
こんな絵だったら、私にも描けそう。
私も絵描きさんになろうかしらん?
などと、横縞な色気を出すのは、何もあなただけに限ったことではないと思いますよ。
展覧会開催中に、幾人ものにわか副業画家志望者が出現したことだろうと思います。
かつてのキューピーもそうだった。
今は違います。
Aさんとの嫌な思い出が、僕をこの類の画家の絵を嫌いにさせてしまいました。
Aさんと僕はM精神病院の同じ病室に入院していた。
服用していた睡眠薬のせいで、二人とも毎朝4時に眼が覚めてしまい、
やることがないので、いっしょに喫煙室でタバコを吸いながら世間話をした。
「君の夢は何だい?」
ある朝、Aさんが僕にそう尋ねた。
何だか高飛車な聞き方だなあと思いつつ、Aさんより年下の僕は下手に出て、
「夢なんかないっすね~。」
などと答えた。
「何かあるだろう?」
「そうですねー。<むにゅむにゅむにゅ>。」
(<むにゅむにゅ>は恥ずかしくて書けない。)
「なんだ、君は自分の夢を叶えるための努力をしてないじゃないか。」
「へ?じゃあAさんの夢は何ですか?」
「俺は絵描き。だから、夢はもう叶えてしまった。」
断っておくがAさんが絵を描くところは見たことがないし、
言葉では説明しづらいが、見事なまでに絵を描く人のオーラを発していなかった。
Aさんは優越感に浸りながら続けて言う。
「俺は十歳のときに哲学書を書き、中学のときにトルストイのような長編小説を書き上げた。
今は絵を売って生計を立てている。」
分かり易い、統合失調症患者の妄想だ。
「ああ、そうなんですかー。」
と話だけ合わせるが、心ここにあらずだ。
いかにこの場から逃げようか考えている。
あんたの心を癒すために、ここに住み込みで働いているわけじゃないんです~。
こっちだって自分の病気で手一杯なんだ。
変な病気移されたらたまったもんじゃない。
だがしかし、狭い病棟の中、一日に何度も顔を合わせ、何か話をしなくちゃいけない。
やがて、Aさんが高校卒業後、専門学校に入って、
ガソリンスタンドのバイトをしばらくしていたことは分かった。
だが、その後は何も語られない。
靄がかかったように何も見えない。
どうやら、この歳になるまでずっと遊んできたらしいことがわかってくる。
そして、他の人が、
「絵を売るって、誰に売ってるの?」
と尋ねたら、
「お母さんが二千円で買ってくれる。」
と答えたというのを噂で聞いた。
医者にとっても、Aさんは難敵だったようだ。
ある日の診察で、
「そんなに絵が好きなら何か描いて見せてみなさい。」
と言ったらしい。
患者にとって、医者の言葉は神のご託宣。
Aさんはさっそくお母さんに電話をかけ、画用紙とクレパスを買ってきてもらった。
そして、2歳児が出鱈目に描いたような殴り描きをテケトーにしては、
『存在』だの『不条理』だのというタイトルを付けて医者に見せた。
医者は、
「君の作品には芸術性が見あたらない」
と突っぱねたそうだが、そんなやり方ではAさんの病気が治らないのは、
シロートの僕の目から見ても明らかだった。
やがて僕は退院し、授産施設で働き、
その施設の紹介で木工所へ社会適応訓練を受けに2年半通った。
ある日社長が、事業案内を作るので僕に、会社の写真を撮れと命令した。
僕はそのうちの一枚を引き伸ばして、
市美展に応募してみた。
結果は入選だった。
意気揚々と展覧会に出かけた僕は、
自分の写真が明らかに場違いなのに赤面し、
あたかも他人の作品を見るかのごとく装って、写真の前を通り過ぎた。
周りは色とりどりの花の写真や、
どうやったらこんな綺麗な色で撮れるんだと思わせるような風景写真や、
等、等、等である。
木工所で働く若者を地味に捉えたピントの少しずれた写真など他にはないのだ。
早くこの場所から立ち去ろうとしていた僕の目に、
一枚のクレパスの落書きが目に留まった。
A3の画用紙が大きな赤い額縁に収まってあたりを睥睨している。
作風も、作者の苗字も名前もAさんのものだ。
何度目を凝らしてみても間違いない。
それ以後、市美展には一度も足を運んだことはない。
尚、<むにゅむにゅ>はカメラマンじゃあないからね。
私も絵描きさんになろうかしらん?
