには「官邸が直接関与したのは異例だが、東電も原子力安全・保安院も想定していなかった過酷事故が起き、官邸がそうせざるを得なかったのが現実だ」と説明。「原子炉への注水も東電単独では実行できず、自衛隊などに官邸が出動を要請した。保安院が機能しない中、直接対応せざるを得なかったと今でも考えている」と主張した。
僕は菅さんの言うことが正解だとおもう。
保安院や安全委員会、それに東電の対応を見ていると想像が付くと思う。総理として菅さんのなりふりかまわずこそ、ある種の力になったわけで、保安院や安全委員会がどんなに頼りない存在か。考えて見れば、加えて東電の態度。
だれだって業を煮やすのでは無いか。撤退云々は絶対に東電は口に出してはいけない禁句のハズ。しかしあの東電の体質から察するに少なくともそれに近い言葉のやりとりはあったはずだ。頼りになるものが何も無い泥沼で何をどうしたら良いのか。誰が判るのか。事故調の言い分はあくまで傍観者の戯れ言に過ぎない。嘘だと思うなら自分をその立場において考えて見ろ。どういう答えが出るか。あの条件の中で実際にやってみろ。行動してみろ。そこで初めて僕は耳を傾けてやる。戯れ言は慎み給え

10-12A,B談義 生き抜く

2012年06月10日 | Weblog
A,B談義 生き抜く

A、今日一日生きたという実感を持って、生きるというのが、本当に生きると言う事だ。身繕いができなくなってベッドの上で寝ていて、日がな一日暮らしてみても何になろう。

B、そんアコトわかりきっているが、どうにもならないのが人生と言うものだ。

Aいや。それは違う。自然はどんな動植物だって自力で生きていけないものは死ぬことが決まりだ。

B,自然の法則に従うだけというなら、どこに人間の知恵の働きという者があるのか。知恵の発達と自然の法則は必ずしも一致しないよ。

A、とにかく高齢になって病を得て、自力で生きていけない人間を、延命工作をして命を延ばしたところで、何の大義名分が立つか?知恵によって長生きできる環境を作ることは賛成だか、人命を自力で生きていけないところまで伸ばしても、本人のためにならない。
これから少子高齢化というのに、少子世代の負担を重くしてまで、高齢者の命を医療技術でもって延ばすのは反対だ。

B,そうはいっても人間の情として、近親者は例えどんな状態でも、1日も長生きしてほしいと言う気持ちはあるよ。

A,それは当然だ。情において忍びないことは、いやほど判るが、人間は人間社会でしか生きられないのだ。つまり自力航行ができないときは他人の助けを借りないとならないのだ。その時点で人生は終わっているのだ。その自覚が本人にも、家族にも、社会的にも共有されなければ、この問題は解決しない。

B,そうだな。判っているよ。だからこそ生きている今に命の炎を
燃やしていることが大切だ。

A,言葉ではそれはよく分かるが、具体的には?

B,好きなことをやるにかぎる。金儲けの好きは人はそれに徹し、スポーツの好きな人はそれに徹し、ばくちが好きな人は太く短い人生を楽しみ、芸術の好きな人は是に没頭する。
とにかく自分を喜ばすことに専念して、前向きに生きることだ。マイナス感情を使って人生を愚痴っても、命を縮めるだけで、今をエンジョイすることにはならない。だから説教めいたことを考えたり、言ったりしているのさ。

A,やっぱりお前は道学者だな-。他人事だろう?ほっておけば良いことだ。

自民党よ。忘れるな

2012年06月09日 | Weblog
自民党よ。忘れるな
1,
福島に大きな災害をもたらした、原子力事故は当時の自民党が導入して、財界や御用学者や電力会社と協力して、安全神話を作り国民を欺いて電力供給をしたのだった。民主党になって大震災を直接原因として原子力大事故が起こった。
事故対応や後始末は民主党の責任だが、種をまいたのは自民党である。

