人は誰しも、諍いや争いなどのトラブルを嫌うのではないでしょうか。
そのトラブルの多くは、ちょっとした言動が原因であったり、それが契機となって人間関係がこじれたりしているようです。
かねてより、【心 de 経営】ということを基本に、永年コンサルティングをして参りました。「de」は、フランス語の前置詞で、英語にしますと「of」に近い意味合いであり用法であると認識しています。
「de」を、英語の「of」の意味で用いますと「心 of 経営」、すなわち「経営”の”心」となります。「de」を、そのまま、日本語の「で」に置き換えますと「心で経営」となります。
ここでは、後者の「心で経営」に重点をおいて、経営に限らず、人間関係における「心づかいのあり方」を、平素の体験から感じるがままにを徒然に記述してまいります。それにしても、他人に優しくするには、自分に厳しくなければならないことを痛感しています。
物事や人の心には多面性があります。お届けするブログが正論であるか否かは、皆様のご判断にお任せしますが、参考にして下さいますと幸いです。
■4 社会人としての原点を無視して【心 で 経営】はできない
経営者・管理職のように、「人の上に立つ人」、また、経営士・コンサルタントや士業の先生方のように「人にアドバイスをする立場の人」が、社会人としての基本ができていないようでは、自分の仕事を全うすることは難しいでしょう。
自分では、社会人として一人前であっても、自分自身を鏡に映してみますと、人にはうるさく言っていることが、自分自身で実行していないことに気がつくことがあります。
新入社員研修のときに、最初に学ぶことのひとつが「あいさつ・挨拶」です。挨拶は、人と顔を合わせたときに軽く会釈をすることから、謝罪をするときに90度頭を下げるまでのいろいろな段階があることを、復習させられます。
「社会人なのに、挨拶をすることから学ぶのか?」と憤慨する人も多いでしょう。
その様な気持ちで、たとえ、「頭を下げる」という、形だけを作っても、心がこもっていなければ、相手にこちらの気持ちは通じません。それどころか、心がこもっていなければ、「頭を下げているだけ」ということを相手に気取られてしまい、逆効果に繋がってしまう可能性もあります。
話は変わりますが、「挨拶」という漢字を手書きすることができますか?
私は、こじつけをすることで、思い出すことができます。
「挨拶」という漢字を、「偏」と「つくり」に分解し、さらに作りを上下に分解します
「挨」は音読みで「あい」ですが、訓読みはありません。そのつくりの上半分の「ム」と、下半分の「矢(ヤ)」とから「ムりやり」、すなわち上が「ム」で、下が「矢」と、無理矢理にこじつけます。
「拶」も訓読みはなく、音読みで「さつ」です。つくりの「くくく」をらりがなの「く」が3つ「くみ」とみなし、「夕」を「た」と読みます。
ふたつの漢字の偏の「てへん」を「て」と読み、「手(てへん)と手(てへん)を取る」とみなします。
これを併せて「無理矢理組み体操で手と手を取る」と覚え、字を書くときにそれを思い出すと漢字が書けるようになります。
私は、30歳代前半で、経営コンサルタントとして独立起業しました。東京の西部に住んでいましたが、クライアントは、都内が中心でしたので、毎日多くの時間をかけて通うための時間がもったいなく、都内に引っ越しました。
引っ越した先は、知らない人ばかりですが、近所の人に会いますと、挨拶をするようにしました。ところが、挨拶を返してくれる人はほとんどいませんでした。関西の人が「東京の人は冷たい」という気持ちがよく解りました。
そこで、私は、やや大きめの声で挨拶を続けて来ました。また、「最近引っ越してきました。よろしくお願いします。」という気持ちを込めて挨拶をするようにしました。
その効果があったのかどうかは解りませんが、昨今では、近隣同士の場合でも、ほとんどの人が挨拶を交わすようになりました。
「挨拶は心を込めて」という祖母の言葉を胸に秘め、社会人になったときにも、それを励行するようにしてきました。
たとえば上司に対して挨拶をするときに、心の中で「いつもご指導してくださりありがとうございます」と心の中で唱えるようにしました。おそらく自ずと顔が穏やかになっているのだろうと思います。
もし反対に「いつも人のあらばかりを探す上司め」という気持ちで、笑顔を作って、形だけ丁寧に挨拶をしても、相手には真心が通じず、「あいつは腹の中を読めない男」と上司に見られたかもしれません。
挨拶というのは、社会人としての基本です。形だけではなく、心を込めて挨拶をすることにより、人生を豊かにしたいと考えています。
(ドアノブ)