などと、横縞な色気を出すのは、何もあなただけに限ったことではないと思いますよ。
展覧会開催中に、幾人ものにわか副業画家志望者が出現したことだろうと思います。
かつてのキューピーもそうだった。
今は違います。
Aさんとの嫌な思い出が、僕をこの類の画家の絵を嫌いにさせてしまいました。
Aさんと僕はM精神病院の同じ病室に入院していた。
服用していた睡眠薬のせいで、二人とも毎朝4時に眼が覚めてしまい、
やることがないので、いっしょに喫煙室でタバコを吸いながら世間話をした。
「君の夢は何だい?」
ある朝、Aさんが僕にそう尋ねた。
何だか高飛車な聞き方だなあと思いつつ、Aさんより年下の僕は下手に出て、
「夢なんかないっすね~。」
などと答えた。
「何かあるだろう?」
「そうですねー。<むにゅむにゅむにゅ>。」
(<むにゅむにゅ>は恥ずかしくて書けない。)
「なんだ、君は自分の夢を叶えるための努力をしてないじゃないか。」
「へ?じゃあAさんの夢は何ですか?」
「俺は絵描き。だから、夢はもう叶えてしまった。」
断っておくがAさんが絵を描くところは見たことがないし、
言葉では説明しづらいが、見事なまでに絵を描く人のオーラを発していなかった。
Aさんは優越感に浸りながら続けて言う。
「俺は十歳のときに哲学書を書き、中学のときにトルストイのような長編小説を書き上げた。
今は絵を売って生計を立てている。」
分かり易い、統合失調症患者の妄想だ。
「ああ、そうなんですかー。」
と話だけ合わせるが、心ここにあらずだ。
いかにこの場から逃げようか考えている。
あんたの心を癒すために、ここに住み込みで働いているわけじゃないんです~。
こっちだって自分の病気で手一杯なんだ。
変な病気移されたらたまったもんじゃない。
だがしかし、狭い病棟の中、一日に何度も顔を合わせ、何か話をしなくちゃいけない。
やがて、Aさんが高校卒業後、専門学校に入って、
ガソリンスタンドのバイトをしばらくしていたことは分かった。
だが、その後は何も語られない。
靄がかかったように何も見えない。
どうやら、この歳になるまでずっと遊んできたらしいことがわかってくる。
そして、他の人が、
「絵を売るって、誰に売ってるの?」
と尋ねたら、
「お母さんが二千円で買ってくれる。」
と答えたというのを噂で聞いた。
医者にとっても、Aさんは難敵だったようだ。
ある日の診察で、
「そんなに絵が好きなら何か描いて見せてみなさい。」
と言ったらしい。
患者にとって、医者の言葉は神のご託宣。
Aさんはさっそくお母さんに電話をかけ、画用紙とクレパスを買ってきてもらった。
そして、2歳児が出鱈目に描いたような殴り描きをテケトーにしては、
『存在』だの『不条理』だのというタイトルを付けて医者に見せた。
医者は、
「君の作品には芸術性が見あたらない」
と突っぱねたそうだが、そんなやり方ではAさんの病気が治らないのは、
シロートの僕の目から見ても明らかだった。
やがて僕は退院し、授産施設で働き、
その施設の紹介で木工所へ社会適応訓練を受けに2年半通った。
ある日社長が、事業案内を作るので僕に、会社の写真を撮れと命令した。
僕はそのうちの一枚を引き伸ばして、
市美展に応募してみた。
結果は入選だった。
意気揚々と展覧会に出かけた僕は、
自分の写真が明らかに場違いなのに赤面し、
あたかも他人の作品を見るかのごとく装って、写真の前を通り過ぎた。
周りは色とりどりの花の写真や、
どうやったらこんな綺麗な色で撮れるんだと思わせるような風景写真や、
等、等、等である。
木工所で働く若者を地味に捉えたピントの少しずれた写真など他にはないのだ。
早くこの場所から立ち去ろうとしていた僕の目に、
一枚のクレパスの落書きが目に留まった。
A3の画用紙が大きな赤い額縁に収まってあたりを睥睨している。
作風も、作者の苗字も名前もAさんのものだ。
何度目を凝らしてみても間違いない。
それ以後、市美展には一度も足を運んだことはない。
尚、<むにゅむにゅ>はカメラマンじゃあないからね。
どこが参考になったんですか?
あ、「副業」つながりなんですね
ミロやピカソは・・・たぶん一生 これらの絵の良さは
私にはわからないだろうな・・と思っていましたが、
こちらの記事をみて、一度は観てみたくなりました^^
参考になりました。