ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

川崎病後遺症

2007-10-26 | 体のこと
私は小さい頃川崎病という病気にかかりまだワクチンのない頃で大変な目に遭いました。
その後遺症は長く続くもので、関節、血管や心臓などあらゆる場所に痕跡を残してしまいます。
私の場合は足の関節に強く残っています。
もう30代になったというのにまだその後遺症のことで病院でも気にされます。
でも私は治りました。子供も生みました。好きなことをして、仕事をして、一生懸命生きています。
だから今、川崎病で苦しむ子供たちをとても人ごととは思えません。
亮介君という11歳の男の子がいます。彼は後遺症が心臓に強く残り移植を待っています。
国内では無理なので渡米を考えているそうです。 りょうすけ君を救う会
川崎病で悩んでいるお母さんお父さん。かわってあげたいくらい苦しいかもしれないですが、私のように元気になってちゃんと生活できる日が来ます!
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昔からのライブハウス

2007-10-26 | バンド活動など
仕事でライブハウスまわりをしている途中で私が10代から通っているライブハウスに行った。
マスターが「おおマッキ!この前お前の話をしていたんだよ。お前がアメリカに行っていた頃の話をしてた。」と言った。「誰と話したん?」と聞いても一月前くらいだったからと思い出せないと言った。
そのあと店の子と話しながら「そういえばコバさんとモールであったよ。赤いバンダナしてあやしげだった。」という話をしていた。コバさんというのはフォークの二人組のボーカルで、適当におじさんだがかなり歌はうまい。オリジナルがメインでその当時私たち仲間はみんなコバさんのテープを車に積んでいた。
そんな感じでコバさんの話題で盛り上がっているとその彼が現れた。しかもかなり久しぶりだったらしい。私は噂をすれば現れたと驚いた。
コバさんは私を見て「ひさしぶり!今日はことごとく振られたよ。」と言ってまた別の誰かに電話していた。そしてしばらくするとその電話の相手が現れた。
彼は私が高校のとき好きだった人で、幼なじみだった。
私たちはなんだか照れくさかった。マスターはこっそり「お前たちは両思いだったんだよ。でも縁なんだなあ。お互い別の人と結婚したし。」と言った。
実際今は好きだった人でもいい仲間に過ぎない。そしてコバさんと三人でふざけていた。
するとチャーリーという仲間が現れた。また彼も普段は鹿児島にいてめったに宮崎に来ない。かなり難しい確率でこの4人はそろった。
何年も会わなかったことなんて感じさせない空気だった。
チャーリーとコバさんが二人で長渕剛の曲を歌ってみんな興奮した。そんな興奮するようなステージを今でも出来る。私はコバさんのために一曲歌った。
マスターは私が歌うのを喜んでくれる。「最近少なくなった大人の歌い方が出来る女性だ」と言ってくれる。
チャーリーの弾き語りは最高だった。私は「ライブしなよ。ここにくればいいじゃん。絶対見に来るから。」と頼んだ。コバさんにも頼んだ。
毎日いろんなことがある。いろんな辛いことがある。でもどうでもいいやという気持ちにさせてくれた。この店は私を元気にしてくれた。この仲間も私を元に戻してくれた。
これが私の原点になった場所だった。私が好きだと思う音楽があった。途中で泣き出しそうになった。「私ね。ほんとはいっぱい辛いの。助けて欲しいの。」と心の中で正直に思った。いつも誰も頼らないし頼れないと思っている私が素直になった瞬間だった。
幼なじみが言った。「まき!うざい男を殴る時はこめかみ狙え」と突然言った。「いきなり急所か!」と言うと「話してわからないやつは殴れ。お前女だから手加減したら負けるぞ」と私の心の中を見たかのような発言にびっくりした。
今日 このライブハウスに来てよかった。みんなにも何回もそう言った。
帰るときみんなで見送ってくれた。幼なじみが「お前ほんと気をつけて帰れよ。」と言った。
私はみんなを抱きしめたいくらい楽しかったから、満面の顔で「うん!」と言って帰った。スリーセブンへ行ってほんとによかった。
コメント (1)
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