松山英樹の応援で朝から手に汗を握り、画面に釘付けとなったのは、一昨年のメモリアル・トーナメント以来でした。
あの時も最終18番でピン横3Mにつけバーディをとり、ケビン・ナに追いつきプレーオフに持ち込み初優勝を飾ったのでした。
今回のフェニックスオープンの相手は、世界4位につけている強敵中の強敵リッキーー・ファウラーとなりましたが、今回の松山は相手のミスを逃さず、17番で追いつき、18番では下り5mを入れて互いに-14アンダーとしプレーオフへ。
ここからが、まさに手に汗を握る熱闘が始まったのでした。
休み明けの日本ではまさに早朝の出社時間でしたから、多くのゴルフファンは結果を見逃した人も多いでしょう。
プレーオフ1ホール目18番はともにパー、2ホール目の繰り返し18番はともにバーディ。
ぴったりと噛みついたスッポンのような、松山のしぶとさにかなりリッキーも焦りが出てきたのは、3ホール目となった10番ミドルでした。
あのリッキーが左ラフに外し、打った第二打目は一流プロには珍しいトップ気味の打球となり、グリーンオーバーのラフへ。
松山の打った136ヤードーRWは、やはりアドレナリンの所為かそれともアリゾナの乾いた空気のためなのか、グリーン奥への2オン。
絶対的な窮地と思われたリッキーでしたが、このホールーは通常プレーで回った時に、同じような場所からチップインをしていた場所でした。
まだツキはリッキーにもあったわけです。
それでも同じようにはいかず、ピン手前2m下りを残し、松山の勝負を決めるかと思われたパッとは、惜しくもカップ左をすり抜けて決められず。
でもこの時点で松山には勝てるという思いが募ったはずです。
ゴルフは心理的なゲームの意味合いが強く、後からパットを打つ方が絶対的に有利ですから、POの10番で立場は逆転をしていたのかも知れません。
PO4ホール目は、リッキーがグリーンオーバーをして、池に入れ2打差を追いつかれたた「魔のホール」。
安全策をとり3Wで打ったボールは、今度は左池に。
この時点でまさに勝利の女神は松山に微笑んだのでした。
それにしてもゴルフファンにとっては、まさに息詰まる激闘で最後まで見ていた私も、「やった~」と声も上げずに「ホッ」とした松山英樹の米ツアー2勝目でした。
アリゾナまで応援に来ていたリッキーの祖父田中豊さんは日系アメリカ人。
孫の勝利は見逃し残念だったでしょうでしょうが、勝ったのは日本人なので心情的には喜んでもらえたのではないかと思います。
最後の最後で敗れ去ったファウラーだが、記者会見後に松山の近くを通りかかると、ハイタッチ。
そして笑顔でこう言ったそうです。「またやろうぜ!!」