2017年が始まったばかりですが、ハワイでは松山英樹が頑張っています。
SBSトーナメントofチャンピオンズ 3日目(7日)を終えた時点で、J・トーマスとは2打差の2位(-16)
につけています。
昨年10月の「CIMBクラシック」で松山は3打差の2位に終わっているだけに、期するものがある
はず。果たして結果がどうなるかが楽しみです。
勢いは断然ヒデキにあるので、ここで勝って今年は日本人プレーヤーが悲願とするメジャー優勝と
いう朗報を伝えてくれるでしょう。
男子プロの話題は松山英樹ひとりという寂しさはありますが、PGAでの日本人優勝者は青木功、
丸山茂樹、今田竜二と松山英樹の4人しかいないのです。
ましてメジャーでの優勝者は誰も達成をしていません。
あと一息までと手が掛かりそうになったのは、1980年全米オープン~バルタスロールの死闘を演
じた青木功でした。
4日間にわたり帝王ジャック・ニクラウスと同組で周り、4日目も最終組で競い合ったこの試合は
多くのゴルフフアンを早朝からTVにくぎづけとしました。
わたしもその中の一人でしたが、アメリカでは1978年にイギリスで行われた「世界マッチプレー
選手権」で優勝をしているとはいえ、当時の知名度はそれほどではなかったように思います。
だたし、青木のショートアプローチとバンカーショットの上手さは、ニクラウスも認める卓越した技術
があり、独特のパタースタイルであのニクラウスと最終組で熾烈な優勝争いを繰り広げた試合は、
今でもつい最近の出来事のような決して消すことの出来ない思い出となっているのです。
それから3年後の1983年のハワイアンオープンで、最終ホールの奇跡的なカップイン・イーグルで
日本人初の優勝を飾るのですが、1980年の全米オープンがあったからこそ、ゴルフの神様は青木
功に大きな贈り物をしてくれたのでしょう。
青木功がハワイアンオープンで優勝をしてからは、青木を含めて日本では圧倒的な強さを見せて
いたジャンボ尾崎や中島常幸、尾崎直道など数多くの日本人選手がアメリカでツアー2勝目に挑戦
をしますが、日本人としての優勝は2001年まで待たなければなりませんでした。
ゴルフファンでなくても誰もが知っている、マルちゃんこと丸山茂樹選手です。
2000年にツアーに初参戦をして、翌年のグレーター・ミルウォーキー・オープンでいとも簡単に優勝
をしてしまうのですから、多くの人が驚いたのを覚えています。
マルちゃんは2001,2002,2003年と続けざまに優勝をするのですが、様々な故障に悩まされます。
腰と膝はゴルファーの生命線ですから、イップスに悩まされたとしても故障が原因だと思われます。
札幌市中央区のある整形外科クリニックの待合室には、院長先生とのツーショット写真が飾られて
いましたが、そのクリニックは腰部の専門医ですから腰痛で悩んでいたと想像をします。
青木、丸山の次には今田竜二選手がラッキーな勝利を遂げますが、その後に続いたのが松山英樹
でした。
今では世界に「ヒデキ」の名前は知れ渡りました。
かってはこのブログでは、彗星のように現れた石川遼を何度も取り上げましたが、今ではその差は
歴然とついてしまったようです。
遼くんファンは相変わらず多いようですが、プロスポーツは勝ってなんぼの世界ですから、再起を
図ってせめて一度は優勝の姿を見たいのはやまやまですが、その前にはヒデキ・マツヤマがメ
ジャー優勝という快挙を果たすような気がします。
勝つなら年齢的にも今年だと思います。
間もなくTV中継が成されますが、果たして結果はどのようになるかが楽しみです。