2,今問題になっている少子高齢化や年金問題、財政崩壊も戦後五〇年間政権を担ってきた自民党が政権与党である時代にすでに、判っていたことである。 それに対してどのような手を打ってきたのか。政官財の癒着構造の上に乗っかって利害調整をして政治運営をした似すぎない。

しかも東西冷戦構造のおかげで三〇年間にわたり、経済成長を続けて世界第二位の経済大国とまで言われながら、現実には年収200万円以下の人が1000万人いるという社会構造が生まれている。一体どういう政策をやって来たのだ?社会保障は北欧諸国が十分モデルになったはずである。狭い国土をコンクリートで固めまくり、インフラ整備も良いけれど、是には莫大なメンテ費用が掛かる。それを少子社会につけ回しするのか。どんな理屈を付けたところで、結果は野となれ山となれ式で子々孫々の安寧を願っての政策とは思えない。これらの諸問題に対して責任は取れるのか
政局がらみの自民党発言には自らの責任を棚上げして 真に国民のためになる施策や方針が示されているとも思えない。支持率を見ても一向に上向きにならないのは、国民がこういう事実に気づいているからである。

趙僕初先生顕彰碑7-10

2012年06月08日 | Weblog
趙僕初先生顕彰碑

2000年 5月21日に93歳で病没した趙僕初・中国仏教協会会長は、中日友好協会副会長も 兼任するほど、日中関係に深くかかわっていた人物である.

1980年鑑真和上の里帰りに随行された東大寺の清水公照師が、趙僕初先生の歓迎式典に、話されたことを受けて、
「菜の花や 盲目の聖 里帰り 」
と、詠まれたのを師の著書の中で見つけた。

当時僕は、清水先生の日記がわりに詠まれた短歌にほれ込んでいて、何十曲も作曲した。そのなかの1曲が、先ほどの「菜の花や、、、、」の歌である。
趙僕初先生が来日されたとき、そのテープを差し上げたら 、「謝、謝 」と言われたのを今でも覚えている。
趙僕初先生はぼくのように、小柄な人だが、強い意思と、温和な心の持ち主だと、その人物の素晴らしさは、会ってみて、すぐわかった。

加えて先生は、書の達人である。
高野山にも 唐招提寺にも先生の筆先が残っている。おそらく日本にはあちらこちらに先生の墨跡があることだろう。
鑑真大和上の御廟には、趙僕初顕彰碑も建っている。先生は、2000年に、93歳で、病没されたが、あとは誰が中国仏教会の会長なのであろうか。

お互いに通りすがりに等しい対面だったが、先生に会えたご縁は、僕の人生にとっては喜びの1コマである。

デタラメの付け回しは福島県民に

2012年06月07日 | Weblog
デタラメの付け回しは福島県民に

福島原発の運営については如何にデタラメなことが横行していたか次々と明らかになった。そしてそれらの積み重ねのために立地県の福島県民はまともな人間らしい生活さえも奪われたのだ。
直接には大地震と言えようが、この塗炭の苦しみの原因の中には人為的なご都合主義が、そして無責任体制が原子力発電を取り巻いていた。
人間として考えられる最高の努力をしてと言うなら我慢の度合いも減少しようが、事故の原因を究明していくと、よくその程度の判断で危険な物を動かしたと素人目の僕でも、あきれるくらいお粗末だ。

今から被災者の生活がどうなるものやら見通しも立たない中で、今後も生き続けなければならない人間の苦しみが一体判っているのだろうか?。それを金銭的に算出することができるのか。核燃料の最終処理さえ決まっていないのに、どうして原子力発電の発電単価がはじき出せるのか。原子力発電のコスト・単価が火力発電単価等と比べて安いと言えるのか。
今発電の燃料価格比較が表にされているが、是は嘘ばかりで少しも信用できない。全くインチキである。だって終末処理費さえ未確定なのにどうして正確な単価がはじき出せるのか。

