中央塔から3
ベトナムは完全に中国文化圏であるということを、ベトナムにへ行って確認した。ところがアンコールワットは、ヒンズー教と佛教が混在している。これは2つともインドから、伝わってきたものだ。明らかに、カンボジアには、インド文明の風が吹いている。ベトナムとは大して距離も離れていないのに、大きく違う。
深くつき合ったわけではない。が、カンボジア人を見ていると、穏やかで親切な人が多い。それにつけても、こんなに良い人たちを2百万人近くも殺害するとは、何を考えていたのか。やったことは鬼畜以上のことだ。そこには狂気はあっても、人間としての正義感とか人類愛とか、国民の安寧に寄与する考えは微塵も感じられない。
あの程度のレベルの男に社会改造や国家改造なんてとんでもない話だ。この大犯罪人ポルポトをサポートした世界の良識も疑う。
これは八つ当たりではない。大国や国連のエゴや非力さ加減を問うているのである。
腹立たしいということを通り越して、人間の愚かしさ、バカさ加減にあ然とする。と同時に悪魔的な人間に支配された時の恐ろしさを、まざまざと見せつけられたし、また人間が持つ残虐性を知って文字通り言葉を喪う。
人間の肉体を持った悪魔に違いない。ぼくはそう断じた。ポルポトの奴、あんな楽な死に方をして。一体これでも神は公平というのか。思わず神に八つ当たりの矛先を向けてしまった。
アンコール・ワットが作られてから、どれほど多くの人がここを訪れただろうか。
長年にわたる参詣者の延べ人数など、正確に測るよしもないが、第一回廊の敷居をまたぐ所の石がすり減っているのを見ると、そこから想像して、読み取れる人数の多さに圧倒される。世界各地から、ここを訪れる人たちの足跡によって、或いは幾世紀にも渡って地元の人達が踏みしめた事によって、石段の角がすり減ってなくなっている。さらに石によっては黒光りしているものもある。人々の足跡がこの敷石の角を削り丸くして、角をとったのである。アンコール・ワットは石がすり減るほど、人々をここに引きつけて、呼びこんだ。国内は勿論のこと、外国からも大勢の人を呼びつけたのだ。
その中の1人が僕だ。僕が来たのではない。アンコール・ワットが呼んでくれたのだ。僕がここに今いるという事は勿論自分の意志も働いているが、それ以上にアンコール・ワットの魅力と意志で、僕はここへ呼び寄せられたのだと思う。
アンコール・ワットは、何かを考え、何かを感じるところである。 見学するところではない。何がヒラメクのか。何が聞こえるのか。何が見えるのか。何か思い浮かぶのか。アンコールワットの境内にいてぼくは、心にひらめくものをうまく掴みだそうとして神経を集中した。
アンコールの叫びを、アンコールの主張をキャッチしたい。それはいったい何なのか。宗教を内包する芸術であると同時に、それは純粋に宗教でもある。寺院建築とは宗教と直接関係があるものだ。
宗教というものは人間の命に直接かかわり合いを持つ。生か死か。それが声なき声として、語られているのである。禅問答みたいに、ワットが出した公案に、僕がどういう答えを出すかだ。
アンコール・ワットを作った人たち、作ろうと計画した人たち。
作業に従事した人達よ。あなたたちの思いの一端を語ってほしい。
カンボジャにある寺院遺跡の階段は、なべて急峻なものが多い。
アンコール・ワットの階段もその例外ではない。そこでここを訪れる観光客のために、傾斜の緩い階段が別に取り付けられている。
僕はその観光客用でない急な階段を上った。
どんな場合でも、どんなものでもそうなのだが、僕は物事の原点や原初を理解したいので、後になって手を加えたものを、出来る限り省き、避けて、そしてまず生のままの原点にふれるように心がけている。そして、全体像を把握することにしている。今回もアンコール・ワットの全体像をつかむために最上階まで、昇ったわけだ。鳥瞰図と同時に、そこから聞こえる諸人の声、祈り、希望、喜びや苦しみや、これを作る苦労などの叫び声を聞こうと思ったのである。
しばらく沈黙の時が流れた。ワットは直接には何も語ってくれなかった。だがしかし、これで終わりと言うことではないだろう。
おそらく終生、心の内にあるアンコール・ワットは、ある日突然に、なにかを語りかけてくれるだろう。いや無言のうちに、なにかを示唆してくれるかもしれない。すくなくとも僕の心にアンコール・ワットが輝いている間は。
中央塔の最上階に、吹く風は爽快感を私に与えながら、右腕を通って、左腕にぬけていく。裸になって身に心に、この風を受けとめて日本に持って帰ることにした。また僕はできるだけアンコール・ワットの古びた石の上に座るようにした。
いや寝そべることにした。
地中から響いてくる声、悠久のかなたから聞こえてくる声を心で受け止めたかったのである。
空から、やわらかい雨が降ってきた。きっと、甘露の法雨なのだろう。アンコール・ワットにあるものは、何もかにもが優しい。僕はここにじっとたたずみながらアンコール・ワットを満喫した。
誰がそうするのか、なにがそうするのかが、わからないが、胸に迫りくるものがあって時々、言葉をなくしてしまう。何を学べ、何を悟れというのか。僕は頂上階に仰向けに寝ころびながら、こんな事を思い続けた。
