■【きょうの人】 0709 ■ 護国寺 桂昌院 ■ 狩野 正信 ■ 澤 太郎左衛門 幕末から明治期の幕臣・海軍教官
独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。
そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。
■ 護国寺 桂昌院
もう30年近く前になりますが、私がお世話になった会社の社長さん(還暦前になくなる)の葬儀もここで行われました。その時は人出の多かったにも関わらず社長未亡人が私に声をかけてくださったのですが、何も励ましの声をかけられず恥ずかしい思いをしました。従兄の娘が、社長のお嬢さんと学習院の初等科で同級生をしていたこともあり、個人的にも親しくさせてもらっていました。
経営コンサルタント業をやっていると、いろいろな経営者・管理職の葬儀に立ち会いますが、その中でも立派な葬儀の一つでした。
■ 狩野 正信
かのう まさのぶ
永享6年(1434年)? - 享禄3年7月9日(1530年8月2日)?
室町時代の絵師で、狩野派の祖です。狩野派は、室町時代から明治に至るまで400年にわたって命脈を保ち、常に日本の絵画界の中心にあった画派です。
この狩野派の初代とされるのが、室町幕府に御用絵師として仕えた狩野正信です。
京は幕府御用絵師の宗湛(小栗宗湛)に師事したようです。
古記録から、正信は寛正4年(1463年)には、京で絵師として活動していたことが明らかで、この時すでに幕府御用絵師の地位にあったといわれています。
長男は、やはり絵師の元信です。
没年は享禄3年(1530年)とされ、数え年97歳で没しました。
■ 澤 太郎左衛門 没 幕末から明治期の幕臣・海軍教官
さわ たろうざえもん
天保5年6月4日(1834年7月10日) - 明治31年(1898年)5月9日
幕末から明治期の幕臣で、技術者、海軍教官でもありました。名は貞説、幼名はえい太郎(鍈太郎)です。
箱館戦争時に成立した旧幕府軍政権(蝦夷共和国)の開拓奉行です。海軍造兵総監・技術中将の澤鑑之丞は,彼の子息です。
日本海軍において海上砲の操砲訓練を行ったのは、澤が最初です。
榎本武揚が、オランダ渡航中に著した『航海日誌』は、榎本がセントヘレナ島で海に投げ捨てようとしたところを澤が惜しんで預かりました。
その時に判断に任せて行うことは、時として大きな損失に繋がることがあります。茶話の陰で貴重な記録が残されたのです。
◆ 【きょうの人】 バックナンバー
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【 注 】
【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。