原子力はコストが安く付くなんてデタラメもいいところだ。原子力発電があったから福島県民はこんな悲惨な目に遭わされたのだ。実質損害だけで無く将来に対して失った損害など正確に数値化できるのか 。是は科学の領域だけでなく哲学の領域にも関係することだ。

確実に明らかにされた東電の体質や安全委員会、保安院の体質本当に信頼できると思うか?事故の立場さえ良ければ、それで良しとする所には総合的な責任感が生まれると思うか?あり得ない事である。
日本の識者と言われる人達よ。もっと声だかに良心的発言をしてほしい。

入れ墨7-16

2012年06月06日 | Weblog
入れ墨

城崎温泉での出来事である。外湯であるためにおそらく近在の人だろうと思うが、背中全面に入れ墨をした老人に出逢った。

湯舟につかろうとしたとき、一人の老人が入ってきた。入り口の扉は開いたままである。
「扉ぐらい閉めればよいのに。湿気が脱衣場に行くじゃないか。」
 僕はこの老人の非常識に腹が立ったが、口には出さないで、言葉をのみ込んだ。
 タオルを肩から掛けてはいたが、ものの見事な入れ墨である。守護神なんだろうか、観音様か弁天様の女神像である。背中に肩から太もも近くまで、びっしり墨が入っている。青や赤ははっきり識別できるが、もうだいぶ昔に彫ったものと見えて、色にはもやがかかっていたし、第一皮膚が精気を失ってたるみが生じているので、アウトラインを見るのが精いっぱいだった。こんな大きな入れ墨を入れる時は、
どんなにか痛かったろうに。そして金もかかつたろうに。僕は余計なことながら気になった。

老人は入れ墨を入れた当時の威勢や、元気はなく、完全に老人の域に達していた。若気の至りか、人を脅す商売道具だったのかはしらないが、この人の人生や生き方が想像できた。もし我々のような普通の生活を望んでいる人だったら、たぶん今ごろは後悔しているはずだ。
 彼にも子や孫がいるだろう。彼はこの彫り物を何と説明するのだろうか。

 日本社会では全身に入れ墨というのは良いようには思われない。通常の庶民生活からドロップアウトした、アウトローのメンバーと判断される。それが果して、子孫にどんな影響を及ぼしているのか。反面教師として役立つことはあっても、それも子孫に対する大きな教育力にはなるまい。
 ということは若気の至りであろうと、何であろうと、結局は自分の人生に負の十字架を背負ったということになる。

彼は僕を無視したように、黙ってボデーソープとシャンプーを慣れた手つきで使って、体や頭を洗い、湯舟に適当に体をつけて温めて、それからかかリ湯を浴びて、出て行った。
うしろ影が寂しそうに見えたのは、僕の感情が投影されていたからだろうか。それとも真実、彼はうしろ影通りの姿だったんだろうか。

大阪市役所職員の中に入れ墨をしている人が、働いているらしい。
入れ墨をした人を一般市民がまっとうな公務員と見るだろうか。

アウトロー。 それも人を威圧的に脅すような感じを与えるのに利用されてきたのが入れ墨の歴史で、決して芸術作品だとは思えない。
 墨を入れるのは悪趣味で無言の内に、威圧感を与えるのが目的と言えるだろう。そういう人が市の職員の中にいたというのでは、彼に接する市民に良い感情が与えるはずが無い。
市長の言うように公務員を辞めてそれが許される職場へ遷ったらどうだ。是は人権の問題では無い。常識の問題である。税金で入れ墨をする様なマインドを持った人を雇っておくこと自体が非常識だ。

法務大臣と死刑執行

2012年06月05日 | Weblog
法務大臣と死刑執行

まず問いたい。生命の重さをどう感じているのか。考えているのか。
身勝手な自己本位の欲望を満たすために、他人の生命を奪ったものは、自分の命であがなうしか無い。つまり罪の重さによって自分の命を絶つことだ。

