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【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 第74段 蟻のごとくに 真の生き方を知る

2024-08-15 00:01:00 | 【心 de 経営】 徒然草に学ぶ
■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 第74段 蟻のごとくに 真の生き方を知る     
  「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。
 徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。
  高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。
 徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。
 お届けも、徒然なるままにアップロードしますので、読者の皆様も、日暮パソコンに向かいて、末永く、徒然にご覧下さるよう、お願いします。
◆第74段 蟻のごとくに 真の生き方を知る
 イソップ物語に「アリとキリギリス」というお話があります。キリギリスは、今を大切に生きていましたが、冬の到来で悲しい運命に遭遇します。
 人の一生というのは、短いものです。はかなくもあります。万物は流転するともいわれています。
 意味合いは異なりますが、人間を蟻に例えるところなど、その様なことを思わせる徒然草のひとつです。
【原文】
 蟻のごとくに集りて、東西に急ぎ、南北に走(わし)る。
 高きあり、賎しきあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり帰る家あり。夕に寝(い)ねて、朝に起く。
 営む所何事ぞや。生をむさぼり利を求めてやむ時なし。
 身を養ひて何事をか待つ、期(ご)するところ、ただ老(おい)と死とにあり。
 その来る事速かにして、念々の間に留まらず。これを待つ間、何の楽しみかあらむ。
 惑へるものはこれを恐れず。
 名利に溺れて、先途の近きことを顧みねばなり。愚かなる人は、またこれをかなしぶ。
 常住ならんことを思ひて、変化の理を知らねばなり。

【用語】
 蟻のごとくに集まりて: 世の中の人々が都に多数集まっている様子をありに例えている
 営む: せっせと働く
 生: 生きること、長寿
 期する: 期待する、あてにする
 念々: 極めて短い間、時々刻々、一瞬一瞬
 先途: 行き先、到着点、人生の終点=死
 常住; いつまでも変わらず、常にそのままでいること、不死
 変化の理: 万物は変化し、一定の状態にとどまらないという道理、無常
【要旨】
 都に人々が集まって、蟻のようにあくせくと東奔西走しています。
 その中には、地位の高い人もいますし、低い人もいます。老若男女も混じっています。仕事に行く職場があったり、帰る家があったりします。そして帰宅すれば、夜になって寝て、朝起きます。
 その繰り返しが、日常となっています。
 このようにあくせくと働くということは、一体どの様なことなのでしょうか、何が目的なのでしょうか。
 兼好は、人々の活動の目的を懐疑的に見ていて次のように続けています。
 要するに人々は、自分が生きていくことに執着し、利益を追い求めて、それを続けていて、とどめることが無いのです。
 このように、利己と保身を追求し続けることに明け暮れて、何も期待できないにもかかわらず、そこに何を期待しようとしているのでしょうか。ゆくゆくは、ただ老いと死の二つ以外、何もないにもかかわらないのです。
 これらは、風のごとく速く、一瞬もとまることない速さでやってくるのです。それを待つ間、人生に何の楽しみがあるのでしょうか、何もありはしないのです。
 生きることの意味を知ろうとしない惑える人は、老いも死も恐ろしいことをわからないでいるのです。
 名声や利益に心奪われてしまっていますので、自分の人生の終着点が間近に迫っていることを、知ろうとする意識がありませんから、このような状態を続けられているのです。逆に生きる意味がわからない人達というのは、老いと死が迫り来ることを、ただ心配し、恐れるだけなのです。
 生きる意味がわからない人というのは、この世が永久不変であると思い込んでいて、万物が流転変化するという無常の原理をわきまえていませんから、その様に恐怖心だけで生きているのです。
【 コメント 】
 私達は、生きていくために仕事に就き、いただいたお金で生計を立てています。
 兼好から見ますと身分の上下や性別・年齢などを問わず、世の中の人々というのは、生きることに執着して、名声や利益を得るためにあくせくと働いていますと、私達の生き方を否定的に見ているのです。
 一所懸命に何かをやっていますと、全体の中での位置づけが不明確になってしまい、知らぬが仏で、死が忍び寄ってきていることすら気がつかないでいると兼好は警告してくれています。
 これは、部分最適に満足して、全体最適をおろそかにしているという、現代の経営や管理のあり方への警鐘ともとれます。
 一方で、生きるという真の意味がわからない人というのは、生きていることによる恐怖心に苛(さいな)まれていると兼好はいっています。
 現実をキチンと把握できていませんと、何か恐れを成してしまうことがあります。
 たとえば、ICTの世界では、クラウド利用はあたりまえになっています。しかし、そのセキュリティが心配で、クラウド利用の便利さを知らないでいる人がいます。
 一方で、SNSの恐ろしさを理解できていない人というのは、安易にSNSに個人情報を公開したりしています。多くの場合、それが問題として表面化してきませんので、SNSは「安心である」と過信してしまっているのです。
 兼好が言っていることと、逆の現象が起こっていることもあるように思えますが、基本的なことは知り、理解し、危機管理意識を持ちながら生活をしていくのが、現代の生き方の基本的な考え方の一つと言えます。
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