つづく
ベトナムは完全に中国文化圏であるということを、ベトナムにへ行って確認した。ところがアンコールワットは、ヒンズー教と佛教が混在している。これは2つともインドから、伝わってきたものだ。明らかに、カンボジアには、インド文明の風が吹いている。ベトナムとは大して距離も離れていないのに、大きく違う。
深くつき合ったわけではない。が、カンボジア人を見ていると、穏やかで親切な人が多い。それにつけても、こんなに良い人たちを2百万人近くも殺害するとは、何を考えていたのか。やったことは鬼畜以上のことだ。そこには狂気はあっても、人間としての正義感とか人類愛とか、国民の安寧に寄与する考えは微塵も感じられない。
あの程度のレベルの男に社会改造や国家改造なんてとんでもない話だ。この大犯罪人ポルポトをサポートした世界の良識も疑う。
これは八つ当たりではない。大国や国連のエゴや非力さ加減を問うているのである。
腹立たしいということを通り越して、人間の愚かしさ、バカさ加減にあ然とする。と同時に悪魔的な人間に支配された時の恐ろしさを、まざまざと見せつけられたし、また人間が持つ残虐性を知って文字通り言葉を喪う。
人間の肉体を持った悪魔に違いない。ぼくはそう断じた。ポルポトの奴、あんな楽な死に方をして。一体これでも神は公平というのか。思わず神に八つ当たりの矛先を向けてしまった。
アンコール・ワットが作られてから、どれほど多くの人がここを訪れただろうか。
長年にわたる参詣者の延べ人数など、正確に測るよしもないが、第一回廊の敷居をまたぐ所の石がすり減っているのを見ると、そこから想像して、読み取れる人数の多さに圧倒される。世界各地から、ここを訪れる人たちの足跡によって、或いは幾世紀にも渡って地元の人達が踏みしめた事によって、石段の角がすり減ってなくなっている。さらに石によっては黒光りしているものもある。人々の足跡がこの敷石の角を削り丸くして、角をとったのである。アンコール・ワットは石がすり減るほど、人々をここに引きつけて、呼びこんだ。国内は勿論のこと、外国からも大勢の人を呼びつけたのだ。
その中の1人が僕だ。僕が来たのではない。アンコール・ワットが呼んでくれたのだ。僕がここに今いるという事は勿論自分の意志も働いているが、それ以上にアンコール・ワットの魅力と意志で、僕はここへ呼び寄せられたのだと思う。
アンコール・ワットは、何かを考え、何かを感じるところである。 見学するところではない。何がヒラメクのか。何が聞こえるのか。何が見えるのか。何か思い浮かぶのか。アンコールワットの境内にいてぼくは、心にひらめくものをうまく掴みだそうとして神経を集中した。
アンコールの叫びを、アンコールの主張をキャッチしたい。それはいったい何なのか。宗教を内包する芸術であると同時に、それは純粋に宗教でもある。寺院建築とは宗教と直接関係があるものだ。
宗教というものは人間の命に直接かかわり合いを持つ。生か死か。それが声なき声として、語られているのである。禅問答みたいに、ワットが出した公案に、僕がどういう答えを出すかだ。
アンコール・ワットを作った人たち、作ろうと計画した人たち。
作業に従事した人達よ。あなたたちの思いの一端を語ってほしい。
カンボジャにある寺院遺跡の階段は、なべて急峻なものが多い。
アンコール・ワットの階段もその例外ではない。そこでここを訪れる観光客のために、傾斜の緩い階段が別に取り付けられている。
僕はその観光客用でない急な階段を上った。
どんな場合でも、どんなものでもそうなのだが、僕は物事の原点や原初を理解したいので、後になって手を加えたものを、出来る限り省き、避けて、そしてまず生のままの原点にふれるように心がけている。そして、全体像を把握することにしている。今回もアンコール・ワットの全体像をつかむために最上階まで、昇ったわけだ。鳥瞰図と同時に、そこから聞こえる諸人の声、祈り、希望、喜びや苦しみや、これを作る苦労などの叫び声を聞こうと思ったのである。
しばらく沈黙の時が流れた。ワットは直接には何も語ってくれなかった。だがしかし、これで終わりと言うことではないだろう。
おそらく終生、心の内にあるアンコール・ワットは、ある日突然に、なにかを語りかけてくれるだろう。いや無言のうちに、なにかを示唆してくれるかもしれない。すくなくとも僕の心にアンコール・ワットが輝いている間は。
中央塔の最上階に、吹く風は爽快感を私に与えながら、右腕を通って、左腕にぬけていく。裸になって身に心に、この風を受けとめて日本に持って帰ることにした。また僕はできるだけアンコール・ワットの古びた石の上に座るようにした。
いや寝そべることにした。
地中から響いてくる声、悠久のかなたから聞こえてくる声を心で受け止めたかったのである。
空から、やわらかい雨が降ってきた。きっと、甘露の法雨なのだろう。アンコール・ワットにあるものは、何もかにもが優しい。僕はここにじっとたたずみながらアンコール・ワットを満喫した。
誰がそうするのか、なにがそうするのかが、わからないが、胸に迫りくるものがあって時々、言葉をなくしてしまう。何を学べ、何を悟れというのか。僕は頂上階に仰向けに寝ころびながら、こんな事を思い続けた。
つづく