人間は過ちの動物だと言われることがあるが、過ちとして許せることと、許せないことがある。その分別は社会防衛にとって不可欠なことだ。

どんな凶悪犯でも命の保証があるというのでは、極悪人にとって容易に規範破りができるようになる。世の中には、数こそ少ないが、自己の欲望のために他人を平気で殺す人間がいるのが現実だ。
そういう手合いから社会を護るには、町中に出没する猛獣を殺処分するのと同じく、人間の皮を被った猛獣共を殺処分する必要がある。死刑とはそういう意味合いのことである。

法務大臣とは刑訴法に則り、確定判決後6月以内に命令し、5日以内に執行しなくてはならない立場の役職を持つ人のことを言う。
曽てカミソリの異名をとった自民党の後藤田氏は、「刑が確定している以上法務の仕事に携わるものとして、尊重しなくては、法秩序そのものがおかしくなる」 と言った。当然のことである。

またある法務大臣経験者は「死刑廃止論者は法務大臣を引き受けるべきでは無い。その職務執行に当たっては個人的感情を挟む余地はない。」とも述べた

法務大臣が執行書にサインしないと言うことは義務違反である。
新法務大臣は職務に忠実であれ。私情は控えるべし 。

野田・小沢会談は決裂

2012年06月04日 | Weblog
野田・小沢会談は決裂

消費税率アップについて、野田・小沢会談は決裂した。民主党が国民に約束した行財政改革の中で野田氏は消費税について政治生命を懸けると張り切るが、本来ならまず小沢氏が言うように国会改革、行財政改革など自ら痛みを感じることを実行してその上で、国民に消費税アップをお願いするのが筋である。

今の状態では順序が逆である。是に似たことは原発の再稼働についても言える。規制庁を発足させ、福島事故から学んだ安全対策をベースに、専門家かの安全判断をできるだけ実行して、それをした上で再稼働すると言うのなら説得力があるが、政治家が安全を判断したような格好で再稼働と言うとやはり説得力はない。
人を説得しようと思えば説得するだけの実績を持って提案しないと、誰しも不安を感じ、自分らの都合のよいことばかりを先にしようとする姿が透けて見えるから反発を感じる。是じゃ本来は賛成でも、反対に回りたくなる。そこの筋論を小沢氏は突く。しかし彼がそれを言うのなら民主党結成以来主導権をとって行えば良かったのだ。それもせずに筋論で国民を引きつけようとするが、小沢氏のこの発想は今までの流れから、反発しかのこらない。
野田氏は小沢氏とは決別して野党との協力に梶を切り替えた。

最大野党の自民党も頼りないことおびただしい。反対のための、あるいは党利党略のための発言が目立つ。いつまでこんな状態が続くのか。話は全て行き詰まって、政界再編に進んでほしいものだ。そうなれば政治が良くなるかどうか判らないけど、今よりはましだと期待するほかなはない。

夕方の買い物風景 

2012年06月03日 | Weblog
夕方の買い物風景  12/06/03

昨日、夕方7時ごろ、買い物に、スーパーマーケットへ行った。目立つのは、男性の高齢者である。男ひとりでかごに、商品を入れる姿を見ると、侘びしい。、世の中変わったものだ。おそらく、白髪頭の男性が、夕方の食事の準備をしているのであろう。

単身者か。それとも、奥さんを介護中なのか。
その姿は、日本の未来を暗示しているようである。こんな情景を目にして、気持ちが明るくなるはずがない。そそくさと買い物は終わり自宅へ舞い戻った。

女房の後にくっついて、滅多に行かない、買い物に出かけると、現代の世相を見る思いがして。元気の無い日本の現状の縮図を連想して、気分は沈んだ。

これで、消費税などの負担が増加すれば人々の生活にはこたえることだろう。痛いことだ。人々の暮らしはどうなるのだろうか?と、他人ごとのように、自分の将来についても考えた。