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【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 第82段 羅の表紙は 不完全が適切

2024-08-29 12:21:00 | 【心 de 経営】 徒然草に学ぶ
■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 82段 羅の表紙は 不完全が適切   
  「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。
 徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。
  高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。
 徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。
 お届けも、徒然なるままにアップロードしますので、読者の皆様も、日暮パソコンに向かいて、末永く、徒然にご覧下さるよう、お願いします。
◆第82段 羅の表紙は 不完全が適切
 完璧を求める姿勢は素晴らしいです。しかし、「完璧」は、本当に完全なものなのでしょうか。
 兼好は、「不完全だから良い」のだと言っています。
【原文】
 「羅(うすもの)の表紙は、疾(と)く損ずるが侘しき」と人のいひしに、頓阿が、「羅は上下はづれ、螺鈿(らでん)の軸は、貝落ちて後こそいみじけれ」と申し侍りしこそ、心勝りて覚えしか。
 一部とある草紙などの、同じやうにもあらぬを、醜しといへど、弘融僧都が、「物を必ず一具に整へんとするは、拙(つたな)き者のする事なり。不具なるこそよけれ」と言ひしも、いみじく覚えしなり。
 すべて、何も皆、事の整(ととの)ほりたるはあしき事なり。
 し残したるを、さて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶる事(わざ)なり。
 内裏造らるるにも、必ず、造り果てぬ所を殘す事なり」と、ある人申し侍りしなり。
 先賢の作れる内外(ないげ)の文にも、章段の欠けたる事のみこそ侍れ。
【用語】
 うすもの: 羅・紗などの絹織物、書物の表紙に使います。
 頓阿(とんあ、とんな); 南北朝時代、時宗の僧であり歌人で、兼好の友人でもあります。二条為世門下で和歌四天王の一人に数えられました。
 はつれる: ほつれる
 一部とある: 何冊かをひとまとめにして一冊にまとめ上げた
 弘融(こうゆう)僧都: 仁和寺の僧で兼好の友人
 先賢: 昔の賢人(詳細不明)
 内外の文(ないげのふみ): 「内」は仏典のこと、「外」は、その他の書物
【要旨】
 あるところに、「薄絹で装丁した本の表紙は、傷みが早くて困ります」と嘆く人がいました。
 それに対し、友人の頓阿(とんあ)が「薄絹の表紙は、上下の縁が擦り切れてほつれるほど使いこなすのがよいのです。また、掛け軸の螺鈿細工をした軸は、そこにちりばめた貝が剥がれ落ちたほうが味わい深いものがあるのです。」と答えた僧です。
 このようなものの見方ができると言うことは素晴らしいことで、その発言の主であります友人の頓阿の素晴らしさに改めて感心させられました。

 何冊かの書をひとまとめにして一冊にまとめ上げられました草子の場合、一般的には、それぞれの体裁が不揃いなのはみっともないことですと、いちゃもんを付けるものです。
 しかしながら、孔融僧都は、「何ごともきちんと同じように揃えようとすることは、未熟者のすることで、不揃いでよいのです」と言っていますが、私と同じような考え方をすると思え、我が意を得た心地がしました。

 何事におきましても、すべて完璧な形・状態になっていることは、かえって本来の善さを損ねてしまい、よいことではないと思います。
 やり残しが不完全と見えるようなことを、そのままにしてあることは、味わいもあり、それが持つ本来の姿のよさを、今後につなげることになります。
「内裏を造営しようとする時も、完璧なものに作り上げず、未完ともいえる不完全な部分を残すことが肝要です」と、ある人が言ったそうです。

 先人の中の賢い人が作り上げました仏教などの書物にも、章や段が欠けたものが多のです。
【 コメント 】
 新人サラリーマンの時のことです。上司から「この仕事は緊急性が高い、○日までにやっておいてくれ」と指示されました。
 はじめは、期限内に簡単にできそうだと高をくくっていましたが、やり出したら奥が深く、自分でも興味を持てて、中味の良いものができそうに思えました。ところが、期限が明日というにも関わりませず、まだ道半ばな状態でした。
 上司に、事情を話すと「この仕事は急いでいる」と念を押しただろうと大目玉を食いました。上司が求めているのは、私がやりたいと思ったほどの内容の濃いものではなく、概要を把握できる状態のレベルのものであったのです。
 私は、自分が興味を持った内容なだけに、深掘りをしすぎたのです。それどころか、むしろ、その取り組み姿勢を誉められるかとさえ思っていたのです。
 その時に、「巧遅拙速」という四字熟語の意味合いを痛感させられました。

 「完全」とは、すばらしいことです。ところが、時間要因という制約がビジネスの世界ではつきものであることを、頭でわかっていながら、現実の作業にそれが活かされていなかったのです。

 ドガの作品に踊り子の絵が多数あります。その一つに、なんとなく中途半端な、未完成ともいえるものがあります。初めてその絵を見た時には、それで終わりました。ところが、同じ美術館に再び行った折に、その絵を見る機会がまたありました。
 その絵をじっと見ているうちに、不完全な部分を補うには、何を、どの様に補うと完全な物になるだろうと、その絵の前でたたずみながら考え込みました。
 発想は、あちらに飛んだり、その逆の方に行ったりと、ドンドンと広がりました。
 もし、ドガが、この絵を完璧なものとして描き上げていたら、私の発想は、これほど展開しなかったでしょう。

 不完全さがありますと、それを見たり、使ったりする人は、自分なりの発想を飛ばしたり、自分が使いやすいように使ったりと、当初のもの以上な膨らみを持たせることにも繋がりそうです。

 前述の私の稚拙な体験談では、巧遅拙速という判断の大切さを学ぶことができました。ドガの絵からは、絵の奥深さを感じ取れました。

 もし、完璧な人間という人が存在したとしたら、誰もが、その人を尊敬するでしょうか。誰もが、その人を好きになれるでしょうか。
 自分が不完全な人間であることを自分に納得させようと、正常性バイアスをかけるようなことを考えたりしています。
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