作家であり整形外科医(医学博士~札幌医大講師)でもあった渡辺淳一氏が
お亡くなりになられました。(享年80歳)
札幌医大整形学部では「虹と雪のバラード」で有名になった、河邨文一郎教授
のもと二足の草鞋を履き、21歳の時(1954)に処女作「イタンキ浜にて」を
発表。私は氏の本に出合うのは、「リラ冷えの街」(1971)だから、当然に
読んではいない。
1954年といえば、小樽出身の伊藤整の本が3冊もベストセラーとなった年
(火の鳥ほか)でもあり、オードリー・ヘップバーンの髪型が流行をした年
でも(ローマの休日)。
昭和29年は、プロ野球の中日ファンにとっては忘れることの出来ない記録に
残る年です。あの魔球(フォークボールとは言われていません)を操る杉下
茂投手がセ・リーグを制し、日本シリーズでは智将三原脩が率いる西鉄ライ
オンズを4勝3敗で下し初めて日本一の栄冠を得た年です。(この年杉下は32勝)
多分、このBlogを読む人にとっては記憶の糸を手繰っても、なかなか出てこ
ないかも知れません(苦笑)
〈室蘭みゆき町イタンキ浜鳴砂海岸~日本の渚百選に指定〉
渡辺淳一氏の作品はヒット作が多く、なかでも男性よりも数多くの女性ファン
に支持をされていたように思います。
私も初期の作品は読んでいましたが、氏が晩年になってからの作品は書籍より
も映画で見るかDVDで見ることが多く、不倫、女の性、恋の苦悩というイメージ
しかありません。
そういえば昔、氏の「阿寒に果つ」に関するブログを、ここで書いた記憶があった
ので調べてみると確かにありました。
旧作映画「阿寒に果つ」を2006年12月に稚拙な文章で記していました(今でも
そうですが・・・)
なぜ初期の作品を読んでいたか?理由は分かりませんが、当時の私自身の生き方に
「かぶる」部分も多く、北海道を舞台とした作品も多かったことから「リラ冷え
の街」「氷紋」「雪舞」そして「阿寒に果つ」などの作品を好んで読んだのでしょう。
後年の作品になって、渡辺淳一ワールドを形成して行きますが、映画はあまりにも
ストーリーが似ていて好きにはなれませんでした。
「渡辺淳一文学館」にファンが殺到…死を悼む
札幌市中央区中島公園の鴨々川に面した閑静な場所にあります。
私の記憶では昔には料亭があったような・・(記憶違いかも知れません)
〈渡辺淳一語録〉というのが今朝のTV(TBS系)で放送されていました。
「鈍感なのは素晴らしいことなんですよ。傷ついてもすぐに立ち直れるし、
いろいろなことを言われてもすぐに忘れられる」
「男の幸せは、秘密の多さで決まる」
「二兎を追うものは一兎をも得ず。というのは、二兎しか追わないから
駄目なんだ。四兎も五兎も追わなきゃ!」
「木の葉には、木の葉なりの意地がある」
「淋しい女は買い物好き」
「なにかいいわけがあるとき、女性は思いがけず、大胆になる」
なるほどとも思いますが、艶福家であった氏の経験からの言葉かも知れません。
昨年末に薄野のとあるバーで、マスターから聞いた言葉が思い出されます。
薄野の裏も表も熟知し、文芸畑を長年歩いてきたマスターですから、多分実話
だったのだとなぜかいま確信をしました。
その実話はきっと私が話すことはないでしょうが、天国に召された渡辺淳一氏の
語録は、氏の生き方そのものであったと思うのです。
故渡辺淳一氏のご冥福をお祈りいたします。