日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

芸人に向く人と向かない人がある

2012年06月02日 | Weblog
芸人に向く人と向かない人がある。

見るからに表情豊かで、にこやかにステージに立つだけでサマになる人がいるかと思えば、むっつリした顔をして、無愛想を身体全体で振りまいている人もいる。
テクニックがいかにうまくとも芸人は、体全体で、芸人の素養つまり、人を惹きつける表情や魅力がなくてはならない。

コンサートの案内があったので、今日京都まで足を運んだ。名の通ったコンサートでも無いのに、大勢の観客がいた。

帰りは運悪く、満員バス満員でしたでたちづくめで、大阪まで、帰ったが、この演奏会で学ぶことがあったので、それでよしとしよう。

コンサートだから、そこそこの大学で、声楽を勉強した人。ピアノを勉強した人が舞台に立った。でも、芸人の素養のない人は、正確には演奏するが、感情が何も伝わってこない、それはその人の持つ心の問題だろう。

とりわけ感情豊かにを、要求したわけでもないのに、実質的には、感情のやりとりであるにもかかわらず、何も伝わってこない人と、体全体から、演奏が伝わってくる人がある。

芸術家と言えども、芸人の要素をたくさん持っている方が、聞く方ににアピールする。

とすればベートーベンはどうか?決して芸人風でなく、むしろ哲学者という印象を与える。おそらく彼は作品で彼の人格を乗り越えていたのではあるまいか。しかしそれは彼のような人は1世紀に1人の話である。テレビラジオなどの媒体が発達した現代ではやはり芸人風?が受けると思った。
例え名も無いコンサートであっても観客を喜ばすためには、芸人魂が必要じゃ無いだろうか。それでこそ人が集まる。

人の立ち位置

2012年06月01日 | Weblog
人の立ち位置

世間では会社の社長は偉いということになっている。それは会社の中においてだけの話しであって、世の中全般で認められるとはかぎらない。
経団連はの経営者団体だけで作る団体であり、それは社会的な責任ということでいうと社会的責任があるから経団連は偉いというふうに、われわれは評価しているか、彼らが自分の立ち位置をどう評価しているのであろうか。
人の立ち位置なんて簡単にわかるものではない。ものすごく難しいことである

絶対的立ち位置ではなくて何かと何かを比較してどうだということで立ち位置を決めている。
もともと人間なんて、それが正しいということなどできないのではないだろうか。それにしても人間社会にはそれぞれ常識というものがあって、それを基準に立ち位置もはかれるような仕組みになっている。しかしそのもの差しは絶対的な物では無い。
経団連の中に自分の立ち位置が判っていない人がいるのは、滑稽だ。

原発の行方

2012年06月01日 | Weblog
原発の行方

今後の原発の方向は五つの考え方があったが、一つは消えて四つになった。
将来の方向性は原発をいつかはなくすという方向では意見は一致しているようだ。そのために送配電の分離も議論され始めた。
僕が何より恐れたのは滋賀県知事が指摘したように琵琶湖が放射能で汚染された時のことだ。一端汚染されてしまうと関西圏1500万人の生活は立ちゆかなくなる。是は現実だ。
そうなれば、日本国家が立ちゆかなくなる。つまり子々孫々まで関西には住めなくなる。この事の重大性は電力不足による損害とは比べものにならない。そこで考える。関電はどうして再稼働ばかりに執心するのだろうか。将来を見越して地産地消のあり方や、原子力以外の発電方法に目を向けて先陣的な開発に企業存続の方向性を見つけようと努力しないのであろうか。再稼働を含めて原子力発電に頼る限り座して死を待つしか無いとおもわれるが。
今がその踏ん張り時だと思うが。